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アニメアイドルは現実世界に関わる力を持っている [メディア・家族・教育等とジェンダー]

さて前記事にてタイトルだけ紹介したアイドル事変ですが、なかなか見どころのある展開が続いています。

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※画像は放送画面や公式のサイトから(以下当記事中同じ)

 → 「アイドル事変」公式サイト


アイドルアニメもすでに乱立している中では、この作品のように「アイドルが国会議員というユニークな捻り方は印象的です。
たしかにリアルに寄せすぎたシビアな政治ドラマを描くことは避けられていますが、アイドルの表象やアニメとしての作劇とのバランスを考えれば、妥当な塩梅ではないでしょうか。
アイドル議員のライブによってアイドルオーラが発散され、それによって敵対政党の議員たちがメロメロになって改心する(いわゆるマクロスシリーズの「で、デカルチャーっ!」的に)という展開も、フィクションの物語の楽しさというものです。
そうした中で、さまざまな社会問題には思いのほか真摯に向き合って解決策を模索し、既存の常識にとらわれない斬新なアイデアや実行力を示す様子などは、この国の政治の閉塞した状況に本当に一石を投ずるものとも言えましょう。

昨年の「ユリイカ」のアイドルアニメ特集(ユリイカ2016年9月臨時増刊号 [総特集=アイドルアニメ] 青土社)で私は寄稿した「『マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性」にて

…「ケアの倫理」に基づき、仲間との関係性の中で相互に配慮しあい、気持ちを尊重しあい、ときに癒しあいながら、より多くの人々との間で共感・協調・共生の輪を広げていくことを期して歌うアイドルたちの物語には、公的領域の「正義の倫理」のしがらみの中で膠着した諸問題をときほぐす希望がある。
(中略)
現在の日本のアイドルアニメのアイドルたちは、アニメ作中でそうしているように、もはやじゅうぶんに現実世界に関わる力を持っている。軍事的な衝突の場のみならず、政治や経済など、公的領域のあらゆる局面に「ケアの倫理」が届けられたら、それは世界をもっと平和で豊かな方向へ構造変革することにつながるはずだ……

…と述べましたが、それをふまえると、まさしくこの『アイドル事変』は、アニメのアイドルが現実の政治を動かしていく力を持っているという指摘への、ひとつのアンサーになっているとも思えます。


  

  


特にここまでで注目に値するエピソードは、例えば第5話「事変05 保育園天国」

なるほど「保育園落ちた、日本死ね」が流行語になる今、政治の問題にかかわる以上は「保育園」は避けて通れないテーマでしょう。

親の就労時間中の保育は福祉施策として必要不可欠であるはずだという前提のもとで、敵対政党の議員による「女のシアワセは家庭に入って家事育児をすることだろう」といった因習的な価値観念が対比的に描かれるのも、現実に鑑みるとなかなか生々しいところを突いています。

この回では敵対政党の議員が翻意に至るのも(マクロス的「デカルチャー」ではなく)論理的な説得の結果なのですが、それが保育園に子どもを預ける母親たちが、じつは社会に欠かせないさまざまな職業のエキスパートである様子をあらためてまのあたりにした結果だというのも、思いのほか丁寧な作劇でした。

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第6話「事変06 TOO SHY SHY GIRL!」では、アイドル議員のひとりがシャイな性格のため委員会質問なども上手にできないことに悩みながら、自分なりのスタイルを確立していくプロセスが描かれました。

それ自体はわりとありがちなプロットとも言えますが、国会でのアイドル議員という舞台設定が効果して、いわば「男社会」であった政治の場には、いわゆる「普通の女の子」がそこで活躍するうえでの有形無形の参入障壁があり、現行の議院の規則や慣習が旧弊にとらわれすぎなのではないかという疑問を暗示しているようにも読めました。

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これより後の回では、敵対政党が政権与党の地位を利用して、さまざまな妨害工作を仕掛けてくる展開もあるようです。
既得権益を固守する政治の中枢に対して、果たしてケアの倫理は届くのか。
アイドル議員たちの取り組みの結末は見逃せないところです。

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ともあれ、昨年には選挙権年齢が18歳に引き下げられた今、こうしてアイドルという表向きの切り口を活かしながら、政治にかかわる内容がアニメに取り入れられるのは良いことです。

近年では『ガッチャマンクラウズ』が、やはり政治をめぐる諸問題に肉薄するドラマを展開するアニメとして注目を集めていましたが、『アイドル事変』もまた、その系譜に連なるものとして位置づけて評価してよいのではないでしょうか。


