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「オタク対フェミ」でも「男vs女」でもない!――公認萌えキャラ碧志摩メグ女性蔑視問題を交通整理したい [メディア・家族・教育等とジェンダー]

先週(2015年8月初旬)、三重県の志摩市の公認「萌えキャラが、話題にのぼりました。

昨今では、いわゆるアニメ風の絵柄ご当地キャラクターを用いて、地域活性や地場産品のアピールにつなげる動きは珍しくなく、萌えキャラをつかった町おこしとして「萌えおこし」などという言葉も生まれています。

三重県志摩市でも、地域性に鑑み、海女さんをモチーフにした「萌えキャラ」として【碧志摩メグ】を公認して、さまざまなプロジェクトにて活躍させようとしていたわけです。

ところが、このいわゆる「萌えキャラ」の【碧志摩メグ】が、不必要に女性の身体の性的要素を強調しているような印象を醸し出しているのが不快に感じられ、公認キャラとして不適切であるという意見が、おもに地元の本物の海女さんを中心とした女性らから上がっており、「女性蔑視」だとして、署名活動もおこなわれている

……というのが、簡単に要約した今回の一連の顛末です。

で、まぁついでに言うと、お知らせブログのほうの記事にあるように、この問題をとりあげたインターネットニュースチャンネルの番組に、ワタクシ佐倉智美がコメントを述べるために電話インタビューという形で生出演したというわけなのですが(^^ゞ


 →問題の概要はこちらなどにも
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/08/aoshima-meg_n_7959002.html

 →志摩市「公認萌えキャラ」碧志摩メグ公式サイトはこちら
http://ama-megu.com/

◇◇
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 ※公式サイトのトップ画像のキャプチャ(二次引用は不可とのこと)


たしかに、報道などでも紹介されている碧志摩メグのキービジュアルの一部を見ると、いささか胸の膨らみが淫靡に強調されすぎなきらいはあります。ポーズも妙に艶かしさを湛えていると言えるでしょう。

さらにはプロフィールにある「ボーイフレンド募集中」という文言は、うっかり入れることで異性愛至上主義に陥ってしまうばかりか、「女性は嫁という名の商品」のような隠しメッセージを想起させてしまいかねず、期せずして「女性蔑視」だという批判の根拠を強化してしまう結果にもつながる危険があります。

 BL150811AoshimaMeguKy.png
 ※公式サイトより(二次引用は不可とのこと)


これらを勘案すると、やはりこの「萌えキャラ」のデザインに際しては、異性愛男性は女性身体のこういう要素が好みであるにちがいない! というような措定に基づいた安易さが介在し、結果として見て不快になる人もいるようなディティールが混入してしまったという経緯は、想像に難くありません。

その意味で「女性蔑視」というのは、相応に的を射ており、決して荒唐無稽なクレームではないと言わざるを得ません(そしてじつは「男性蔑視」でもあったわけです)

実際、現行社会の「男女」二分構造のなかで、男性中心の公的領域に重心がある現実は、権力リソースの配分にきわめて深刻な不均衡をもたらしています。
そうして公的領域の重要な価値基準である異性愛男性としての女性に対する性的欲望を称揚するために、「女性」がその身体を人格と切り離されて性的に客体化されて消費されることも、ポルノグラフィの作中世界か 現実の関係性の場なのかを問わず、日常茶飯に起こっています。

もっぱら「男性」としての生活を割り当てられているとなかなか体感する機会はないのかもしれませんが、「女性」として生活していると、非常に無礼なニュアンスの視線で男性から性的対象として眼差されることは珍しくないのです。
性犯罪への用心の気苦労も絶えませんし、本当に性的被害に遭うことだってあります。

そうした状況下では、女性ジェンダーを生活している者としては、女性を性的に描いたコンテンツのありように対してセンシティブにならざるを得ません。

したがって、こうした社会構造に対して無批判無自覚的につくられたコンテンツの、妥当性を欠く点への異議申立てはまったく正当であり、誰もが真摯に耳を傾ける姿勢が望まれるのは言うまでもありません。

◎特に今回は海女をモチーフにしたキャラクターに対して、実在の地元の本物の海女の皆さんから批判が上がっています。
当人でないとわからない不快感というのはたしかにありますし、それを上手く言語化するのにけっこうな労力もかかります。
私も性的少数者としての立場から「翠星のガルガンティア5話問題」を指摘したときに「細かいことに文句を言うな」といった反対意見には徒労感を禁じえなかったものです。
そのあたり、過剰反応と一蹴するのは論外としても、形式的な意見交換で終わるのではなく、じっくり丁寧に意見を汲み取るプロセスが望まれるところです。


しかし一方で、勢い余って「萌えキャラ」全般を非難するような声も聞こえてくるのはいかがなものでしょうか?

