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むしろ「ガンダムビルドダイバーズ」のほうが「キラッとプリ☆チャン」よりも「プリパラ」の後番組な件 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

いろいろと注目に値する内容を包含していたアニメ「プリパラ」ですが、ラスト1年間の「アイドルタイム プリパラ」とタイトルを微変更していた期間も含めて合計4年近く続いた番組が、2018年3月にて終了しました。

 【プリパラ関連記事】




もちろん後番組はあります。

いわば「プリパラ」の前身であった「プリティーリズム」から連なるプリティーシリーズの新たな看板です。

その名も『キラッとプリ☆チャン』!

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※当記事中の画像は各作品公式のサイトよりキャプチャ

……(商業的にライバル番組である)プリキュアシリーズの「キラキラ☆プリキュアアラモード」と「HUGっと!プリキュア」を足して2で割ったようなタイトルだとは、思っても言わないのがお約束というものかもしれません。

ただでさえか新番組への移行を機に火曜の夕方からプリキュアと同じ日曜の朝に放送時間も変更になり、同様にタカラトミー系列がスポンサーとなりジャンル的にはさらにプリキュアに近い変身少女ヒーローものである『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ』と合わせて、同時間帯は女児向けとされる番組が戦国時代となっています。

とはいえ「番組」としてはライバルであっても「作品」としては共犯関係というか一種の相乗効果を互いに担い合ったりしているのもこのジャンル。
視聴者的には層が厚いコンテンツのラインナップに一気に接することができて嬉しい悲鳴という一面もないではありません。

「キラッとプリ☆チャン」もまた、従前のアイドルアニメとしての鉄板のフォーマットと、主人公たちが動画サイトにチャンネルを開設して番組を配信するという、きわめて今風の旬な題材を組み合わせた、なかなか意欲的なつくりの新番組だと言えます。

大人が観ても楽しく、直接的なターゲットとされる子どもたちに対しては確実に今を生きるヒントを示して将来へ向けてのエンパワーメントを期する内容になっているのは間違いないでしょう。

 →「キラッとプリ☆チャン」公式サイト@タカラトミーアーツ
http://www.takaratomy-arts.co.jp/specials/prichan/

 →「キラッとプリ☆チャン」テレビ東京番組サイト
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/prichan/


  


一方、上述のとおり放送時間の変更があったために、番組枠的な後継作品である「キラッとプリ☆チャン」とは別に、テレビでの放送枠的な意味での後番組にあたるものも存在することになります。

2018年3月まで「アイドルタイム プリパラ」が放送されていた火曜夕方5時55分において4月から始まったのは、さて何でしょう。

それがコチラガンダムビルドダイバーズ』!

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ガンダムなので、当然にプリパラとは番組制作会社やスポンサーの系列は異なり、作品としての関連性はなく、純粋に放送局の番組編成の都合でプリパラの後番組の枠に配置されたのだろうことは想像に難くありません。

そんな「ガンダムビルドダイバーズ」ですが、ガンダムシリーズの中では、おもなガンダム作品が私たちの現実世界と同様にテレビで放送されるなどしていたアニメであるというような世界観の中で主人公らがガンダムのプラモデル「ガンプラ」に親しみ、その作ったガンプラどうしを特殊なテクノロジーを用いて戦わせて遊ぶという設定だった「ガンダムビルドファイターズ」の系譜に位置すると言えます。

 →「ガンダムビルドダイバーズ」公式サイト
http://gundam-bd.net/

 →「ガンダムビルドダイバーズ」テレビ東京番組サイト
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/gundam-bd/


そしてこの新作「ビルドダイバーズ」が前作「ファイターズ」の設定と最も異なるのは、「ファイターズ」では作中の現実空間でガンプラバトルを行っていたのが、「ビルドダイバーズ」では主人公らが製作したガンプラを3Dスキャンすることでデジタルデータとして取り込み、オンラインゲームの世界というサイバー空間でバトルが繰り広げられる点。

バトルミッションへの参加以外でも、さまざまなイベントが開催されたり、ロビーで他のログインしている「ダイバー」と交流したりすることなどもできます。
そのあたりいかにもオンラインゲームの世界という感じでしょう。

事前の番組紹介のネット記事でも、

電脳仮想空間内で、ガンプラを使用したさまざまなミッションを楽しめる最新ネットワークゲーム「ガンプラバトル・ネクサスオンライン(GBN)」

ネットワーク世界にダイブしてガンプラバトル

 …というような記述がなされています。
※マイナビニュース 2018/02/02
「ガンダム」最新TVアニメは『ビルドダイバーズ』、仮想空間で熱烈バトル
https://news.mynavi.jp/article/20180202-579921/


……………


待って、ソレって……


つまり、


……プリパラじゃね!?