◇◇


小林さんちのメイドラゴンの小林さんが女性な件(まぁドラゴンの性別もわかりませんが) [メディア・家族・教育等とジェンダー]

さてユーリとユーフォの余韻もさめないうちに2017年も はや2月。
この1~3月クールのアニメには、どんな注目ポイントがあるでしょうか。

どのタイトルもまだ途中なので評価には留保も必要ですが、現時点までで個人的にオススメ作品として特筆したいのは2つあります。

ひとつはアイドル事変

こちらについては次記事にて詳しく見てみたいと思います。

 アニメアイドルは現実世界に関わる力を持っている

(2017/03/09)
当初この位置にあった『アイドル事変』についての記述は、すべて次記事に移動し、加筆のうえ独立記事に再構成してあります。
※当記事中の画像は放送画面や公式のサイトから


そして、もうひとつが標題の小林さんちのメイドラゴン』。

話せば長くなるので、まずは最初に結論を述べておきましょう。

「『小林さんちのメイドラゴン』はいいぞ」

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 → 「小林さんちのメイドラゴン」公式サイト


元々私はこの『小林さんちのメイドラゴン』にはたいして着目していませんでした。

事前情報をチェックすると、なんでも作品の概要は、さえない主人公のもとへドラゴンが美少女メイドの姿になってやってくる………。

はぁ?
何それ、なんという男目線の、異性愛男性に都合のよい設定;

もちろん、いわゆるオタクカルチャーに敵対的でアニメ文化全体を快く思わない人々が、誤解と偏見に基づいて独善的にこれらを全否定しにかかってくる言説や、その際にフェミニズムの各種知見が都合よく切り取られて恣意的に用いられるような事例がしばしば見られることに対しては、私もいかがなものかと思っています。

「女性に対する人権侵害」というものは当然に許されざるものですが、かといって勝手に主観に基づいて「女性の敵」認定した相手に対して罵詈雑言を憚らないのは、単なるヘイトスピーチにすぎません。
人権擁護の名のもとにこうした人権侵害の言動をおこなう人々には猛省を促したいと強く訴えるところではあります。

しかし、そうは言っても私とて、いわばいちおうはフェミニスト。
大学院で相応にジェンダー論を修めた身でもあります。

そして現行社会の構造のもとでは、女性たる存在をもっぱら自分たちの性的対象としてみなして同じ人間としての人格や尊厳を認めないようなスタンスでふるまう習慣も、男性社会の規範の中では一定の有効性を持って機能してしまっているのも、残念ながら否定できない事実でしょう。
そうした状況の反映として、アニメ作品やその原作となることも多いマンガ作品に限らず、各種の表現物が、いわゆる「女性蔑視」的なものとして立ち現れてしまう事例もまた、往々にして見受けられるところとなっているわけです。

そのような表現物に対して、ていねいに問題点を指摘していくことも、フェミニズムの責務として、正当なものであることは理解されるべきでしょう。

その意味では『小林さんちのメイドラゴン』も、基本設定を一瞥した限りでは、そうした「女性を都合よく男性の性的対象として描いたもの」という範疇にあると窺えました。

あぁ、コレはきっと主要視聴者と措定した異性愛男性向けに、過剰なお色気描写が次々と繰り広げられるやつなんだろうなあ。
そして水着回や温泉回では、あんなことやこんなことやぉおー~っナニもソコまでっ! というようなことが描かれるにちがいない。
見なくても容易に予想できます。
俺は専門家だから知ってるんだ!!

……もちろんそのような描写のみに特化した作品も、特定層向けにニーズがあるなら一定のジャンル分けのもとで展開されることは直ちに悪いことではありません。
要は広義のゾーニングの問題でもあるでしょう。
しかし、そうなると初めからアピールできる範囲が限られてしまいますし、普遍的なテーマを織り込むのも難しい(あるいは幅広く訴えたい普遍的テーマを描く良質の物語を描いているにもかかわらず、部分的に「女性蔑視」の危惧がついて回ってくる性的表現が含まれてしまっているために非常にもったいないことになってしまう、いわゆる「ビビッドレッドオペレーションのお尻問題」も起こりえます。[ただし、パッと見ではそんな「女性蔑視・異性愛男性向け描写」が満載でも、そこに作劇上の必要や必然があって、じっくり観れば意義のある深いテーマに斬り込んでいる作品もまたあるので、じつは判断はかなり高度な分析が必要な難しいものでもあります])

いずれにせよ、この『小林さんちのメイドラゴン』は、今期のアニメとして自分が視聴する必要があるものではない――。

そう判断して、公式サイトをそそくさと閉じようとしたとき、キャラ紹介ページの文言がふと目にとまりました。

「小林さん:メイド大好き独り身お疲れOL」。

………………。

………お、「OL」!?