いわゆるアニメ的な絵柄のキャラクター自体は単にひとつの表現のスタイルであるにすぎません。それ自体を、一面からの嫌悪を普遍化して全面否定するのは「萌え」文化全体を不当に軽視した行為ではないでしょうか。

たしかに「萌え」の表現技法はポルノ的に女性の身体性を性的に強調する描写とも親和性は高いでしょうから、そうしたポルノ的な表現物の中に「萌え」風のアニメっぽい絵柄のものが目立つことがままあるのも否めません。
しかし、ポルノ的な表現はどのようなジャンルの手法でもありうるものであり、「萌え」表現に限ったことではないでしょう。
であるならば、問題は「萌え」ではなく「ポルノ的な表現」であり、それ自身もまた、適正なゾーニング等々を施せばすむことであります(実写ポルノの場合の「制作被害」などはない前提で)

にもかかわらず、今回のような問題に際しては、なぜか「萌え」文化全体が総体的に非難され否定的な評価にさらされるのというのは、他のジャンルでは起きない(例えば実写のポスターが性的すぎて問題だというケースで、起用された女優さんが全否定されたり、写真というメディアそのもの全部が非難されたりすることはない)ことと比較すると、不自然なダブルスタンダードだと言えます。

アニメなどの、いわば「オタク文化」もれっきとしたポピュラーカルチャーの一側面です。その文化的意義を正確に把握せずに過小評価したりすることにもまた、ある種の権力配分のアンバランスに由来するヒエラルキーを感じます。

あまつさえ、「萌えキャラ」や「オタク文化」の愛好者への人格攻撃にまで及ぶ否定的意見となると、扇情的なヘイトスピーチの様相さえおびてきます。

今回の問題は、あくまでもキャラクターの表象に立ち現れているいくつかのディティールに収斂するものです。
そこを、やたら的を大きく誤認した批判に拡大してしまうのは、正義を履き違えた、偏見に基づく差別であって、これもまた不当なものとなってしまうのではないでしょうか。


結論から言って、今回の問題は、キャラクターを制作するセクションと、地域おこしの当事者集団のひとつである地元の海女の皆さんとの間での、コミュニケーション不足が原因の一言に尽きるのではないでしょうか。

つまり、現場での幅広い意見の集約ができていなかったがためにプロジェクトの趣旨に適っていない部分が生じてしまったがゆえのトラブル。

制作側は、もっと実際の海女さんにしっかり丁寧に取材し、海女の皆さんも積極的にかつ好意的にプロジェクトに参画できる、そういう環境が実現されていれば、「萌えキャラ」をどのようなデザインにするかという点にも最適解が導き出せたはずです。

逆に言えば、ソレができていなかったがゆえの行き違い。

コンセンサスを形成するプロセスが不十分だったために、その成果物において、プロジェクトの趣旨に見合ったチューニングに失敗してしまった……。

ただ単に、それだけのこと。

もちろんこの「単に、それだけ」というのは、問題を矮小化しているのではなく、社会的な背景まで含めた全体像は俯瞰したうえで、問題を「今」「ここ」で議論するに相応しい適性なサイズに切り出す作業であり、効果的なソリューションを導き出すうえで必要となる、合理的な操作としてのものです。
これをきちんと適切におこなうことで、話し合いのスタートラインも、当座の目標となるゴールまでの最短距離に引くことが可能となるのです。

そしてそう考えると、多様な立場の人が対等に参画し、相互尊重の姿勢で意見を集約して、ちょうどよい落としどころをちゃんとすり合わせていくのであれば、「萌え」を用いた地域活性化を、誰もが納得できる形で進めていくことは、決して夢物語ではなく、じゅうぶんに可能な現実的なプロジェクトなのだということになります。