(^^;)


事実、アニメ『プリパラ』作中世界における《プリパラ》とは、何らかのデジタル技術に立脚したサイバー空間内にVR――バーチャルリアリティ世界を架構し、そこに各自がログインしてアイドル活動を楽しむというものでした
(その《プリパラ》と、現実世界でのアーケードゲーム筐体が照応するという形でのメディアミックス展開でした)。

アニメ作中で明言は避けられていましたが、例えば何か予期せぬ怪異現象が起きたときに「システムのバグ」のように語られたことはありますし、マスターコントロールルームのパネルでメモリーカードから読み込んだデータを用いて《プリパラ》空間内の時刻や気象、その他の事象を操作する描写もありましたから、これは妥当な解釈でしょう。

要は今般の「ガンダムビルドダイバーズ」は、作中の電脳仮想空間のサービス名称が《プリパラ》から「ガンプラバトル・ネクサスオンライン」略して《GBN》に、「プリパラ」でのアイドル活動がガンプラに、アイドルとしてのライブがバトルに、それぞれ置き換わっただけで、実質的には同じようなお話なのではないでしょうか!?


実際、第1話の放送が始まるやいなや、ツイッター上などでは「これはプリパラ!」といった声が複数あがりました。

そうして、その後も回を重ねるごとに積算されていくプリパラポイント。
なんというかプリパラでのあれやこれやと一対一対応する事柄が、マジありすぎる。

主人公らが放課後にログインの拠点となる店舗へ向かう様子とか、仮想空間内のいろんなシステム(受付カウンターでバトルのエントリーしたり、バトルをこなしていくことでランクアップしたり、日時限定のスペシャルイベントが開催されてたり)とか、仲間を集めてチーム(GBNにおいては「フォース」と呼ばれる)結成とか……
(あと「フレンド登録」は「トモチケをパキる」ですね)。

これはもはや、まさしくプリパラの後番組!!

…まぁそのあたり、細かくもオタい点を列挙していくとキリがないので、ソコはすでにブログ記事にまとめておられる方もいますし、そちらや、その他適宜検索していただくことにしましょう。

 → 「ガンダムビルドダイバーズ」が「プリパラ」だった件。/プリキュアの数字ブログ
http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/2018/04/26/211636


しかし、とにもかくにもコノ符合は、ジェンダー観点からも非常に興味深いと思えます。

ガンダムは男の子向け番組。
プリパラのようなアイドルものは女の子向け番組。
マーケティング的にはたしかに主にそのように扱われているでしょう
(ガンダムビルドシリーズでは女性顧客の開拓が多少は意識されているものの)。

しかし作品として描かれる内容は、そうした区分から抱きがちな予断と偏見を超越して、思いのほか近接しているという真実がここにあるわけです。

上述したようなディティールとしての一致点のほか、物語の核心もまた、仮想空間内での取り組みを通じて、主人公らが自らの課題を克服しながら、仲間とともに友情を深めながら成長していくところにあるのは共通しています。

その意味では、この2018年、これは女の子アニメ、こっちは男の子アニメ……といった相違は、人々の因習的な思い込みの中にしか存在しない、という誤解を恐れない極論もあながち極論ではないと言えるでしょう。

  


さらには、プリパラとGBNの共通項が電脳仮想空間だというのも2018年っぽいところではないでしょうか。

もとより『ソードアート・オンライン』をはじめ、ポピュラーカルチャーの分野では前例も少なくない設定なのはもちろんです。

そしてそんな中で現実にも、VRにかかわるテクノロジーが急速に進化し、「バーチャル・ユーチューバー」などが注目される昨今、サイバーなVR世界は多くの人の関心を集めています。
子どもたちにとっても興味津々な最新流行の案件でしょう。

ですから今、男の子向け・女の子向けという枠組みの如何を問わず、子ども向けマーケティングで制作されるアニメの作中に、デジタルでサイバーな仮想空間が登場するのも必然です。

「キラッとプリ☆チャン」は、主人公らの活動の中心である動画配信の場は作中での現実世界でのものと設定されているので、仮想世界度・バーチャル空間としての水準は、一見すると前作「プリパラ」よりも後退しているように解せなくもありません。
しかしこの2018年にあっては、ユーチューブなどの動画配信というのは、何らかのバーチャルな場・ネット上の仮想的なフィールドとしては、今いちばんリアリティがある存在でもあります。
アニメの設定が、そういうところにピンポイントで狙って寄せてきたのだとすると、これもまたシリーズとして適正妥当な進化だと肯けるところです。

いずれにせよ電脳仮想空間は、この先どんどん私たちにとって身近な存在になっていくにちがいありません。

ましてや、今のところフィクションの物語の中だけにとどまっている近未来的な電脳仮想空間ではなくとも、相応に高度なCG技術に基づいたオンラインゲームは今日すでに一般的ですし、ツイッターやLINEを含む何らかのSNSもまた大勢の人どうしのコミュニケーションのための仮想的な場としてごく日常的なものです。