つまり性別二元的に言えば「女性」??

それじゃぁ…………

つまり

……………百合じゃん!!


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(百合でした(*^^*))


思えば、「主人公のことが大好きな異能・異形の美少女が異世界から半ば押しかけ女房的にやってきてはじまる同居生活をつうじたラブコメ」という括りで捉えると、該当するアニメ作品として真っ先に思い浮かぶのは『うる星やつら』です(何らかの異界からの来訪者といっしょに暮らすことになって始まる日常の中の非日常のオモシロさを描く作品として範囲を広げすぎると、ドラえもんなどまでが含まれることになって対象が増えすぎるので、ここではもう少し絞っています)

しかしながら主人公の諸星あたるは、周知のとおり、あのようなことあるごとに女の子のナンパに勤しむ超肉食系男子でした。

『うる星やつら』はたしかに1980年代のアニメとしてエポックのひとつとなっていて、その存在は大きく、秀逸なエピソードも数多い名作だったと言えますが、そうした設定の主人公を中心に構成された物語は、今日の鑑識眼をもって評価し直すなら、ジェンダー観点からは「古い」と言わざるをえない点もまた少なくないのは否めないでしょう。

やがて時代がくだると、上述した括りに該当する、いわばうる星やつら変形譚にも、そのような古い部分を的確にアップデートした作品が登場します。

這いよれ!ニャル子さん』や『モンスター娘のいる日常』などは、まさにその好例として挙げられるのではないでしょうか。

お色気描写の量や質についてはさまざまな要因がせめぎあった結果が反映されるものなので、部分部分については一概には比較できないでしょうが、総体としては女性キャラの位置づけにおいてジェンダー観点からより好ましい方向へと移っている傾向は認められます。

異界からやってくる美少女を迎える側の主人公も、家事能力も高い草食系男子に設定されており、まことに今風にです。
そのあたりは、『這いよれ!ニャル子さん』のアニメ1期当時に書いた「名状しがたい性の多様性のようなもの」でも述べたとおりです。

そうして今般、『小林さんちのメイドラゴン』では、ついにその「草食系男子」の地位が、ズバリ女性キャラに置き換わったということになるわけです。

これを、時代に合わせた適切で画期的な進化と呼ばずしてなんと言いましょう
(こうした変化を「PTAがうるさく言ったから」「フェミの陰謀のせい」だとする声を先日たまたま某所で見かけたのですが、はたしてそうでしょうか? 今どきの若い世代のスタンダードとしては、むしろ往年の諸星あたるのような超肉食系の言動こそが、もはや理解できないものになっていて、感情移入も難しくなっているのではないでしょうか。ウチの娘のクラスメートの男子高校生たちの様子を伝え聞くところでも、そういう傾向はじゅうぶんにうかがえます。その意味ではこのような変化は、時代に応じて最新の若者のリアリティに誠実に寄り添い、作品の受け手本位の改革を実行した成果だと言えるでしょう)

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むろん、百合なら何でもよいというわけではありません。
百合要素を含んだ作品ももはや珍しくない中では、今後は「百合厨はこういうのが好きなんだろ!?」的に安易なものも粗製乱造されていく懸念もなくはないです。

しかし『小林さんちのメイドラゴン』は、そんな押し付けがましい百合演出はむやみに前面に出すことを抑制しつつ、じつに巧みに『うる星やつら』の諸星あたるが女性キャラに置き換わっているメリットを最大限に活かした作劇をおこなっているのです。
その結果、諸星あたるポジションのキャラが草食系男子であってさえ描けなかったであろうさまざまな事柄が、良質なエピソードに織り込まれることとなっています。

ドラゴンのトールが以前いた異世界ではドラゴンは人間から敵対視されており、トールは聖騎士に追われ剣を刺された状態で命からがら、こちらの世界に逃れてきます。
そこを小林さんに助けてもらったトールは、小林さんに恩義を感じ、小林さんのために小林さんが愛好するメイドの姿の人間になって小林さんのもとで働くうちに、小林さんのことを身も心も、よりいっそう大好きになっていきます。

