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「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

「性的な表現」が問題となるとき [メディア・家族・教育等とジェンダー]

§胸がキュンとするときこそ
女の子は強くなれる§

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アニメ『プリパラ』放送画面より
(当記事中同じ)

………のっけからアニメのアイドルの少女が謎の漁師姿で大漁旗(^o^;)
これはいったい!?

という方もおられるかもしれませんが、コレについては後述します。


さて、先月は前記事のとおり「碧志摩メグ騒動に、いきがかりで巻き込まれてしまったのですが、さしあたり個別の案件としてのこの問題は、現地の直接の当事者において、適切に対話をおこない意見をすりあわて、最適な落としどころで解決を図ってほしいものです。

当然ながら、一方が過剰な「オタク差別」言説に基づいた強硬な主張を譲らなかったり、逆に擁護派が一切の批判を「フェミの戯言」等と一蹴したりという応酬は、不毛で非建設的なものでしかありません。

多様性を包摂するための交渉と相互の譲歩」は、民主政治というシステムが運用されている社会における主権者としての重要な素養でもあります。

とはいえ、表現物に含まれる性的な要素については人によって受け止め方の幅が大きいのも確かです。
「多様性」を前提にするのなら、そうであるからこそ誰もがセンシティブであるべき事柄なのだとも言えるでしょう。

はたして、「性的な表現」が問題とならないようにするには、どのような配慮が望まれるのでしょうか。
※このテーマもしっかり精緻な分析をすれば、もっといろいろ掘り下げられるでしょうが、さしあたり当記事では簡潔な考察にとどめます


基本中の基本となる事項としては、実写作品の撮影等においては、演者に対する「制作被害」がないことは大前提となります。
制作過程で演者の安全を保障することは、もちろん性的な要素に限ったことではないでしょうが、現状では性的なことは相当にデリケートな問題です。

演者が安心して出演でき、出演したことによって当日もそれ以降も一切の不利益を被らない体制は、関係者が全力で実現することが求められるものです。

過激な内容のポルノなどではもちろんのことですが、例えばどのような表現物であっても(とりたてて「ポルノ」的なものでなくても)何らかの形で子どもをモデルに使用する場合は、その子どもの現在と将来を見据えた慎重な取り扱いが望まれるでしょう。

ただ、この「制作被害」については、作品が絵・マンガ・イラスト・アニメ・CG等々である場合には、原則として発生しないものです。
この点は、こうした性表現をめぐる問題を整理し切り分けるときに、ひとつ留意すべきポイントだと考えられます。


そのうえで、何に気をつけるかとなれば、つまるところ、「場」にそぐわないものにならないようにする……に尽きるのではないでしょうか。

特に公共空間に掲出するなど、不特定多数の人々の目にとまる可能性が高いものについては、人々の多様性のレンジも最大限に広いでしょうから、やはりなるだけ不快に思う人を少なく、できるだけ多くの人がこころよく納得できるように、最大公約数的な「無難さ」が要求されることが妥当でありましょう
(むろん、「最大公約数」がどのあたりにあり、これなら「無難」だという基準は、仮に日本国内でも地域差などがありえますし、時代とともに変化もするものですから、絶対普遍のガイドラインはなく、そのつど公平公正に審議することが望まれます)

その意味では、件の碧志摩メグの初期の一部のビジュアルは、胸の強調やポージングなどにおいて、公認キャラクターとしてはいささか逸脱したデザインだったと言えるところも部分的にはないではなかったわけです。

あるいは、例えば美術館の特別展で公開される作品自体が刺激的に過ぎる場合でも、表現の自由は最大限尊重されるべきですが、その美術館の最寄駅その他に掲出される宣伝広告などでは、若干の工夫はほしいところだと言えます。

この他、公共空間に不適切な性的表現が問題視される事例はしばしば現れるのですが、個人的にはインターネット上の広告が、閲覧しているサイトの内容とは無関係に、自分が好まないエロさであるケースが、かなり無差別的に発生していると思います。