今の子どもたちの世代にとっては、そこにコミットすることは今後ともほぼ不可避。
仮想世界・バーチャル空間にかかわるリテラシーは、学ぶべき生きる力として必須科目となっていると言っても過言ではありません。

そう考えると、やはりこれらのアニメの方向性は、非常に正しいものだということになりましょう。

なにより、仮想世界・バーチャル空間というフィールドは、社会における他者との相互行為における自己像を、自分自身があるべき自分・なりたい姿へと調製することが、現実世界におけるさまざまな制約を超克して、より自由自在に可能でありうる場でもあります。

実際、何らかのオンラインゲーム内での自分のアバターを、現実の自分の容姿・属性とは異なる様相に設定することは珍しくないケースでしょう。
ツイッターやLINEでの自アカウントのアイコン画像は、自撮り実写にする必要はまったくないのですが、仮にそうする場合でも写真加工アプリなどであれこれと「盛った」ものに改変することがこれまた日常茶飯事です。

もちろん、そのようなことの要素のひとつには性別】も含まれるのは言うまでもありません。

そうした営為のシミュレーションとしてひとつのモデルケースを示すという意味でも、この種の設定のアニメ作品が果たしている役割には大きな意義があるのではないでしょうか。


例えば「ガンダムビルドダイバーズ」では、メイン主人公・リクこそ、GBNにログイン後のアバターも現実世界でのミカミ・リクにおおむね準拠した外見となってはいます。

まぁさすがに、メイン主人公の容姿が仮想空間にダイブしたらゼンゼン別のものに変わるというのは、アニメ番組の表現としてわかりにくくなる危惧があるのはわかります。

しかし、その友人でありGBN内でもチームメイトともなるモモは、(作中の)リアルでのヤシロ・モモカの姿に対して、微妙にコントロールが加えられています。

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匙加減はまさに「プリパラ」での、メイン主人公・真中らぁらが《プリパラ》にINする前後とパラレルですね
(「プリパラ」では、《プリパラ》の中では「自分にいちばん似合う自分になれる」とされていました)。

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※厳密には、こちらの引用画像でのプリパラログイン前に相当する真中らぁらの姿は、システムのバグでログイン後の姿もライブ開催時を除いてログイン前と変わらなくなってしまったときのログイン後のもの


ガンダムビルドダイバーズ公式サイトでは、こうした点については

GBNのプレイヤーはユーザー登録の際に作成した自分の分身、『ダイバー』の姿で行動する。ダイバーの性別、姿に制限はない。男性であっても女性キャラになれるし、見た目がフェレットの姿であっても問題はない。もちろん服装も自由

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……と明言されています
http://gundam-bd.net/special/02.html
(ミッションクリアやイベント参加で入手できる限定コーデのような、ゲーム演出上の制約の付加はあるようですが)。

てゆーか、この公式サイトで解説役を買って出ている、GBN内でのガンプラバトル世界大会準優勝チームを率いるロンメルさんが、そもそも可愛らしいモフモフの動物態(本人によるとフェレット)なわけで;

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そしてココで、性別だって変えられる点が、特に言及されてるのも注目です。

……なので、世界大会チャンピオンのクジョウ・キョウヤさんだって、GBNのアバターでは好青年ですが、リアルでどんな人なのかは無限の想像の余地があることになります
(現時点ではGBNの中でしか作中に登場していない)。

個人的には「じつは女子小学生とかオモシロイと思うんですけどねぇ~(^^)
(ソレで二次創作小説1本書けそう;)

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あと「性別」という点で興味深いのはマギーさん

やはり上位ランカーで、持ち前の親切心(ないしは上位ランカーとしてのノブレス・オブリージュ?)からGBN内のロビーで初心者に声をかけて案内する役回りなどを担ったりもしています
(ソレ、やっぱりプリパラで神アイドルになったらぁらがやってたことと同じやデw ……髪の色も同じやし;)

……なのですが、このマギーさん、じつはいわゆるオネェ言葉で話す、いわゆるオカマキャラなんですね。

むろん、そういう人物像に対して誰も何も不審がったりバカにしたりはしない。
みんなごくフツーに、そういう人がいるのもアタリマエとして自然に接しています。

今どきのクォリティとしては、それはクリアすべき当然の基準でしょう。
それゃぁもう2018年ですヨ!
翠星のガルガンティア5話問題」だって5年も前だ。

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ただ、よく考えてみましょう。

仮想世界・バーチャル空間の中ではアバターの容姿・属性は思いどおりに操作可能なのです。
「GBNの中では性別も自由」は公式見解です。

つまり、リアルではたとえ「キモいオッサン」でも仮想空間内では美少女になれるはずなのです、なりたければ
(実際に私たちの現実世界でそういうニーズが一般に思われている以上に広汎に存在している件は、また別のお話)

