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[1:男の子プリキュアへの中間回答]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

「女の子は誰でもプリキュアになれる」。

元々は2012年3月公開の劇場版映画 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち』のキャッチコピー的な位置づけの言葉でしたが、その後も1映画タイトルの枠を越え、プリキュアシリーズ全体に通底するコンセプトとしても通用している言葉です。

番組を提供しているスポンサーの立場からすれば、テレビの前のチビっ子たちが「自分もプリキュアになれるかも!」と思ってくれるほうが関連商品の売上が伸びて都合がいいのです………などと言ってしまうと身も蓋もないですが、他方、子どもの発達課題として、テレビのヒーローに憧れ、自分もなってみたいと夢想する体験は、いろいろ得られるものも多く、望ましくもあるでしょう。

プリキュアシリーズ各作品の内容もまたそれに応えていて、各作中でプリキュアに変身することになる登場人物もバラエティに富んだチーム編成になっています。

見る前に跳ぶタイプの元気印を筆頭に、知性派お嬢様、武闘派や体育会系、引っ込み思案にツンデレさん……。

いろいろなキャラクターに、さまざまな個性が揃っているので、これならテレビの前の個々のチビっ子がどんな性格であれ、たいていの子には、その感情移入先として対応できるというものでしょう。

また、主人公らがプリキュアになるきっかけも、ひょんなことからしかるべき場面に出くわし、そこで「友だちを助けたい」とか「大好きなものを守りたい」といった気持ちを体現することに由来するのが、シリーズ各作にあてはまる通例となっています。

作劇上は番組開始時点で誰がプリキュアになるかは決まっているとはいえ、物語世界の中では、決して「前世の因縁」などによってすでに運命づけられていたりするのではなく(この点は「セーラームーン」先輩にくらべたときにプリキュアシリーズが進化していると言える大きなひとつでもあるでしょう)、あくまでも本人の行動が決め手となり、かつ本人の意志で主体的に選び取ったものとして描かれているのです。

すなわち、プリキュアになれるかどうかは、個々人が心に持っている気概、ないしは日頃からの心がけのようなものがポイントとなっており、これは誰にでも可能性があるものです。

こうした点は基本的に現在放送中の2017年度の最新作『キラキラ☆プリキュアアラモード』にも、もちろん継承されています。


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※本記事中、画像は放送画面や公式のサイトからキャプチャしたもの


そうしたことゆえ、やはり作品を視聴している子どもたちもまた、自分のココロザシしだいでは自分もまたじゅうぶんにプリキュアになれると考え、そのことが作品内容を通じて否定されることはないという仕掛けになっているのです。

まさに、プリキュアに憧れる子どもたちには、誰でもプリキュアになる可能性が保障されているわけです。

ただひとつの、重大なモンダイを除いては――。

そう、「女の子は誰でもプリキュアになれる」とはいうものの、「女の子は」と言ってしまっていることによる、じゃあ例えば「男の子はプリキュアになれないのか!?」案件ですね。

 


もちろん、そもそも30年ほど前には基本的に女の子はヒーローになることから排除されている状況にあったことは踏まえられなくてはなりません。

息をするようにプリキュアシリーズを見て育った今の若い人にはピンとこないのかもしれませんが、当時のテレビの子ども番組では、変身して悪者と戦う主人公は男性に限定され、女性の登場人物はその周縁に存在するのみに留められるのが常識だったのです
(首尾よく5人チームの1メンバーとして入り込めたりしても、他の男性メンバーよりは一段低めに置かれるなど、実質的には同様の問題がありました)。

そんなこともあって、本来の語義的には「ヒーロー」の女性形である「ヒロイン」は、シンプルに「女性のヒーロー」を意味することにはならず、根本的な役割・物語中での存在意義が異にされていたという事実も見逃せません。

ありていに言って男性主人公の恋愛相手として意味づけられ、主人公の補助・ケア役割を担い、作劇上はしばしば敵に捕縛されて人質となりヒーローの足手まといになる役目を負っている、それが「ヒロイン」というわけです。

そういう状況は、21世紀の今日にあっては、ずいぶんと覆ったものです(そんな変革に至るプロセスにおいて「セーラームーン」先輩が果たした功績の大きさは正当に評価されないといけません)。

建前上は男の子向けとして制作されるヒーロー作品――戦隊ヒーローや仮面ライダー、あるいはウルトラマンなど――にあっても、今ではプリキュアシリーズで定石となった諸設定を逆輸入するなど、相互作用は小さくありません。
変身アイテムや武器アイテムの本質的な相同性や、ストーリーについても然り。

ただそれでも戦隊ヒーロー・仮面ライダー・ウルトラマンなどが、過去のフォーマットを改廃しきれずに、いまだに男性中心の構造をまとったまま続いていることもまた否定はできません。