事実、報道によると、批判を受けた後は、それらを踏まえてデザインに配慮をおこなっているとのことです。

このポスターなどは、たしかに「露出」は控えめだし、胸も不自然に強調されている印象はないです。

 BL150811AoshimaMeguPs.jpg
 ※公式サイトより(二次引用は不可とのこと)

はじめからコレであれば、問題にはならなかったのではないでしょうか。

サミットの開催に鑑み、外国の人が見たらどう思うか……という意見も、もちろん考慮が必要なところですが、グローバルスタンダードが常に必ず正しいわけでもないことを思えば、やはり「まず否定ありき」ではなく、日本発の「萌え文化」が国際的に主流化されている価値規準をゆさぶり、世界を真に人権尊重と生活者優先の豊かな社会経済システムへと変えていく可能性も検討されるべきです。その意味でも「クール・ジャパン」の旗には、じゅうぶんに意義はあるのではありませんか。


しかしながら、残念なことに、これと類似した論争は、じつのところしばしば起きています。

そしてそのたび、にいわゆる「オタクvsフェミニスト」「男vs女」の構図に落とし込まれた挙句、互いが罵詈雑言の限りを尽くした感情的に全否定しあうという、きわめて非建設的な両陣営の全面戦争になりがちです。

いったいなぜそんなことになってしまうのでしょうか。

ひとつには、社会のあらゆる物事が「男女」で仕切られているために、人は各々が割り当てられたジェンダー以外の生活ができず、それゆえに「男」は「女」の、「女」は「男」の生活上のリアリティについて知り得ない部分が多々生じてしまうために、相互理解が妨げられているという現状があるでしょう。

これについては、やはり互いに自分からは見えていないものがあることを自覚し、相手を慮って共生の道を探るとともに、そうした「男女」カテゴリ自体を疑う習慣をも身に付けていくことが望まれます。
何でも「男女」で割り切れるはずはないし、「男」「女」という区分自体が便宜的に仮構されたものなのです。

さらに言えば、「女性」に対して性的に惹かれるのは「男性」だ!! という決めつけもまた、ものすごく異性愛を標準化しすぎたヘテロノーマティビティです。
性的に何に惹かれるかひとつ取っても、「女性」も「男性」も多様なのですよ。

だから「萌えキャラ問題」ひとつ議論するにしても、いちいち「男vs女」のフォーマットにはめ込もうとするのはとんでもない誤りです。

ついでに言うなら、「性」のありようについても、もっと混沌とした良い意味での猥雑さが、もう少しオープンに語られる社会にしていくほうが、「性」に起因した悩みの少ない世界なのではないかと思います。


「オタク」と「フェミニスト」についても、結局は「男vs女」の構図において売り言葉と買い言葉を繰り返した果てに、習慣的に対立グセがついているだけな面は大です。

むしろこの両者の位相は、本当はかなり近似しているはずで、両者が反目し対立しないといけない理由が、ワタシには理解できません。

だいたい「オタク」男性などというのは社会の男性特権領域からは周縁化された位置に疎外されている属性なわけで、そういう男性特権領域の中核部分に権力リソースが集中する社会構造を批判するフェミニズムとは、共闘こそすれ、傷つけ合う理由などないのです。

はてさて「オタク」と「フェミニスト」が諍うことで、いったい誰が漁夫の利を得ているのでしょう!?

まぁ少なくとも、今日のアニメ・マンガなり、「萌え」コンテンツといったオタク文化なり、各種のポピュラーカルチャーというものには、じつはすでにこれまでのフェミニズムの成果が大量に取り込まれています(むろんタイトルによってその濃淡はまちまちでしょうが)

例えば紅一点問題ひとつとってみても、この40年での変化はめざましいものがあります。
「萌え」的な絵柄の女性キャラクターが数多くあふれていることは、今日のアニメにおいては、女性主人公が男性キャラの補助やケア役割に回収されることなくイキイキと活躍し、主体的に行動しながら女性どうしの関係性を深く育んでいる、そういう作品がたくさんある状況と表裏一体のことです。