にもかかわらず、あえての「オカマキャラ」チョイス。

コレは話が2周ほどまわったうえでの、ものすごく新しいことなのではないでしょうか。

(プリパラのレオナはまた話の位相が少し異なるので別枠とすると)『魔法つかいプリキュア』のフランソワさんが、このテの描写では最前線だったわけですが、このマギーさんはその斜め上に位置すると言ってもよいかもしれません。

 【参考:『魔法つかいプリキュア』のフランソワさん】
https://twitter.com/tomorine3908tw/status/825552998189314049


積極的に自ら選び取るものとしてクィアな表象を意図的に引き受ける――。

それはそのクィアな表象の社会的な意味付けを書き換え、従来は付与されてきたスティグマを除去する効果さえあるかもしれません
「クィア」という言葉がそうされたように)。

少なくとも『ガンダムビルドダイバーズ』のアニメで、マギーさんのキャラ造形に何か意味があることに触れるエピソードが今後あるのか、それとも特に触れずに「これも普通。トランスジェンダーに理由は必要ない」で行くのか、いずれにしても、これは大いに意義深いと思います。


思えば「性別」とは、いったい何が本質なのでしょう?

そして、自己と他者が社会的に関係するうえでの相手や自分の「性別」における「本当」とは、はたしてどういうことなのでしょうか??

少なくとも、何らかのサイバーなネットワーク上の空間、仮想的なコミュニケーションの場においては、そこに呈示されたアバターなりそれに準ずる情報開示がすべてです。

それをもとに判断できる範囲のことが、「性別」も含めて、その人の「本当」として、それ以上でもそれ以下でもないのではありますまいか。

そして「…でも現実世界ではこんな人なんじゃないの?」の現実世界でのありようを「本当」と置くほど、「現実世界」には世界認識の基準・標準たるだけの正統性があるのでしょうか!?

だいたい、自己と他者が社会的に関係する際の相互行為のステージに呈示された情報を通じてその場に生成される解釈が、自分や相手の「性別」やその他の属性・為人の核心なのは、電脳仮想空間でも現実世界でもたいして変わりはありません。

「本当の性別」は存在しない―― のだとすると、やはり電脳仮想社会は、そのことを体験的に実感する経験値を積み立てるための絶好のフィールドだと言えます。

そして、その観点からも、今般の「プリパラ」から「ガンダムビルドダイバーズ」への流れは、非常に尊いと評価できるのではないでしょうか。


◎こうした仮想空間・バーチャルなコミュニケーションの場で用いるアバターをめぐるあれこれから逆照射すると、結局は現実世界での「本当」の根拠ともされがちな各自の身体的実存・肉体もまた、あくまでもソレは「現実世界用のアバター」だという解釈も成り立ちます。
そして服飾や化粧はアバターを自分好みに装飾る営為の一環であり、デジタルなシステム内よりは身体的特徴の改変に制約がある中での美容整形や、もっと言えば性別適合手術なども、その延長上に位置すると捉えることが可能になってきます。


◇◇




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[3:女の子はつねにすでにプリキュア]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子がなったものがプリキュアである」。

すなわち前記事で述べたとおり、

プリキュアに憧れた体験を持つ子どもたちが、将来において、その憧れを包含した何らかの意思に基づいて何かになった結果としての、その「何か」がプリキュアと呼べるのだ………

というのは、かなり核心を突いた着眼点だったと自負しているのですが、さて、これは一般的に考えてまったくプリキュアっぽくない実存にもあてはめることが可能なのでしょうか。

ここで、リアリティレベルを徹底的にリアル寄りにして描かれたアニメ作品だと言えるサクラクエストをとりあげて、この点を考えてみましょう。

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※本記事中、画像は放送画面や公式のサイトからキャプチャしたもの


2017年4月から2クール半年間にわたって放映された『サクラクエスト』ですが、こちらも公式サイト(→ http://sakura-quest.com/ )によると、

木春由乃は、田舎から上京し短大の卒業を間近に控えた、いわゆる普通の20歳の女の子。東京には何でもあって、きっと特別な何かになれるのではないかと夢みて、30社以上の面接を受けるも、未だに内定はない。(中略)そんなある日、以前、一度だけ働いたことがある派遣事務所から、「地域の町おこしの一環で国王をやってほしい」との依頼がある。よくわからないが軽い気持ちで依頼先の間野山市に向かうことにした。
一時的に日本中でブームになるも、バブル崩壊に合わせて今ではほとんど見ることの無くなったミニ独立国。間野山市は、今なおミニ独立国を続けている、廃れてしまった残念観光地だった。