現実世界の全体像に目を移せば、今なお女性を周縁化しようとする権力構造は社会の主流です。

そんな中での、いわばアファーマティブ・アクションとして、プリキュアのような女子限定ヒーロー番組は、たしかに現在でも存在意義を有しているのです。

そこを理解せずに「戦隊ヒーローには女性もなれるのにプリキュアが女子限定なのは男性差別!」などと叫ぶのでは、短絡的な女性専用車両叩きと同様に、あまりにも狭い視野での議論だと言わざるをえないでしょう。


しかし、そうは言っても《プリキュアに憧れる男の子》は、すでに現実にいます。

そこを「プリキュアは女の子だよ。男の子には戦隊やライダーがいるでしょぅ?」とばかりに性別を基準に仕分けして、そうした子たちの願いに応えないのもまた、ジェンダー規範に立脚して人を抑圧する構造であり、それを無批判なまま採用し、改革しないでいるのも不誠実なことです。

プリキュアシリーズも、ここまでこの点から逃げずに、いろいろな取り組みはしてきたのは認められるところです。

女の子が男性に頼らず自分たちでがんばるというアファーマティブ・アクションとしての意義を損なわずに、作中にどのように男の子たちを配置するかの工夫には、いろいろと苦心の跡も見て取れるというものです。

それでも2017年現在、やはりいろいろ難しいのでしょう、男の子がテレビシリーズ本編のレギュラー枠でフツーにプリキュアになるケースは、(『俺、ツインテールになります。』のように)変身したら性別が変わるような方策や、あるいはプリキュアへの変身者が男の娘であることも含めて、いまだ実現していません。

せいぜい、ハートキャッチプリキュアでキュアサンシャインに変身する明堂院いつきが普段は男装をしているというのが、性別撹乱的な前例として数えられるていどです。

 


ただ、この2017年度、この明堂院いつきの新たなる進化形が登場しました。
最新作『キラキラ☆プリキュアアラモード』の主要登場人物のひとり剣城あきらです。

その変身後の姿である「キュアショコラ」ともども、見てのとおりとても中性的で性別不詳感が漂っていま……

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………と言うよりは、むしろ非常にボーイッシュなキャラ造形で、積極的に男性であると誤認させようという方向性です。

演じる声優として元タカラジェンヌ男役の森なな子が配役されているのも、そういう制作側のねらいを反映していると推察可能です。

普段の服装も基本的にボトムはズボン。
私服ばかりか、他のメンバーとお揃いとなるべきパティシエ服もまた1人だけそうなっています
(他にも茶席で着物を着るシチュエーションや、海水浴での水着描写でも、あからさまに女性性を表象する装いは避けられている)。

学校のシーンでは所定の女子制服を着用していますが、そのスカート姿に激しく違和感を禁じ得ないのは、『プリパラ』のアニメでのレオナ・ウェストの男子制服姿と双璧を成すレベルでしょう。

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作中では実際に、筆頭主人公・宇佐美いちかから出会った当初はイケメンお兄さんだと間違われていたりもしました。
あまつさえ、あまりのイケメンぶりに軽く一目惚れ状態になっていたのが、ほどなく女性だと判明して「失恋」する展開も形式的には用意されていましたが、そこは2017年仕様、同性どうしの恋愛が自動的に否定されるような描き方にならないように最大限に配慮されていたのには、時代の進捗が伺えます。

加えて、キュアマカロンに変身する琴爪ゆかりと並んでいると、道行く人々等からはゆかりの「彼氏」だと認識されるという描写も複数おこなわれます。
いやはや「異性愛/同性愛」という軸線すら揺らぎますね(*^^*)。

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あきら自身、「よく(周囲からは男性だと)間違えられる」と説明していますが、その口ぶりはまんざらでもない様子で、「男っぽいこと」「女っぽくないこと」がコンプレックスになっているといった因習的な設定は取り入れられていません。

むしろ、自分はありのままの自分でいるだけなのに、見た目を根拠に勝手に性別を判断し、
それが生物学的な根拠と異なることに無駄なリアクションをおこなう周囲のほうが悪い……というスタンスでいるふうです。

明堂院いつきには、ある種のイクスキューズとして採用されていた「家庭の事情によって男装している」「じつは女の子らしいカワイイものが好き(だけどソレを我慢している)」といった設定もまた今般は導入が見送られています。

まさに【トランスジェンダーに理由は必要ないし「本当の性別」は存在しない】が、プリキュアシリーズにも採用された形になっており、おそらくは直接にはライバル番組である『プリパラ』におけるレオナ・ウェストや紫京院ひびきについての取り扱いを、制作側が相当に念頭に置いたのではないでしょうか。


  


そんなこんなで、この剣城あきらは、性別越境的な属性を持つプリキュア変身者として、相当に新しいキャラとなっています。

これは制作側が「男の子はプリキュアになれない」モンダイに対して、現時点において可能な範囲で最大限誠実に応えたものと捉えてよいでしょう。

すなわちキュアショコラは、プリキュアシリーズの枠内での「男の子プリキュア」のありようとして、現時点で暫定的に示された、中間回答のひとつだと言えるでしょう。

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さて、ということなので「男の子はプリキュアになれない」問題については一旦ここで置くとして、ではそれなら女の子なら本当に「女の子は誰でもプリキュアになれる」のか、について、ここで少し話を進めてみましょう。