また(ゾーニングが必要となるような二次創作は別として)今日のアニメの作中では、女性キャラクターが作劇上の必要もないのに無意味にセクシュアルハラスメントに遭うことも控えられています。
これは(今でもドラえもんには必然性なくしずかちゃんの入浴シーンが出てくるように)作中の女性キャラクターが作中の男性キャラクターから作中でスカートめくりなどの被害に遭っていたような時代とくらべると、明らかに違います。

他にも、ジェンダー観点からのポリティカルコレクトネスには、慎重に気が配られていることが通例です。

まさに今日のアニメ・マンガ、オタク文化などのポピュラーカルチャーは、積年のフェミニズムの成果の上で成り立っているものなのです。

この点は、今一度、「オタク」も「フェミニスト」も、双方がキッチリ理解するべきです。

◎二次創作などについては、たしかに「エロ目線」が全開となったものもなくはないですが、それらが愛好される局面は、やはりある一定の広い意味でゾーニングされた範囲内であり、そうした「エロ二次創作」などを愛好するファンが、元の作品をも、もっぱらそういう視線でしか観ていないわけではありません。


そのうえで、例えば今回の「碧志摩メグ女性蔑視問題」なども、冷静に「オタクvsフェミ」とか「男vs女」とかの単純な図式の話ではぜんぜんないことに気づければ、そういう無益な対立軸を超克して、もっとみんな相互尊重の姿勢で理解しあい話し合い、ピンポイントにコンフリクトが起きている問題箇所をサクっと実務的に解決して、より良い形で豊かな文化を発展させていけるのではないでしょうか。

フェミニズムはみんなのもの」です。

そしてまた、「萌え」文化の消費者も「男性」ばかりではないのです
(若い女の子たちも萌え絵を見てカワイイと評価しているようなことはフツーにあります)。

そうして、「オタク」と「フェミニスト」の(および「男」と「女」の)断絶の壁が超克された新時代が到来した暁には、「萌え」コンテンツに象徴されるポピュラーカルチャーの力が、現行の権威主義的で経済発展優先の社会の仕組みを、目をみはる鮮やかさで転換していくことになるのかもしれませんよ!


◇◇


40年後のガッチャマン [メディア・家族・教育等とジェンダー]

「たびたびスミマセン(^^ゞ さらに引き続き、またもや佐倉智美 著・小説『1999年の子どもたち登場人物の佐倉満咲です;」

「例によって同じく、栗林理素奈です」

学級委員の桜庭詩諳です。今日は歩ちゃんが病院の診察の日なので、私が代わりなのです」

「本編の作中では、まだこの時期の私たちは歩クンのそういう細かい事情、知らないんだけどね、本当は」

「ソレを言うなら、私だって本格的にストーリーに絡んで、みんなと仲よくなるのは9月からの文化祭編第3巻参照)以降だったり;」

「……クリスマスパーティ翌日に風邪ひきのミサキちゃんを介抱するシーン(第4巻参照)は百合アトモスフィア全開よね(*^_^*) あれはやっぱり《愛の告白》??」

「いえいえ私なんて、春休みに海浜幕張のホテルでダブルベッドが役立つことになる(第7巻参照)ソナちゃんには、敵いませんヨ(*^_^*)」

「はいはい2人とも、本編作中じゃ互いに知り得ない情報で会話しない(^^ゞ」

「そうだったね」

「ゴメンね、ミサキ」

「で、ミサキちゃん、前記事前々記事に続いて、私たち3度めの召集なんだけど、今度は何??」

「いゃぁ、またお父さんからの指令でさ、【キミたちに集まってもらったのは他でもない。『響け!ユーフォニアム』←→『エースをねらえ』のような比較対象を的確に設定した新旧作品比較には大いに意義があった。この機会に他にも済ませておくべき案件があれば取り組んでおくのが望ましい。そこでキミたちの使命だが、それを《ガッチャマン》についておこなうことにある。ギャザー、ゴッドフェニックス発進せよ!】ということなんだ……(^_^;)」

「大変ねぇ、ミサキも(^^)」

「ガッチャマン……って、昔のアニメのヒーローだっけ??」

「そう、1970年代にやってた『科学忍者隊ガッチャマン』が、そもそものオリジナル。いろいろ凝ったストーリーと丁寧な設定で、今も高く評価されてると聞いてるよ。ただ、チームヒーローとして5人のメンバー中に女性は1人だけで、ジェンダー的には質・量ともに、いわゆる紅一点問題を典型的に露呈していたという批判も今となっては免れないとも……」