このように、望まない人が、望まない時に、望まない「場」で、望まない内容の「性的な表現」を目にすること、そういうことがないように、しっかりキチンとゾーニングをおこなうことは重要です。

逆に言えば、制作被害がないのであれば、過激でディープな性表現であっても、あとは効果的・効率的なゾーニングの問題ということになります。

「過激でディープな性表現」は総じて差別的暴力的などと問題視する向きもありますし、そうした指摘からも汲むべき点は多々あるでしょうが、一方で、人の性的ファンタジーが多様であることに鑑みると、どんなに差別的だったり暴力的だったりする人権侵害的な許されざる内容であっても、そういう妄想を必要としてしまう人が存在することは認められないといけません
(そういう性的ファンタジーをそのまま実行することは許されないことだということと、そうした性的ファンタジーの存在自体は理解すること、およびそれらの性的ファンタジーに基づいたフィクションの創作物が制作されることを受容すること、これらはじゅうぶんに両立します

ゾーニングの隙間から、漏れ出てくるものもどうしてもあるでしょうが、そもそも「こっちのゾーンには何があるか」のインフォメーションもなければゾーニングが機能しませんから、そういう漏れ出てくるものを目にする機会も、「お互いさま」と誰もが言えるよう、最大限に不均衡をなくして相互に譲りあう態度は望まれるところです。

「こんなにも極悪非道で不埒なな妄想を抱えた自分は異常であり変態であり、生きていてはいけないのではないか」と懊悩する人に、「こんな葛藤で苦しんでいたのは自分だけではなかった」と思える情報を届けることも、誰かを救うということであるはずです(もちろん、そのために別の誰かの負担がいちじるしく過重になることは避けられないといけませんが)。

もう何度も言ってますが、「成人の」「異性に」フツーに欲情することだけが、唯一絶対の正常なセクシュアリティ………ではないのです。


なお、現行社会が人を「男女」で仕切った構造にあり、かつそこで「男」として配置されたグループ内で標準化され卓越的になっているセクシュアリティが覇権的な現状では、ゾーニングの隙間から漏れてくる性的表現の多くで、ジャンルが「一般的な男性向け」に偏り、そこでの描写が立脚する価値観も特定の階層からの視点に依りすぎているきらいは否定できません。
そこにある不均衡や権力関係は、当然に是正されるべきものです。


あと、いわゆる「青少年に有害」言説については、多少のレーティングはやむを得ないとしても、何がどうなっていたら「青少年に有害」なのか、性的な情報の何もかもを「青少年」からいたずらに遠ざけることだけが本当に最善な方策なのか……あたりをキチンと議論の俎上に乗せたうえで、まずは真に必要な性教育の体系を整える作業を早急に始めるべきだと訴えたいですね。


そうしたことも含めて、ひとりひとりが性的表現に対する感性を磨き、性的な要素を含む表現物に接したときに、その表現の多面的な深層を読み取り、描かれている真意を複眼的に捉えるリテラシーを持つことで、短絡的な反応を慎むことは大切でしょう。


  


……というわけで、ここでちょっとケーススタディです。

アニメ『プリパラでは、2015年夏期に用いられたエンディングでのタイトルバック絵で、主要登場人物たちが過ごす夏休みの様子を描いていたのですが、

そのうちの一枚、

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この、北条そふぃがドレッサーの前で身支度をしていると思しきカットが、幼児視聴者の保護者と思われるスジからBPOに「性的すぎる」という趣旨のクレームが入ったことを受けてか、期間の途中で差し替えになってしまったのです。

で、その差し替え後のカットが、当記事冒頭の「謎漁師大漁」だったわけです。

しかし、どうでしょう?