……というふうにイントロダクションされています。

そうして主人公・木春由乃は、イベントのための「一日国王」と思い込んで訪れたものの、じつは一年契約で、当初は東京に逃げ帰ろうとしたりしますが、やがて地元の実状に触れるうちに気持ちが変化し、「国王」という名の観光振興大使として、集まった同年代の女性4人の仲間とともに、地元の活性化のため観光協会の仕事をやり遂げる決心をするのです。

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作品自体は丁寧な行き届いたつくりの良作で、本当に地方都市が抱えるさまざまな問題にきっちり寄り添ってエピソードが積み上げられています。

活かしきれない観光資源伝統産業の先細り、シャッター商店街、忍び寄る過疎と高齢化、若者から見た魅力の不足……。
さらにはその寂れた同一市内でも中心部と山あいの集落との間に横たわる格差にも焦点が当たり、水面下で上層部が進める隣市との合併計画なども物語の射程に入ります。

まさに今プリキュアシリーズに夢中になっている子どもたちが大人になる頃にはさらに深刻になっているであろう、現代の日本が避けて通れないリアルな諸問題を生々しく浮き彫りにする硬派な社会派ドラマだと評価することもできましょう。

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それだけに物語はある意味、悪く言えば「地味」だという側面もあります。

アニメというジャンルではお馴染みの異世界も異能バトルも登場しません。
タイトルが「◯◯クエスト」になっているのは、いわば逆説でしょうか
(その観点からだと、作品の雰囲気というか描かれている内容は、むしろNHKの実写ドラマに近いとも見えなくはありません。
というか、何でも実写化すればよいというものではない中で、アニメ作品として話題になったコンテンツが次には実写映画化されるような流れはしばしばあることに鑑みたとき、この『サクラクエスト』こそ、NHKの《朝ドラ》、すなわち朝のNHK連続テレビ小説の題材として非常に好適なのではないかと考えます)

異世界・異能バトルとまでは行かなくても、同じく町おこしを目標にしていた前記事の『アクションヒロイン チアフルーツ』のように作中ショーのステージ上でなら変身やバトルがある、というわけでもありません
(同時期に町おこしを取り上げたアニメが放送されたという符合は興味深いですし、合わせて視聴してみるのもより深い見え方がして良いかもしれません)

地方都市・間野山の自然は美しく、四季の移ろいの味わい深さも、このアニメを制作する「P.A.WORKS」の得意技ということもあり、その描写は秀逸なものです。
が、当然ながら都会的なきらびやかさはメイン舞台には存在しませんし、若年人口は流出気味な地方都市だけに、主要5人以外の登場人物の高齢率もすこぶる高い。
全体的にひなびた雰囲気が漂うのも無理からぬことでしょう。

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そんな中での主人公ら主要メンバー5人が取り組む観光協会の仕事というのも、大変に地道なものでしかありません。

各種のイベントを企画してはいろいろな課題に直面。
裏方仕事に追われながらトラブルの処理
根回しのために観光協会とは必ずしも利害が一致していない商店会の人たちに頭を下げに行けば、皮肉を言われたりもしながら段取りを調整。

基本的に、そんなことの繰り返しだと言えます。

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それでも5人が力を合わせて知恵を出し合い、壁にぶつかって挫折しそうになりながらも、少しずつ周りの人たちを動かし、町を徐々に変えていく様子には、静かな、しかし着実なカタルシスがあります(ということなので作品がオモシロくないと言ってるのではありません)

まぁ、それだけ現実に則した地に足をつけた作劇だということになります。
したがって、主要登場人物の5人が華々しく美少女戦士に変身して悪者と迫力のバトルを繰り広げるような変身少女ヒーローもの的な展開からは対極にある世界観の作品だと言うこともできるでしょう。


  


ところがです。
それにもかかわらず、この『サクラクエスト』にはプリキュアシリーズの文法で読み解ける要素が多分に含まれているのです。

メタ的には「1年契約」に合わせて物語が構成されているというのもあるでしょう。

また「ひょんなことから◯◯王国の危機を救う使命を引き受けることになった話」だという共通項でも括れるのは、もしかしたら意図的にかぶせてあるのでしょうか
(物語の結末を「5人が《桜の王国》を取り戻した」と解することもできなくはありませんね)。

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のみならず、各々個性豊かな女性5人が集まり、互いに補いながら親密性や信頼関係を育み、共通の目標に向かって課題に取り組んでいく……といったフォーマットもまたプリキュアシリーズと共通しています。

途中の困難もなんとかいちおうの答えを出して乗り越え、仲間の結束は高まって周囲には協賛者も増えていく。
そんな過程で発揮される行動原理もプリキュアシリーズ10周年超時代のアニメキャラとして不自然さのないもので、あくまでも主体的。いわゆる「男に頼る(依存しきる)」発想もナシ(必要な協力の輪は相手の性別にかかわらずちゃんと広げていきます)。