そして、そんな気持ちの表明の数々が人間界の常識とはちょっとズレているところが、お話としてはギャグに生かされたりもしていますし、一方で「小林さんのことが《性的に》大好きです」なんていう直球すぎるセリフもあります。

ただ、その「好き」、やはり一般的な恋愛感情とされるものに回収して理解するのは矮小化に過ぎるのではないでしようか。
上述のように、このトールの小林さんへの気持ちは、本当に純粋な、まさしくとしか呼べないものだと言えます。
これが、男性キャラと女性キャラの間でのことだと、現実世界の恋愛ルールや異性愛主義、各種ジェンダー観念に邪魔されて、うまく描けなくなることは想像に難くありません。
あるいは女性どうしの同性愛であっても、フツーの人間の女性と女性であれば、いわゆるレズビアンへの偏ったイメージ等々、いろいろしがらみがあるというものです。

それが、人間女性と美少女ドラゴンという設定の妙によって、非常にピュアなものとして浮かび上がらせることに成功している。
すなわち、人間の女性と美少女メイドの姿のドラゴンのつながりをとおして、ここにあるこの感情の交換もまた「愛」であることが描かれているのです。

つまりは『小林さんちのメイドラゴン』もまた、愛の再定義」の物語として成立していると言えるかもしれません。

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また、小林さんとの生活の中で、トールはこちらの世界にしだいにすっかり馴染んでいきますが、それもあくまでも人間に擬態していてのこと。
魔力で姿を消すこともできはしますが、うっかり(文字どおり)尻尾を出してしまう危険とも常に隣り合わせです。
そして、もしもドラゴンだという正体がバレた際には、結局はこちらの世界でも迫害されてしまうのではないか?
そんな不安感も絶妙に醸し出されているのです。

そういう危ういバランスの上に成り立っている平穏の様子は、現実世界で偏見を恐れてカミングアウトをためらいながらの生活を強いられている各種のマイノリティのことを思うと、なかなかに生々しいものでもあります。
それゆえに、ソコを描いてくれるのは作品として上手い。

当記事では今般のアニメ版をベースに『小林さんちのメイドラゴン』を評していますが、原作コミックを読むと、『うる星やつら』の系譜に連なる作品という印象はアニメ版ほどはせず、むしろどちらかというと『琴浦さん』との連関をコンセプトに感じなくもなかったです。
でも、それがこうしたマイノリティの社会的包摂を視野に入れた部分の共鳴だと解釈すれば、いたく納得できることにもなるでしょう。

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あと、先ほど「人間の女性と美少女メイドの姿のドラゴンの愛」というようなことを書きましたが、その言い回し、少しトラップが仕込まれてます。
だって、ほら、「ドラゴン」の性別って、いったいどういうシステムになっているのでしょう?
そもそもが想像上の生き物ですし、現実の人間社会のジェンダー観念が通用しないような生物学上の性別であるという世界観はじゅうぶんに創作可能な余地があります。
なので、トールと小林さんの関係を、まずもって(当然に「異性」「男女」ではないという前提の上で)「同性」「女どうし」と捉えること自体までがギモン符の対象にできるつくりになってもいたりします。
そりゃまぁそうでしょう。
何でも女と男に二分できるはずだというのも、私たちの現実世界の世界観そういうことにしてあるものとして設定してあるのにすぎないのですから。

小林さんも、いたって中性的なキャラ造形で、勤務先はコンピューター関連(システムエンジニア)、酒好き、喪女・腐女子属性も少々、独身、あまり社交的でない……など、世間一般の「勝ち組女性」の評価基準からすれば、かなり遠い位相に生きていました。
ゆえに小林さんもまた、ある種の少数派として、誇りを持って自分のスタイルを貫きつつも、横目に視界に入る「普通の幸せ」に対しては、相応の諦念を抱いて暮らしていたのではないでしょうか。
そんな中でのトールがやってきて以降の生活には、小林さん自身のほうも何かを得ることとなっていて、そこのところ描写も絶妙だったりします。