これは公平に見て、ゾーニング・レーティングが必要なほど過激でも差別的でも暴力的でもなく、ただ少し大人びた装いをする少女の絵にすぎません。

たしかに大人の視聴者は、例えば少し前にあるレオナ・ウェストのこのカット…

 BL150923FishSofi03Le.JPG

…と つながっているのではないか!? などと想像をたくましくして(*^^*)盛り上がっていましたが、それはあくまでも大人ゆえのことです。

これを見た幼児の反応としては、お姉さんになることへの健全な形での憧れなどが一般的と考えてよいでしょう

つまり、子どもも視聴する時間帯に放映されるアニメの絵柄としては、じゅうぶんによく考えられた範疇にあるという合意の形成は容易なものです。

その意味ではこれは「青少年に有害」の錦の御旗に基づいた過剰反応だったと判断せざるをえないでしょう。

本当に問題があるときにBPOへの申告が有効に機能するためにも、「弾は有効に使う」、その使いどころを見極めるスキルは、やはり社会人として磨きたいところです。

だいたい、あの絵くらいで問題視するほどの保守的な保護者であれば、まずもって問題にすべきはレオナの存在であるはずです。

そこをスルーして目立つところにいきなり食いつくあたり、このテのクレーマーがいかに作品の表現を表面的にしか見ていないかということを物語っているのかもしれません。

きちんと向き合って視聴していれば、あのアニメが総体的には子どもたちへの愛にあふれたつくりになっていることだって、じきにわかるはずなんですけどね。


  

◇◇


「オタク対フェミ」でも「男vs女」でもない!――公認萌えキャラ碧志摩メグ女性蔑視問題を交通整理したい [メディア・家族・教育等とジェンダー]

先週(2015年8月初旬)、三重県の志摩市の公認「萌えキャラが、話題にのぼりました。

昨今では、いわゆるアニメ風の絵柄ご当地キャラクターを用いて、地域活性や地場産品のアピールにつなげる動きは珍しくなく、萌えキャラをつかった町おこしとして「萌えおこし」などという言葉も生まれています。

三重県志摩市でも、地域性に鑑み、海女さんをモチーフにした「萌えキャラ」として【碧志摩メグ】を公認して、さまざまなプロジェクトにて活躍させようとしていたわけです。

ところが、このいわゆる「萌えキャラ」の【碧志摩メグ】が、不必要に女性の身体の性的要素を強調しているような印象を醸し出しているのが不快に感じられ、公認キャラとして不適切であるという意見が、おもに地元の本物の海女さんを中心とした女性らから上がっており、「女性蔑視」だとして、署名活動もおこなわれている

……というのが、簡単に要約した今回の一連の顛末です。

で、まぁついでに言うと、お知らせブログのほうの記事にあるように、この問題をとりあげたインターネットニュースチャンネルの番組に、ワタクシ佐倉智美がコメントを述べるために電話インタビューという形で生出演したというわけなのですが(^^ゞ


 →問題の概要はこちらなどにも
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/08/aoshima-meg_n_7959002.html

 →志摩市「公認萌えキャラ」碧志摩メグ公式サイトはこちら
http://ama-megu.com/

◇◇
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 ※公式サイトのトップ画像のキャプチャ(二次引用は不可とのこと)


たしかに、報道などでも紹介されている碧志摩メグのキービジュアルの一部を見ると、いささか胸の膨らみが淫靡に強調されすぎなきらいはあります。ポーズも妙に艶かしさを湛えていると言えるでしょう。

さらにはプロフィールにある「ボーイフレンド募集中」という文言は、うっかり入れることで異性愛至上主義に陥ってしまうばかりか、「女性は嫁という名の商品」のような隠しメッセージを想起させてしまいかねず、期せずして「女性蔑視」だという批判の根拠を強化してしまう結果にもつながる危険があります。

 BL150811AoshimaMeguKy.png
 ※公式サイトより(二次引用は不可とのこと)


これらを勘案すると、やはりこの「萌えキャラ」のデザインに際しては、異性愛男性は女性身体のこういう要素が好みであるにちがいない! というような措定に基づいた安易さが介在し、結果として見て不快になる人もいるようなディティールが混入してしまったという経緯は、想像に難くありません。

その意味で「女性蔑視」というのは、相応に的を射ており、決して荒唐無稽なクレームではないと言わざるを得ません(そしてじつは「男性蔑視」でもあったわけです)