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そうこうするうちに絶望を希望が凌駕して、未来への展望が開ける。
主人公らが、自分たちを信じてがんばった結果、世界が少し変わる。

同時に、そんな体験を経た主人公たちも、それぞれなにがしかの成長をする。
自分に自信が持てるようになり、自分自身の未来がちょっとだけ形になる。
自分の進む道の方向が見えてくる……。

このような物語の構造は、まさしくプリキュアシリーズそのものであります。

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『サクラクエスト』は現実世界のリアルな課題に立脚した作劇なので、シビアに甘くない世界を描いている分、テイストは違えられてはいますが、おおむねこうしたルートをたどる物語には、プリキュアシリーズに連想が働くところを禁じえません。

音楽クリエイター集団《 (K)NoW_NAME 》による主題歌群を聴き比べても、その歌詞にはプリキュアシリーズが子どもたちに向けているメッセージと通底するものが謳われている、やはりそう強く感じられます。

  


このように読み解けば、『サクラクエスト』のような変身もバトルもなしで若い女性たちが地道に奮闘する物語であっても、やはりコレはプリキュアシリーズの1バリエーション譚だと言えるでしょう。

その意味で、町おこし・地域の振興に奔走する5人は、本当にプリキュアなのです。

『チアフルーツ』とちがって『サクラクエスト』の主人公らは20代の女性たちですので、2017年現在だと保育園・幼稚園の頃から息をするようにプリキュアシリーズを視聴してきた世代よりは少しだけ上かもしれません。

だとしても、そう遠くない未来、幼いころにプリキュアに憧れた子どもたちが成人し、それぞれの場所で、それぞれの仕事・役割に就くことになります。

この『サクラクエスト』に鑑みるなら、それは「プリキュアになった」と呼んでいいのではないでしょうか。

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おそらくは、プリキュア世代の子どもたちが大人になった時代に、それぞれが置かれた場所で各々の役割に沿って、仲間といっしょに課題に取り組むとしたら、この『サクラクエスト』で描かれたように、プリキュアシリーズに込められたエッセンスを具現化した形になっていくでしょう。

いわば『サクラクエスト』がプリキュアシリーズの文法で読み解けるのは、その様子をアニメ化したものだからなのだとも言えます。

やはり「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

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そして、物語の肝要が主人公らの成長、自分の道をみつけるプロセスなのだとしたら、プリキュアになって何事かを成すということは、じつに「自分になる」ということ。

となれば、幼い子どもがプリキュアに憧れたそのとき、いつか何かになる将来の自分は、しかしもう今の自分自身でもあるわけです。

他ならぬプリキュアに憧れている幼い自分こそが、いつか将来の自分として自己実現を果たして何かになる――。

これはつまり「もうプリキュアになっている」に等しいということにはなりますまいか?

自分が自分であることを見失わない限り、自分はもうプリキュア。

そう、プリキュアシリーズを視聴しプリキュアに憧れた瞬間から「女の子はつねにすでにプリキュアなのである」なのです。

(……「つねにすでに」の無駄使い! というツッコミはナシで(^^ゞ)


◇◇


§その他ツイッターで『サクラクエスト』に言及したものを、補足として以下に貼っておきます






◇◇


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[2:女の子がなったものがプリキュアである]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子は誰でもプリキュアになれる」。

それは前記事で見たように、ある意味では真でした。

「誰でも」の「誰」が性別で限定されるモンダイについても、さまざまな方策が試みられている中では、引き続きの検討課題として見守っていくものということになりましょう。

まぁ個人的には、プリキュアに魅了され、プリキュアのスピリットを我がものとしながら、その志を実践しようとする者を、ここでは「女の子」と呼んでいるのだ……というふうに読み替えてかまわないのではないかとも考えます
(てなわけで以下の記事中でも基本的にそういう方針で書き進めますねノ)。

しかし、本当にリアルな現実世界で、プリキュアに憧れる体験を経た子どもが、将来においてアニメの中のような変身ヒーローとしてのプリキュアになれるかというと、実際のところは難しいのも事実です。

中学生・高校生となった暁に、ある日通学路の途上で異世界からやってきた小動物のような容貌の妖精と出くわし、それがきっかけで◯◯王国の危機を救うために伝説の戦士になって悪者が遣わした異形のモンスターと戦いご町内の平和な日常を守ることになる……なんてことが、そうそうあるという話はとんと聞きません。

その意味であれば、「アニメに出てくるような変身ヒーローとしてのプリキュア」になれる人など誰もいません、という甚だ夢のない結論が出てしまいます。

まぁ、現実ってそういうもの。

でも、それじゃぁ、幼少のみぎりにプリキュアに憧れた体験というのは、ただ単にそれだけの、子ども時代の夢物語なのでしょうか?