「たしかに白鳥のジュンの役回りは、1970年代当時にはそれなりに挑戦的だったかもしれないけど、現在の肥えた目で見てしまうと、ものすごく類型的だと言わざるを得ないでしょうね」

「……でもガッチャマン、最近リメイクされたのよね?」

「そう。2年前に首都圏などでオンエアされてた『ガッチャマンクラウズ』。関西では放送されなくて、この前やっとニコニコ動画で観れたって、お父さんウルさくてさぁ(^^ゞ」

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(画像は公式のサイトより。以下は本記事中は配信画面より。 →NTV公式サイト

「やっぱり、旧作とはいろいろ違ってたりするの?」

「うん、基本的に旧作とはまったくちがう新しいガッチャマンだった。作中の設定で舞台となってるのが、やっぱり2015年なんだけど、これもまた真の2015年クォリティの《ヒーロー物語》って感じ。すごいヨカッタし、おもしろかった!」

「テーマとしては、SNSに潜む様々な危険性をきちんとふまえつつ、それでもそうした新しい情報通信ネットワークがひとりひとりの端末を介して人々の善意を的確につないでいくことによって社会をよりよく動かしていく可能性を描いてる……んだっけ?」

「だいたいそんな感じかな。その結果、【ヒーローとは何か】という命題の21世紀における解答例も示してたと思う」

ジェンダー観点で評価したらどうなるのかしら。男女混成のチームヒーローなのに主人公が女子高校生なんでしょ?」

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「いゃあ、一ノ瀬はじめチャン、最高だよ。彼女が主体的に行動することが積極的に物語を動かしていく様は、まさに新時代男性的な正義の論理を優先する社会の中で周縁化されてきた女性的な価値基準が今こそ重要だと、わかりやすく描かれた、いわば《ケアとキュア》のガッチャマンだね。以て、この2015年が、旧作『科学忍者隊ガッチャマン』の時代の紅一点問題を何段階も超越した位置にあることを心地よく再確認できる仕上がりだったヨ♪」

「この図版とか、女の子の変身なのに変身後の意匠が、あえて顔まで隠れる《特撮スーツ》タイプで露出控えめってのも珍しくないの?」

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そのとーり。あと、はじめチャンの豊満な胸も、一見するとただの《サービス》に見えるけど、これにもちゃんと意味がある。ラストのナニを《少女の自己犠牲による世界の救済》と批判するのもできなくはないけど、ソコまで悲壮にも描かれてないしねー」

「それから、一ノ瀬はじめチャンってボクっ娘なんだよね」

「そうそう。さらにもうひとり一人称がボクな女の子が出てくるように見える」

ボクっ娘が2人も出てくるなんて、私たちと張り合うつもりかしら(^^)」

「……ハハハ、奇遇だねぇ(^o^;)」

「ただ、そのボクっ娘に見える累クンって女装少年なんじゃなかったっけ」

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「ボクっ娘が女装少年!? どこまで……!!」

「しかもその累クンが女装少年として行動している理由を誰も追及しない! 視聴者から見れば、人目を欺く変装なだけともとれる一方、ラストで事態が収束した後の生活でも女装状態を継続してて、さらには女友達ができて嬉しそうな描写もあったから、何らかの性別違和を持っているがゆえにも思える。でも結局のところ作中では、それはべつに累クンがそうしたいからそうしているだけで、ソレでべつにかまわないというスタンスになってる。これはプリパラのレオナにかかわる描写の先がけとなってたわけだね」

「………むしろ理由があるのは、もう古いのかしら?」

「大丈夫よ。ソコまで言わなくても(^_^;)」

「他にも異星人とのハーフでベテランのメンバーという設定のO・Dさんにも《おネェキャラ》属性を入れてあるし、ストーリー全体を通じた敵として存在するベルク・カッツェも、もちろん性別不詳だから、はじめチャンの一人称がボクなことを除いても、なんとトランスジェンダルなキャラクターがしれっと3人も登場し、そのこと自体は何ら問題視されずに、各々のキャラは役割を果たしてることになる。これはプリパラのレオナも驚く画期的さで、かなり攻めた設定だと評価すべきでしょ」

「ベルク・カッツェって、同名のキャラクターは旧作『科学忍者隊ガッチャマン』から登場してるんじゃなかった?」

「そーなんだよ。旧作での敵の中ボスがベルク・カッツェで、そのときからすでにトランスジェンダルな属性が入ってたんだ。じつはその正体は本来は男女の双……」

「ミサキちゃん、ダメーーーぇぇっ!!!