実際、現行社会の「男女」二分構造のなかで、男性中心の公的領域に重心がある現実は、権力リソースの配分にきわめて深刻な不均衡をもたらしています。
そうして公的領域の重要な価値基準である異性愛男性としての女性に対する性的欲望を称揚するために、「女性」がその身体を人格と切り離されて性的に客体化されて消費されることも、ポルノグラフィの作中世界か 現実の関係性の場なのかを問わず、日常茶飯に起こっています。

もっぱら「男性」としての生活を割り当てられているとなかなか体感する機会はないのかもしれませんが、「女性」として生活していると、非常に無礼なニュアンスの視線で男性から性的対象として眼差されることは珍しくないのです。
性犯罪への用心の気苦労も絶えませんし、本当に性的被害に遭うことだってあります。

そうした状況下では、女性ジェンダーを生活している者としては、女性を性的に描いたコンテンツのありように対してセンシティブにならざるを得ません。

したがって、こうした社会構造に対して無批判無自覚的につくられたコンテンツの、妥当性を欠く点への異議申立てはまったく正当であり、誰もが真摯に耳を傾ける姿勢が望まれるのは言うまでもありません。

◎特に今回は海女をモチーフにしたキャラクターに対して、実在の地元の本物の海女の皆さんから批判が上がっています。
当人でないとわからない不快感というのはたしかにありますし、それを上手く言語化するのにけっこうな労力もかかります。
私も性的少数者としての立場から「翠星のガルガンティア5話問題」を指摘したときに「細かいことに文句を言うな」といった反対意見には徒労感を禁じえなかったものです。
そのあたり、過剰反応と一蹴するのは論外としても、形式的な意見交換で終わるのではなく、じっくり丁寧に意見を汲み取るプロセスが望まれるところです。


しかし一方で、勢い余って「萌えキャラ」全般を非難するような声も聞こえてくるのはいかがなものでしょうか?

いわゆるアニメ的な絵柄のキャラクター自体は単にひとつの表現のスタイルであるにすぎません。それ自体を、一面からの嫌悪を普遍化して全面否定するのは「萌え」文化全体を不当に軽視した行為ではないでしょうか。

たしかに「萌え」の表現技法はポルノ的に女性の身体性を性的に強調する描写とも親和性は高いでしょうから、そうしたポルノ的な表現物の中に「萌え」風のアニメっぽい絵柄のものが目立つことがままあるのも否めません。
しかし、ポルノ的な表現はどのようなジャンルの手法でもありうるものであり、「萌え」表現に限ったことではないでしょう。
であるならば、問題は「萌え」ではなく「ポルノ的な表現」であり、それ自身もまた、適正なゾーニング等々を施せばすむことであります(実写ポルノの場合の「制作被害」などはない前提で)

にもかかわらず、今回のような問題に際しては、なぜか「萌え」文化全体が総体的に非難され否定的な評価にさらされるのというのは、他のジャンルでは起きない(例えば実写のポスターが性的すぎて問題だというケースで、起用された女優さんが全否定されたり、写真というメディアそのもの全部が非難されたりすることはない)ことと比較すると、不自然なダブルスタンダードだと言えます。

アニメなどの、いわば「オタク文化」もれっきとしたポピュラーカルチャーの一側面です。その文化的意義を正確に把握せずに過小評価したりすることにもまた、ある種の権力配分のアンバランスに由来するヒエラルキーを感じます。

あまつさえ、「萌えキャラ」や「オタク文化」の愛好者への人格攻撃にまで及ぶ否定的意見となると、扇情的なヘイトスピーチの様相さえおびてきます。

今回の問題は、あくまでもキャラクターの表象に立ち現れているいくつかのディティールに収斂するものです。
そこを、やたら的を大きく誤認した批判に拡大してしまうのは、正義を履き違えた、偏見に基づく差別であって、これもまた不当なものとなってしまうのではないでしょうか。


結論から言って、今回の問題は、キャラクターを制作するセクションと、地域おこしの当事者集団のひとつである地元の海女の皆さんとの間での、コミュニケーション不足が原因の一言に尽きるのではないでしょうか。