結論から言って、それは違います

子ども時代にプリキュアに憧れ、毎週のアニメを楽しみ、そこから何かを得た子どもたちが、それを心の糧としながら、将来において何かになるということは、ままあることでしょう。

そんな、プリキュアに憧れた体験を通じて得たものを触媒として、かつての子どもがなったもの、それこそが現実世界における「プリキュア」の実像なのではないでしょうか。

すなわち、「女の子は誰でもプリキュアになれる」というのは、リアルな社会での様相に即して換言すれば「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

そう考えれば「女の子は誰でもプリキュアになれる」も、あながち子どもに向けた「優しい嘘」だとは言い切れないものを内包しているということになります。


え? イマイチ具体的なイメージが湧かない??

それでは「プリキュア」シリーズよりは、もう少し「実際になれそうな」題材を描いたアニメの事例をひもときながら見ていきましょう。

例えば典型的なのはアイドル

『プリパラ』の名前は前記事でも出ていますが、こうしたアイドルアニメにおけるアイドルの意匠や瞬間衣装換装の演出が、アニメ表現上はプリキュアと地続きであることは、昨年「マクロスΔ」の論考「『マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性」で触れたとおりで触れたとおりです。

一般的に考えれば、プリキュアに憧れるのと同じように女の子たちがプリパラアイドルに憧れ、なってみたいと思うだろうことに、相当の連続性があるのも容易に理解できますが、少なくともアイドルという大きな枠組みにまで視野に入れれば、それは現実になることができる職業として実在しています。


これがまさにプリキュア的な戦いであることも前掲「マクロスΔ」論考に述べたところであり、ここでもプリキュアとアイドルの間には連続性が見られます。


 


さらに、この2017年7月からのアニメ作品には、こうしたラブライブ的な「アイドルとしての戦い」としての1バリエーション譚と言える作品も登場しました。

それが『アクションヒロイン チアフルーツ

公式サイト(→ http://www.tbs.co.jp/anime/cfru/ )によると、

とある地方都市が企画した小さなお祭りから(中略)「ご当地ヒロイン」ブームが各地で巻き起こった。その勢いで「ふるさとヒロイン特例法」が成立し、各自治体がステージショーをプロデュース。(中略)「アクションヒロイン」は子供から大人まで愛される憧れの存在となっていた。
フルーツ産地ののどかな地方都市『陽菜野市』はその波に乗り遅れていた。
陽菜野高校3年の城ヶ根御前は危機感を募らせていた県知事の叔母に「アクションライブ」をプロデュースするよう唆される。
とまどう御前だが、「アクションヒロイン」を成功させ、この街に活気を取り戻し、祖父が建設に尽力した文化ホールの閉館を覆すために、立ち上がる!

……が物語の発端として説明されており、そこから仲間が集まり、「アクションヒロイン」としてのステージショー(アクションライブ)に取り組んでいく様子が描かれていくわけです。

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※本記事中、画像は公式の配布画面からキャプチャしたもの


要は、ステージ上で演じるヒーローショーとしてプリキュア的な演目を女性がおこなうのが盛んになっているという世界観のもとで、女子高校生たちが自分たちの住む町の振興のために奮闘するというのがストーリーのアウトラインを成しているものです。

こう見るとまさに『ラブライブ!』の「スクールアイドル」をプリキュア的なヒーローショーである「アクションヒロイン」に置き換えた作品だと受け取ることもできます。
まずもって、ステージパフォーマンスである点は同じです。

「廃校」に直接的に対応する項目として「文化ホールの閉館」も用意されていますし、作中では全国のライバルチームの活動がインターネット上でランキングされており、それを確認して自分たちの順位に一喜一憂する様子などは、いわば今風な必然として共通していたりもします。

そのうえで、、自分たちにとっての守るべき日常を営む場所を、学校という枠から少しスケールを広げて、寂れた地域経済の危機に置いたところがオリジナルなポイントかもしれません。
町おこしが使命とは、じつに現実世界の実状に寄り添ったリアルなテーマです。

そうして、作中では主人公らが結成したチーム「チアフルーツ」が、ステージ上でアクションヒロインとして上演するアクションライブショー『聖果戦士ヒナネクターの内容に着目すれば、これはもうまさしくプリキュアなのです。

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各々のメンバーの個性に応じた赤、青、黄などのパーソナルカラーに色分けされた変身美少女戦士が力を合わせて悪と戦っていく台本は、現実世界の遊園地でのプリキュアショーで子どもたちが大興奮するがごとく、作中の観客の子どもたちにも大人気で、客席からは熱い声援が送られるところとなっています。

その意味で『アクションヒロイン チアフルーツ』は、プリキュアの1バリエーション譚でもあります。

また、現実世界ではプリキュアシリーズと戦隊シリーズの内容がクロスオーバーし相互作用を及ぼしつつ、実質的な内容の差異がない状態になってきている現状にありますが、そのあたりも織り込まれています。