 それ、ものすごぉぉーく私たちのネタバレ!
  アタヽ(д`ヽ彡ノ´д)ノフタ 」

「……なんかものすごくヤバかったっぽいわねw」

「悪かった; いやはやまったくもぉ、作者ったら旧作ガッチャマンどストライク世代なんだから(^^ゞ」

「ともあれ『ガッチャマンクラウズ』に関しては、今月から2期の『ガッチャマンクラウズ インサイト』が始まってるみたいだし、要チェックじゃない? →NTV公式サイト

「そ~だね。新キャラとして追加登場するガッチャマンも、変身するのは個性的で魅力いっぱいの女子高校生ということで、キービジュアルなんか見ると、ほとんど《ふたりはプリキュア》状態w」

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「……コレはもう、1970年代の人に見せて【これが40年後のガッチャマンです】って言っても、信じてもらえなさそうねw」
※じつは旧作『科学忍者隊ガッチャマン』第100話のサブタイトルが「20年後のガッチャマン」だったりします

「むしろ2011年前後へ持って行ったら【これ来年のプリキュアの流出バレ画像!】と人を担げそうなくらいだろ(^^;)」

「私たちの本編作中で2学期の文化祭のクラスの劇でミサキが書く台本が変身美少女戦士モノ第3巻参照)なのも、こういうリアル2015年の状況に鑑みると、ホントにさもありなんって感じだね」

「いやはや;」

「というところで、その文化祭の準備も控えてる本編作中に戻りましょうか」

「では皆様、今日のところもそろそろお開きに…」

「またね~(^^)ノ」



  

  

  

  §全7巻§


◇◇


響けユーフォニアムがエースをねらえよりむしろプリキュアに似てる件!? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

「ど~もー、前記事に引き続き、またまた佐倉智美 著・小説『1999年の子どもたち登場人物の佐倉満咲です(^o^;)」

「同じく黒沢歩です……」

「やっぱり同じく、栗林理素奈で~す;」

「ぃや~、期末テストも終わって一息だねぇ」

「ボク、ちょっと赤点が心配…」

「歩クンは大丈夫でしょ。……それより前記事でとりあげた『響け!ユーフォニアムも、アニメのほうは最終回がすでに済んだわね」

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(放送画面より。以下、響けユーフォニアムとプリキュア画像は本記事中は同じ)

「もぉ めっちゃ感動だったよね。……ボクもやっぱなんか部活しておけばよかった気がしてきたよ(^^ゞ」

「ボクたちはストーリーの行きがかりで下校部(帰宅部)になっちゃったからねー」

「作中の時系列だと、今頃って、ちょうどアニメ第10話のあたりなのかな」

「第13話の吹奏楽の京都府大会の本番が、ボクたちが福井県坂井市三国へ臨海学習会に行ってる頃あたりだそうだよ」

「じゃぁ、私たちが京都駅前に買い物に行く日は、向こうのアニメ第12話くらいに相当するのね。帰りに電車が宇治川渡るときに黄前久美子チャンが橋の上で叫んでないか、よく見とこぅっと(^^)」

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「それはそうと、どうしてボクたちまた前記事に続いて再登場なの?」

「そうそう。お父さんからちょっとアドバイスをもらってさ。『響け!ユーフォニアム』原作者がセーラームーンネイティブ世代という点に着目するなら、もっと現時点でのプリキュアシリーズとの相同性をていねいに整理しとけとか、『エースをねらえ』を引き合いに出すなら昭和のスポ根モノとの差異をもう少し具体的に比較しろとかね」

「さすが作者、なかなか的確ねぇ(^o^;)」

「……つまるところ『響け!ユーフォニアム』を概観して強く感じられるのが、物語の基本線キャラ配置のメソッドに、プリキュアシリーズと共通するところが大きいってことで」