つまり、現場での幅広い意見の集約ができていなかったがためにプロジェクトの趣旨に適っていない部分が生じてしまったがゆえのトラブル。

制作側は、もっと実際の海女さんにしっかり丁寧に取材し、海女の皆さんも積極的にかつ好意的にプロジェクトに参画できる、そういう環境が実現されていれば、「萌えキャラ」をどのようなデザインにするかという点にも最適解が導き出せたはずです。

逆に言えば、ソレができていなかったがゆえの行き違い。

コンセンサスを形成するプロセスが不十分だったために、その成果物において、プロジェクトの趣旨に見合ったチューニングに失敗してしまった……。

ただ単に、それだけのこと。

もちろんこの「単に、それだけ」というのは、問題を矮小化しているのではなく、社会的な背景まで含めた全体像は俯瞰したうえで、問題を「今」「ここ」で議論するに相応しい適性なサイズに切り出す作業であり、効果的なソリューションを導き出すうえで必要となる、合理的な操作としてのものです。
これをきちんと適切におこなうことで、話し合いのスタートラインも、当座の目標となるゴールまでの最短距離に引くことが可能となるのです。

そしてそう考えると、多様な立場の人が対等に参画し、相互尊重の姿勢で意見を集約して、ちょうどよい落としどころをちゃんとすり合わせていくのであれば、「萌え」を用いた地域活性化を、誰もが納得できる形で進めていくことは、決して夢物語ではなく、じゅうぶんに可能な現実的なプロジェクトなのだということになります。

事実、報道によると、批判を受けた後は、それらを踏まえてデザインに配慮をおこなっているとのことです。

このポスターなどは、たしかに「露出」は控えめだし、胸も不自然に強調されている印象はないです。

 BL150811AoshimaMeguPs.jpg
 ※公式サイトより(二次引用は不可とのこと)

はじめからコレであれば、問題にはならなかったのではないでしょうか。

サミットの開催に鑑み、外国の人が見たらどう思うか……という意見も、もちろん考慮が必要なところですが、グローバルスタンダードが常に必ず正しいわけでもないことを思えば、やはり「まず否定ありき」ではなく、日本発の「萌え文化」が国際的に主流化されている価値規準をゆさぶり、世界を真に人権尊重と生活者優先の豊かな社会経済システムへと変えていく可能性も検討されるべきです。その意味でも「クール・ジャパン」の旗には、じゅうぶんに意義はあるのではありませんか。


しかしながら、残念なことに、これと類似した論争は、じつのところしばしば起きています。

そしてそのたび、にいわゆる「オタクvsフェミニスト」「男vs女」の構図に落とし込まれた挙句、互いが罵詈雑言の限りを尽くした感情的に全否定しあうという、きわめて非建設的な両陣営の全面戦争になりがちです。

いったいなぜそんなことになってしまうのでしょうか。

ひとつには、社会のあらゆる物事が「男女」で仕切られているために、人は各々が割り当てられたジェンダー以外の生活ができず、それゆえに「男」は「女」の、「女」は「男」の生活上のリアリティについて知り得ない部分が多々生じてしまうために、相互理解が妨げられているという現状があるでしょう。

これについては、やはり互いに自分からは見えていないものがあることを自覚し、相手を慮って共生の道を探るとともに、そうした「男女」カテゴリ自体を疑う習慣をも身に付けていくことが望まれます。
何でも「男女」で割り切れるはずはないし、「男」「女」という区分自体が便宜的に仮構されたものなのです。

さらに言えば、「女性」に対して性的に惹かれるのは「男性」だ!! という決めつけもまた、ものすごく異性愛を標準化しすぎたヘテロノーマティビティです。
性的に何に惹かれるかひとつ取っても、「女性」も「男性」も多様なのですよ。

だから「萌えキャラ問題」ひとつ議論するにしても、いちいち「男vs女」のフォーマットにはめ込もうとするのはとんでもない誤りです。

ついでに言うなら、「性」のありようについても、もっと混沌とした良い意味での猥雑さが、もう少しオープンに語られる社会にしていくほうが、「性」に起因した悩みの少ない世界なのではないかと思います。