作中での『聖果戦士ヒナネクター』の内容は直接的にはプリキュアっぽいわけですが、同時に戦隊ヒーローっぽい雰囲気もまた上手に統合されています。

客席の子どもたちも性別を問いません。
アクションヒロインが国民的人気という世界観のもとで、それが女性が演じるものだから女の子向けだとは、必ずしも思われていないというのは、非常に好感が持てる世界設定です。

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そもそも前記事で述べたとおり、「ヒロイン」という語は私たちの現実世界ではシンプルに「ヒーロー」の女性形の意味ではなく、主人公であるところの男性ヒーローの恋愛相手、補助・ケア役割、およびときどき敵の人質にされる役回りというニュアンスを付与されてきました。

それゆえに、プリキュアのような「女性のヒーロー」を言い表したいときには《戦闘美少女》《バトルヒロイン》《ガールヒーロー》などの修飾を伴った表現が必要でした。
《魔法少女》にそうした定義を与えて用いていこうとするややこしい流れも発生します。
ちなみにワタシは近年では熟慮の末《変身少女ヒーロー》と言い表すようにしています。

ところが『アクションヒロイン チアフルーツ』の作中では、本当に「ヒロイン」の語が単純に「女性のヒーロー」を意味するものとして使われているようなのです。
フィクション作品の世界観を通して、こうした定義の最適化が図られるのは意義があることでしょう。

誰もが「女性のヒーロー」に特段のバイアスは皆無にあたりまえのものとして受け止め応援している。
アクションヒロインが子どもから大人にまで大人気という世界観は、こう考えるとなかなか深いです。

過去の男性主人公の特撮ヒーロー作品へのオマージュと解せる小ネタが、こうした変身少女ヒーローもののバリエーション譚にふんだんに盛り込まれているのも、ある種の歴史の総括としての機能を果たしているかもしれません。

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ともあれ、作中のこうした世界観が、視聴者に違和感を与えることなく構築できることには、視聴者が暮らす今日の現実世界においてプリキュアシリーズが存在していることが大きく寄与しているのは疑いありません。

チアフルーツ作中は20XX年という設定のようですが、仮にこの2017年であっても、たいていの高校生の年頃というのは、保育園・幼稚園のころからプリキュアを見て育ってきている世代です。

そういう世代感覚の女子高校生たちからすれば、学校の部活のノリで取り組むアクションヒロインの活動内容がきわめてプリキュア的であることは、まったくの自然なことであって不思議はありません。

作中での大人世代も含めた観客や町の人々がフツーに受け入れるのもまた然り。

となると、この『アクションヒロイン チアフルーツ』は、幼少時にプリキュアのアニメを視聴しプリキュアに憧れた子どもたちが、長じて高校生となった時点で実際に「プリキュアになった」様子が描かれたアニメ……だと言うにふさわしいということにもなるでしょう。

これをロールモデルとすれば、女の子がプリキュアになる未来は、まさに今こうして実現するものなのです。


  


そんなわけで「女の子は誰でもプリキュアになれる」を「女の子がなったものがプリキュアである」と再解釈し、アイドルアニメなどを補助線に当てて「現実になれるプリキュア」とは何かと考えたとき、わかりやすい具体例としては、やはり何かステージ等にかかわる職業ということになるでしょうか。

アイドルも該当するでしょうし、遊園地のプリキュアショーの関係者などもかなりビンゴです
(着ぐるみに入ってヒーローとしてアクションをこなすスーツアクターなら、実際のところ男性も多いはず)

あとは声優になってプリキュア役を務めるなどとなれば、ほぼそのものズバリ「プリキュアになった」ことに限りなく近似しているでしょう
(近年では毎年プリキュアの新シリーズの声優が発表された際、若手キャストの中には「子どものころプリキュアに憧れていた……」とコメントする人も実際にいる)

このように比較的万人に納得してもらいやすそうな例だけでも「プリキュアになった」と言える職業はあるものです。

やはり「女の子は誰でもプリキュアになれる」のです。
そこに、かつてプリキュアシリーズを視聴して得られた何かが生きている限り――。


しかし、この上述したような比較的万人に納得してもらいやすそうな職業以外だと、「プリキュアになった」とは言いづらい危惧はある……という意見は出てくるやもしれません。

まぁ真面目に考えればそれもまた現実。
はて、ソコはどうしたものでしょう。

この点、次記事にてもう1例のアニメ作品を見てみることで掘り下げたいと思います。


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§加えて、「女の子は誰でもプリキュアになれる」の「誰」に身体障害者は含まれるのか? モンダイについて、『アクションヒロイン チアフルーツ』は一定の展望を示していました。
以下は、その点に関連してツイッターで述べたもの。



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