「そうなんだ……」

「まずもってそれを象徴するのが、アニメ『響け!ユーフォニアム』OP主題歌『DREAM SOLISTER』が、なんか女の子が変身して戦うようなアニメの主題歌っぽく聞こえることだったり……」

 

「そういえばエンディング主題歌の『トゥッティ!』のCDでcwになってる『ベルアップ!』も、なんだかプリキュアシリーズのエンディング主題歌によくありがちな内容だよ」
※「トゥッティ/Tutti」はイタリア語で、音楽においては全員そろっていっしょに演奏することの意

 

「で、滝先生の位置づけが、ドキドキプリキュアのジョー岡田氏ていどの重要……というのも、あながち単なる中の人ネタではなくて、なかなか思った以上に正鵠を射た比喩かもしれないし…」

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「この黄前久美子×塚本秀一関係性は、ハピネスチャージプリキュアでの 愛乃めぐみ×相楽誠司相似形なんだよね」

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「言われてみると、キャラ配置なんかも……。加藤葉月チャンは、5人編成プリキュアでの赤の人に相当してるし…」

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川島緑輝と書いてサファイアちゃんは、いかにも黄色プリキュア(^^)」

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「あと、そのデンで行くと高坂麗奈チャンは、いわゆる紫プリキュア的な立ち位置なんだけど、初期の久美子との緊張した関係は、ハピネスチャージプリキュアでの ひめ×いおな と照応しているようにも解釈できるよね」

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「なるほどな。部活モノのジャンルで、新着任の指導者を迎えて全国大会をめざすストーリーなのに、昭和のスポ根アニメとよりも、むしろプリキュア等を連想させられるようなつくりになってるというのは、やはり若い世代の創作者の新しい感覚によるところで、今風のゆえんなんだね」

「でね、『響け!ユーフォニアム』原作小説2巻を読むと、ますますだよ。夢が叶わなかった絶望やふとした誤解からの友情のすれ違いによって心を閉ざしてしまった少女が《ラスボス》で、その救済と、和解、友情の恢復がクライマックスになってるの」

「それ、たしかに昨今の《女児アニメ》の鉄板の題材だもんねー。アニメ化すればまさに変身バトル抜きバージョンのプリキュアだよ(^^;)」

「だから、1992年生まれの女性が《女性主人公たちが部活で全国大会をめざして奮闘する「スポ根」青春小説》を書いたら、往年の『エースをねらえ』のようなテンプレをいちおうは下敷きにしているようでいて、それにもかかわらず、むしろプリキュアとそっくりと言ってもよい物語ができたというのは、やはり大きな意味がある……。そのあたりをお父さんもおっしゃってるのね」

「じゃぁ、一方での、その『エースをねらえ』とは、どんなふうな点が相違するんだろ?」

  

(原作コミックや全シリーズのアニメを仔細にチェックすると別途ありえるとしても)いちおうコンパクトにまとまっている1979年の劇場版アニメに準拠すると、まず前記事から書いてるとおり、滝先生と宗方コーチの位置づけがゼンゼンちがってる。加えて、滝先生本人は難病で死んじゃったりしない」

「ソコも巧妙にズラしてあるけど、『響け!ユーフォニアム』では才能を買われて上級生を差し置いて抜擢されたことで反感を抱かれてしまうのが麗奈チャンで、メイン主人公ではないというのも、巧妙なズラしだわ。てゆーか、吹奏楽の力量的には麗奈チャンこそが『エースをねらえ』のお蝶夫人に相当するところとかも」

「だからこそ久美子×麗奈の深い関係性がこってりと描写可能になってるわけかぁ」

「……『エースをねらえ』では《百合》描写はないの?」

「うん。……今の視点だと、何か物足りないのはソコね。岡ひろみ×愛川マキの関係が薄味でストイックに見えちゃう;」

「今ならもっとシンフォギアの立花響と小日向未来のようなディープな方向もありうるはずだもんなぁ。……世界へ羽ばたこうとするひろみを応援し、自分はひろみが帰ってくる場所を守っていると言うマキに[愛川マキは、私にとっての陽だまりなの。マキのそばがいちばんあったかいところで、私が絶対に帰ってくるところ(はぁと)]みたいに返すとか見てみたいゾ(*^_^*)」