「オタク」と「フェミニスト」についても、結局は「男vs女」の構図において売り言葉と買い言葉を繰り返した果てに、習慣的に対立グセがついているだけな面は大です。

むしろこの両者の位相は、本当はかなり近似しているはずで、両者が反目し対立しないといけない理由が、ワタシには理解できません。

だいたい「オタク」男性などというのは社会の男性特権領域からは周縁化された位置に疎外されている属性なわけで、そういう男性特権領域の中核部分に権力リソースが集中する社会構造を批判するフェミニズムとは、共闘こそすれ、傷つけ合う理由などないのです。

はてさて「オタク」と「フェミニスト」が諍うことで、いったい誰が漁夫の利を得ているのでしょう!?

まぁ少なくとも、今日のアニメ・マンガなり、「萌え」コンテンツといったオタク文化なり、各種のポピュラーカルチャーというものには、じつはすでにこれまでのフェミニズムの成果が大量に取り込まれています(むろんタイトルによってその濃淡はまちまちでしょうが)

例えば紅一点問題ひとつとってみても、この40年での変化はめざましいものがあります。
「萌え」的な絵柄の女性キャラクターが数多くあふれていることは、今日のアニメにおいては、女性主人公が男性キャラの補助やケア役割に回収されることなくイキイキと活躍し、主体的に行動しながら女性どうしの関係性を深く育んでいる、そういう作品がたくさんある状況と表裏一体のことです。

また(ゾーニングが必要となるような二次創作は別として)今日のアニメの作中では、女性キャラクターが作劇上の必要もないのに無意味にセクシュアルハラスメントに遭うことも控えられています。
これは(今でもドラえもんには必然性なくしずかちゃんの入浴シーンが出てくるように)作中の女性キャラクターが作中の男性キャラクターから作中でスカートめくりなどの被害に遭っていたような時代とくらべると、明らかに違います。

他にも、ジェンダー観点からのポリティカルコレクトネスには、慎重に気が配られていることが通例です。

まさに今日のアニメ・マンガ、オタク文化などのポピュラーカルチャーは、積年のフェミニズムの成果の上で成り立っているものなのです。

この点は、今一度、「オタク」も「フェミニスト」も、双方がキッチリ理解するべきです。

◎二次創作などについては、たしかに「エロ目線」が全開となったものもなくはないですが、それらが愛好される局面は、やはりある一定の広い意味でゾーニングされた範囲内であり、そうした「エロ二次創作」などを愛好するファンが、元の作品をも、もっぱらそういう視線でしか観ていないわけではありません。


そのうえで、例えば今回の「碧志摩メグ女性蔑視問題」なども、冷静に「オタクvsフェミ」とか「男vs女」とかの単純な図式の話ではぜんぜんないことに気づければ、そういう無益な対立軸を超克して、もっとみんな相互尊重の姿勢で理解しあい話し合い、ピンポイントにコンフリクトが起きている問題箇所をサクっと実務的に解決して、より良い形で豊かな文化を発展させていけるのではないでしょうか。

フェミニズムはみんなのもの」です。

そしてまた、「萌え」文化の消費者も「男性」ばかりではないのです
(若い女の子たちも萌え絵を見てカワイイと評価しているようなことはフツーにあります)。

そうして、「オタク」と「フェミニスト」の(および「男」と「女」の)断絶の壁が超克された新時代が到来した暁には、「萌え」コンテンツに象徴されるポピュラーカルチャーの力が、現行の権威主義的で経済発展優先の社会の仕組みを、目をみはる鮮やかさで転換していくことになるのかもしれませんよ!