まずは次記事に続きますノ


◇◇


コメント(3) 
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コメント 3

tabaka840

いや、このプリアラで興味深い点はあきらの件もそうであるかもしれないけれども相手が女であろうが男であろうが一流のパティシエになれば人間になれて「戦士」になれると言う設定ではないでしょうか。しかしながらジュリオは一流のパティシエになる事に失敗をして「自分は戦士になれない」とふさぎ込んで「夢」を捨てようとしている所で話を終わらせるのは非常に残念な展開です。何とかジュリオは「夢」を実現させて仲間たちと共闘すれば作品の評価も上がるのですが。
by tabaka840 (2017-10-01 22:30) 

オーバーロード

 まず、管理人さんおっしゃる通り「ヒロイン」という言葉には、「ヒーロー」には存在しないネガティブな意味合いが付与されています。実際、アニメ等のキャラ紹介の際に「主人公とヒロイン」という説明は頻繁に見かけますが、「主人公とヒーロー」などという言葉は聞いたことがありません。つまり、「ヒロイン」とは主人公が男性であることを大前提にして用いられることが少なくなく、「女性の主人公」「女性の英雄」という辞書的な意味とはかけ離れた用法が当たり前になっていました(「ガールヒーロー」「ウーマンヒーロー」という言葉が作られたのもそのため)。それどころか近時は弱く消極的な役回りの男性キャラが「ヒロイン」などと称される場合すらあり、マイナスイメージがある意味激化しています。この種のマイナスな意味合いを少なくとも今後の作品では無くしていく必要があるでしょう。

 「男の子はプリキュアになれるか」という問題の前に、私は「男の子がプリキュアに公然と憧れることができるか」という問題に目を向けなければいけないと考えます。男の子でプリキュアが好きという子どもは徐々に増えており、それはけっこうなことです。だが、彼らがそのことを公然とした場合に周囲から受ける不当な圧力は軽視できない。女の子が「男の子向け作品」を好きと言うことにも種々の障害がありますが(例えば今年の1月に『フルタチさん』というテレビ番組で「仮面ライダーゴーストのおもちゃをほしがる女児」を屁理屈をこねる子として笑いものにしていた)、男の子が「女の子向け作品」、さらには女性のキャラクターを好きと言うことは、場合によっては人格を否定される危険すらあります。この種の圧力を批判し除去する努力が求められます。そうしなければ仮に「男の子のプリキュア」が登場しても、単なるイロモノ扱いされるだけになりかねない。

 上記圧力の原因となる理由は数多くありますが、まず、社会の男性優位状況を反映して女性キャラというものはそもそも男性キャラよりも劣っているとみなされがちですし、実際そのような描かれ方をされる女性キャラは数多く存在しました。男の子が女性キャラ(特に女の子向け作品の)を支持すれば、「より優れた者(男性キャラ)がいるのになぜ劣った方が好きなのか」という周囲の偏見にさらされます。次に、従来(そして現在も)、あまりにも沢山の作品で女性キャラが「お色気要員」として活用されてきたことから、「女性キャラ支持→エロ目的以外にはない」という構図が男の子の世界に作られてきたという問題があります。これからのクリエイターはこの種の偏見を除去すべく、熟考の上に作品を作るべきです(現実には反対方向に行っている傾向がある。あらゆるものを萌え女性キャラにする作品などいい例だろう)。

 さて、『キラキラプリキュアアラモード』ですが、私はこの作品にいささかの懸念を抱いています。既に知られているようにこの作品はプリキュア伝統の素手による格闘戦をやめてしまいました。プリキュアシリーズがそれまでの変身ヒロインアニメや魔法少女アニメと一線を画した最大の特徴を排除したことには重大な疑問があります(なお、同じスタッフが2年前に作中での水着姿を解禁したが、この時も熟考した形跡が乏しい)。

 『セーラームーン』に関しては一年目の第13話に面白い話があります。「女の子は団結よ!ジェダイトの最期」というエピソードで、戦闘中タキシード仮面がやられてしまい、敵幹部ジェダイトが「お前ら女は男がいなければ何もできない」と嘲笑するのですが、セーラームーンたちはその論理に大反論して自らの作戦で見事に逆転勝利を収めます。これは感心させられるお話でした。機会があればご覧ください。

by オーバーロード (2017-10-03 21:30) 

tabaka840

今までプリキュアに対して思っていた事ですが「男らしさ」=「暴力」で完結させる事は好きではないですね。「男らしさ」を「暴力」ではなく「男装」に置き換えたのは凄く良かったと思います。
by tabaka840 (2017-10-06 01:14) 

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