「そのへんが時代的な限界? 当時はその発想はなかったのかしらね」

「で、やっぱ『エースをねらえ』では《男》の存在感がやたら大きいよ。男子テニス部の藤堂先輩なんて主人公・岡ひろみとアッサリとフラグを立てては、やすやすとソレを回収していくんだから、久美子チャンの幼馴染・塚本秀一クンが見たら羨むことこの上なしw (そしてソコは秀一クン「俺ももし昭和に生まれていたら…」ではなく「俺も女だったら麗奈と対等に張り合える…」のほうへ行ってほしい(*^_^*))」

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(劇場版エースをねらえ画面より。以下、本記事中は同じ)

「そういえば岡ひろみと宗方コーチとの関係性も、いわば強い絆として作劇の中心になってるわ。この点は『響け!ユーフォニアム』では、麗奈チャンは滝先生にLOVEとはいうものの、アニメではそのことをセリフで説明した以上の演出はほとんどないし、あまつさえ恋愛ボケ描写などは避けられてる。むしろ強調されていたのは、音楽に対しての純粋で真っ直ぐな思いと、あとは久美子チャンとの深い心のつながり(*^_^*)」

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「『エースをねらえ』だと、岡ひろみが抜擢されたときに、ただそれだけで羨望や嫉妬の念を周囲から向けられてしまい、それがいわゆる《女は陰湿》という印象をミスリードしてしまう問題があったのを、『響け!ユーフォニアム』は慎重に回避してるのも大きいよ。紛糾したきっかけは選考に不正があったのではないかという疑惑だし、それを執拗に追及する先輩側にも、周到にドラマが用意してある。全員の行動の動機が、音楽への思い、部活へのひたむきさ、他者への思いやりになっていて、本当に《誰も悪くない》んだから」
※『エースをねらえ』でもテレビシリーズでそのあたりを補完するエピソードは描かれているそうです→ http://www.style.fm/as/05_column/animesama01.shtml 他にもひろみとマキをはじめ女性キャラどうしのつながりについても

「ともあれ、こんなふうに比較対象のサンプルとして適切なものを定めて共通項でくくり、その上で相違点を洗い出すと、最新作の何が新しくて21世紀的で、この先はどう変わっていくべきなのかも考えやすいし、逆に旧作のどこが古く因習的で何が昭和っぽいのかがハッキリ認識できるからわかりやすいわね」

「そして大きなちがいの何が核心かというと、複数の女性キャラに多層的な関係性をつくって物語を動かして描いていくメソッドが、《セーラームーン以降》に象徴される蓄積によって、この2015年においては確立しているってことじゃないかい?(人数的にもアニメ化においては女声声優の層の厚さが相当なものになってるだろうし)」

「そういう意味では『響け!ユーフォニアム』は、まさに《プリキュア10周年時代のスポ根青春ドラマ》なのね」

「そのうえで、そうした点を差し引いて『エースをねらえ』を観直してみると、当時の枠組みで可能な範囲で、ジェンダー問題等々にもかなり挑戦的に取り組んでいたことがわかるから、そこのところは過小評価してはいけないだろうねぇ」

「『岡には女を超えてもらう』みたいな宗方コーチのセリフとか、何より、まずもって女性主人公なこととか?」

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「うん。それから、特に1979年公開の『劇場版エースをねらえ』は《スポーツ》《根性》よりも《青春》に重心を置いて組み立てられているせいもあって、高校生がひたむきに何かに取り組む様子は、思った以上に【なんだ、今も昔も、そんなに変わらないじゃん】という印象も強かったりする」

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「学園、青春。そして友情、努力……。そういうのってじつはものすごく普遍的なんだね」

青春時代の尊さは昔も今も変わらないんだ……」

「……というわけなので、ボクたちも、自分たちの小説本編の生活に戻ろうか」

「そういえばミサキの誕生パーティがもうすぐだね」

夏休みになったら臨海学習会。いよいよ序盤のヤマ場ね。……しっかり思い出つくりましょ♪」

「ではでは皆様、また~(^^)ノシ」



  

  

  

  

  §全7巻§


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