◇◇


40年後のガッチャマン [メディア・家族・教育等とジェンダー]

「たびたびスミマセン(^^ゞ さらに引き続き、またもや佐倉智美 著・小説『1999年の子どもたち登場人物の佐倉満咲です;」

「例によって同じく、栗林理素奈です」

学級委員の桜庭詩諳です。今日は歩ちゃんが病院の診察の日なので、私が代わりなのです」

「本編の作中では、まだこの時期の私たちは歩クンのそういう細かい事情、知らないんだけどね、本当は」

「ソレを言うなら、私だって本格的にストーリーに絡んで、みんなと仲よくなるのは9月からの文化祭編第3巻参照)以降だったり;」

「……クリスマスパーティ翌日に風邪ひきのミサキちゃんを介抱するシーン(第4巻参照)は百合アトモスフィア全開よね(*^_^*) あれはやっぱり《愛の告白》??」

「いえいえ私なんて、春休みに海浜幕張のホテルでダブルベッドが役立つことになる(第7巻参照)ソナちゃんには、敵いませんヨ(*^_^*)」

「はいはい2人とも、本編作中じゃ互いに知り得ない情報で会話しない(^^ゞ」

「そうだったね」

「ゴメンね、ミサキ」

「で、ミサキちゃん、前記事前々記事に続いて、私たち3度めの召集なんだけど、今度は何??」

「いゃぁ、またお父さんからの指令でさ、【キミたちに集まってもらったのは他でもない。『響け!ユーフォニアム』←→『エースをねらえ』のような比較対象を的確に設定した新旧作品比較には大いに意義があった。この機会に他にも済ませておくべき案件があれば取り組んでおくのが望ましい。そこでキミたちの使命だが、それを《ガッチャマン》についておこなうことにある。ギャザー、ゴッドフェニックス発進せよ!】ということなんだ……(^_^;)」

「大変ねぇ、ミサキも(^^)」

「ガッチャマン……って、昔のアニメのヒーローだっけ??」

「そう、1970年代にやってた『科学忍者隊ガッチャマン』が、そもそものオリジナル。いろいろ凝ったストーリーと丁寧な設定で、今も高く評価されてると聞いてるよ。ただ、チームヒーローとして5人のメンバー中に女性は1人だけで、ジェンダー的には質・量ともに、いわゆる紅一点問題を典型的に露呈していたという批判も今となっては免れないとも……」

「たしかに白鳥のジュンの役回りは、1970年代当時にはそれなりに挑戦的だったかもしれないけど、現在の肥えた目で見てしまうと、ものすごく類型的だと言わざるを得ないでしょうね」

「……でもガッチャマン、最近リメイクされたのよね?」

「そう。2年前に首都圏などでオンエアされてた『ガッチャマンクラウズ』。関西では放送されなくて、この前やっとニコニコ動画で観れたって、お父さんウルさくてさぁ(^^ゞ」

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(画像は公式のサイトより。以下は本記事中は配信画面より。 →NTV公式サイト

「やっぱり、旧作とはいろいろ違ってたりするの?」

「うん、基本的に旧作とはまったくちがう新しいガッチャマンだった。作中の設定で舞台となってるのが、やっぱり2015年なんだけど、これもまた真の2015年クォリティの《ヒーロー物語》って感じ。すごいヨカッタし、おもしろかった!」

「テーマとしては、SNSに潜む様々な危険性をきちんとふまえつつ、それでもそうした新しい情報通信ネットワークがひとりひとりの端末を介して人々の善意を的確につないでいくことによって社会をよりよく動かしていく可能性を描いてる……んだっけ?」

「だいたいそんな感じかな。その結果、【ヒーローとは何か】という命題の21世紀における解答例も示してたと思う」

ジェンダー観点で評価したらどうなるのかしら。男女混成のチームヒーローなのに主人公が女子高校生なんでしょ?」

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「いゃあ、一ノ瀬はじめチャン、最高だよ。彼女が主体的に行動することが積極的に物語を動かしていく様は、まさに新時代男性的な正義の論理を優先する社会の中で周縁化されてきた女性的な価値基準が今こそ重要だと、わかりやすく描かれた、いわば《ケアとキュア》のガッチャマンだね。以て、この2015年が、旧作『科学忍者隊ガッチャマン』の時代の紅一点問題を何段階も超越した位置にあることを心地よく再確認できる仕上がりだったヨ♪」