『うる星やつら』や『這いよれ!ニャル子さん』『モンスター娘のいる日常』などの前例に漏れず、『小林さんちのメイドラゴン』でも、トールが最初にやってきたのを皮切りに次々と仲間のドラゴンがこちらの世界に来訪し、人間態の新キャラで登場します。
そのうちのひとり、小学生の女の子のような外見のカンナもまた、小林さんのところで同居生活を始めるのですが、そうこうするうちにカンナに対する小林さんの位置づけが母親的になる、言い換えると、カンナの存在が小林さんにとって擬似的に母親役割の体験として機能する一面も(正確には母親役割と父親役割の双方が包摂された、まさに「子の保護者」的に)描かれます。

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おそらくは小林さん、実家の親や職場の上司などから「結婚はまだか?」などと折に触れて言われていたのではないかというのは容易に推測できます。
結婚し家庭を持ち主婦および母になることは、女のシアワセのかたちとしていまだにいちじるしい強制力をふるっています。
一方キャラ描写から判断して小林さんが、そういった類型とは相性が悪そうなことも、読み取るのに難がありません。

しかし、そんな小林さんにあっても、家族や子を持つことに相当するものを得ることができるスタイルは実在する。
人間とドラゴンという異種間での創設家族的なシェアハウジングを物語の舞台とすることで、その可能性を具体的に提示していっている『小林さんちのメイドラゴン』は、家族社会学的にも興味深いですし、何より、定型的な「普通の家族」の桎梏から人々を解放して、多様な様式の幸せのフォーマットを展望可能にする一助として、重要な意義を持っているのではないでしょうか。

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そんなこんなで、この『小林さんちのメイドラゴン』、なかなか侮れない作品になっています。

ぜひ普及活動を広めたいところです。

「『小林さんちのメイドラゴン』はいいぞ」ノ


◇◇
  

  


◇◇


愛をとりもどせ! ユーリとユーフォと百合とBL [多様なセクシュアリティ]

昨秋・2016年10月期のアニメとして最も話題になった作品といえばユーリ!!! on ICEであることに異論は少ないでしょう。

「本格フィギュアスケートアニメ」の看板に偽りのない精緻で優美な滑走シーンとともに描かれる、日本の特別強化選手・勝生勇利とコーチに就任した世界的実力者・ヴィクトル・ニキフォロフの、固い絆~深い心の交流……。

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※本記事中の画像はすべて各作品の公式のサイトや放送画面から学術研究のための引用としてキャプチャしたもの

アニメ『ユーリ!!! on ICE』公式サイト


その様子が、いわゆる同性愛的にも見える領域まで躊躇なく踏み込んだものであったことなどは、賛否両論等々をまじえながら大きな反響を呼びました。

そのあたり、非常に大きな意義もあったと言えるわけですが、残念ながらワタシはじっくりと視聴する機会は逃してしまったので、詳しくはガッツリとハマった皆さんがいろいろ書いておられるのを適宜検索されるのがよいかと存じます。

例えば【 ユーリ 指輪 】でgoogleにかけると(2017年1月初頭現在)次のようなページなどが見つかりました。

ユーリオンアイス 10話感想~結婚したって何回言わせる気だ!!あとダンスバトルED最高でしたありがとうございますッ!!/びーきゅうらいふ!

ユーリ!!! on ICE 10話感想 ペアリングで婚約/女子向けアニメの感想ブログ


そして、そうした中でも、この『ユーリ!!! on ICE』が描いたものが「愛の再定義の物語だと論評するものは、なかなかに興味深く核心へと迫るものがあります。

作品で描かれる物語を通じて愛たる概念が定義され直そうとしているのだという着眼点に沿った批評は非常に示唆的です。

『ユーリ!!! on ICE』と「愛の再定義」/小夜倉庫


言うまでもなく、現行のロマンティックラブイデオロギーのもとでは、あらゆる愛に優越して異性間の恋愛にまつわるものが至高の愛であるかのように位置づけられています。

しかし、本来はエロス的なものからアガペー的なものまで多岐にわたるのが愛ですし、恋愛にまつわるものに限っても、異性間 同性間を問わず、その実相はさまざまなのが本来でしょう。
異性間の特定の様式のものに則った恋愛のみが特権的な価値を与えられているというのは、ある種の「愛の簒奪です。

その意味でも、私たちが一度「愛」のさまざまなかたちを再確認し、各々の社会的な位相に応じて定義しなおすことは、大いに必要なことだと言えます。

いわば、非常に狭い範疇に囲われてしまい、享受できる人が非常に限られた状態になってしまった「愛」を、今一度、万人の日常にとりもどすことが求められているのではないでしょうか。
まさに「愛をとりもどせ!」ですね。