「この図版とか、女の子の変身なのに変身後の意匠が、あえて顔まで隠れる《特撮スーツ》タイプで露出控えめってのも珍しくないの?」

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そのとーり。あと、はじめチャンの豊満な胸も、一見するとただの《サービス》に見えるけど、これにもちゃんと意味がある。ラストのナニを《少女の自己犠牲による世界の救済》と批判するのもできなくはないけど、ソコまで悲壮にも描かれてないしねー」

「それから、一ノ瀬はじめチャンってボクっ娘なんだよね」

「そうそう。さらにもうひとり一人称がボクな女の子が出てくるように見える」

ボクっ娘が2人も出てくるなんて、私たちと張り合うつもりかしら(^^)」

「……ハハハ、奇遇だねぇ(^o^;)」

「ただ、そのボクっ娘に見える累クンって女装少年なんじゃなかったっけ」

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「ボクっ娘が女装少年!? どこまで……!!」

「しかもその累クンが女装少年として行動している理由を誰も追及しない! 視聴者から見れば、人目を欺く変装なだけともとれる一方、ラストで事態が収束した後の生活でも女装状態を継続してて、さらには女友達ができて嬉しそうな描写もあったから、何らかの性別違和を持っているがゆえにも思える。でも結局のところ作中では、それはべつに累クンがそうしたいからそうしているだけで、ソレでべつにかまわないというスタンスになってる。これはプリパラのレオナにかかわる描写の先がけとなってたわけだね」

「………むしろ理由があるのは、もう古いのかしら?」

「大丈夫よ。ソコまで言わなくても(^_^;)」

「他にも異星人とのハーフでベテランのメンバーという設定のO・Dさんにも《おネェキャラ》属性を入れてあるし、ストーリー全体を通じた敵として存在するベルク・カッツェも、もちろん性別不詳だから、はじめチャンの一人称がボクなことを除いても、なんとトランスジェンダルなキャラクターがしれっと3人も登場し、そのこと自体は何ら問題視されずに、各々のキャラは役割を果たしてることになる。これはプリパラのレオナも驚く画期的さで、かなり攻めた設定だと評価すべきでしょ」

「ベルク・カッツェって、同名のキャラクターは旧作『科学忍者隊ガッチャマン』から登場してるんじゃなかった?」

「そーなんだよ。旧作での敵の中ボスがベルク・カッツェで、そのときからすでにトランスジェンダルな属性が入ってたんだ。じつはその正体は本来は男女の双……」

「ミサキちゃん、ダメーーーぇぇっ!!!

 それ、ものすごぉぉーく私たちのネタバレ!
  アタヽ(д`ヽ彡ノ´д)ノフタ 」

「……なんかものすごくヤバかったっぽいわねw」

「悪かった; いやはやまったくもぉ、作者ったら旧作ガッチャマンどストライク世代なんだから(^^ゞ」

「ともあれ『ガッチャマンクラウズ』に関しては、今月から2期の『ガッチャマンクラウズ インサイト』が始まってるみたいだし、要チェックじゃない? →NTV公式サイト

「そ~だね。新キャラとして追加登場するガッチャマンも、変身するのは個性的で魅力いっぱいの女子高校生ということで、キービジュアルなんか見ると、ほとんど《ふたりはプリキュア》状態w」

 BL150710GatchaC05.JPG

「……コレはもう、1970年代の人に見せて【これが40年後のガッチャマンです】って言っても、信じてもらえなさそうねw」
※じつは旧作『科学忍者隊ガッチャマン』第100話のサブタイトルが「20年後のガッチャマン」だったりします

「むしろ2011年前後へ持って行ったら【これ来年のプリキュアの流出バレ画像!】と人を担げそうなくらいだろ(^^;)」

「私たちの本編作中で2学期の文化祭のクラスの劇でミサキが書く台本が変身美少女戦士モノ第3巻参照)なのも、こういうリアル2015年の状況に鑑みると、ホントにさもありなんって感じだね」

「いやはや;」

「というところで、その文化祭の準備も控えてる本編作中に戻りましょうか」

「では皆様、今日のところもそろそろお開きに…」

「またね~(^^)ノ」



  

  

  

  §全7巻§


◇◇