『ユーリ!!! on ICE』が、その「愛をとりもど」す作業のためには非常に有益だったことは、もはや疑問の余地もないでしょう。


そして、そんな「愛の再定義」に際して、もうひとつ有用な概念が、そうです、例の引力ではないでしょうか。

人と人とがひかれあう力「引力」


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思えば、このアニメ公式サイトでの主要登場人物相関図を見るに、響け!ユーフォニアム』もまた「愛の再定義」の物語であったことは明らかです。

アニメ『響け!ユーフォニアム2』公式サイト


じつにさまざまな矢印が入り組み、それぞれがそれぞれのかたちの引力に導かれた「愛」としてそこにあります。

公式に「引力」と記された中心人物である高坂麗奈と主人公・黄前久美子

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久美子の幼馴染で恋愛感情を自覚し麗奈がまるで恋のライバルなごとき塚本秀一

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犬猿の仲という名の絶妙コンビな中川夏紀吉川優子

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すれ違いによる誤解からの修復と恢復を経た鎧塚みぞれ傘木希美

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そんな鎧塚みぞれをずっと気にかけていた吉川優子

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同時に吉川優子から中世古香織へは崇拝に近い敬慕。

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その中世古香織からの田中あすかへの並々ならない情念。

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……等々という具合に、多分に複雑で重層的な入り組み方で輻輳しています。


そうして、そのいずれもが「誰かのことが好き」という偽らざる気持ちとしてまちがいなく存在するものなのです。

一見すると既存の二元的性別制度と異性愛主義に適合する形をとっているものも含まれていはするものの、基本的にはすべてがもう「男」「女」「同性」「異性」「恋愛」「友情」といった概念を超越した「好き」、すなわち【再定義された愛】の実践となっているわけです。

まさに「引力」のおもむくまま――。

それを、単なる現行のデファクトスタンダードにすぎない異性愛主義モノアモリー規範で仕分けてしまうのは、甚だしく乱暴なことであるのは容易に理解できましょう。

特にアニメ2期の最終回では、卒業する田中あすかへ、後輩としていろいろな形で関わることとなった中で関係性を紡いでくることになった主人公・黄前久美子から、あらためて敬愛の情が伝えられる、すなわち「愛の告白」がおこなわれるシーンがクライマックスに据えられています。

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これは、先の久美子と高坂麗奈の「引力」が比類のない強さであることと矛盾するようで戸惑った視聴者もいたかもしれません。

しかし、いろいろな「好き」があり、当然にそれらは複層的に両立し併存しうるものだと考えれば、これもまた何の不思議もありません。

こっちの「好き」が本当なのなら、あっちの「好き」は嘘である……なんてことは面倒くさいからやめてしまいましょう。
どの「好き」も、全部が本当の「愛」でよいではありませんか。

むしろ、自分の気持のありように添うように、そのつど「愛」を再定義すればよいのです。

『ユーリ!!! on ICE』も『響け!ユーフォニアム』も、そのような営為を進めていくための、大いなるヒントを提供してくれているのは間違いありません。


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そんなこんなで「愛の再定義」を試みる作品がこの時期に複数現れているのは偶然ではないでしょう。

「同性」「異性」「恋愛」「友情」といった悪しき旧弊は、本当にこの好機をとらえて社会の構成員全員で考え直してみたいところだと言えます。


  

  

◎「愛の告白」の意味の拡張
「愛の告白」という言い回しの拡張的な用法が広まったのも『響け!ユーフォニアム』アニメ1期の第8話でした。
あがた祭の日に雑踏を避けて2人で登った大吉山展望台の美しい夜景が印象的な一連のシーンにおける、高坂麗奈が強く感じる心の共鳴を黄前久美子に伝える際の「これは、愛の告白」というセリフは大きな反響を呼び、以後、他作品などでも類似したシチュエーションでは「あっ『愛の告白』だ(*^^*)」というような認識が広まったと言えます。
また、その祭の夜の大吉山展望台で久美子と麗奈が合奏する曲が奥華子の「愛を見つけた場所」だったというのも、現時点から遡及的に解釈すれば、2人がこの場所で見つけたものは他ならぬ愛ですよという「愛の再定義」がおこなわれていたのだということにもなるでしょう。


◎ユーリをめぐる百合とBL
『ユーリ!!! on ICE』で深く親密な関係性が描かれたのは男性キャラどうしがメインでした。
同性愛的にも見える領域へ踏み込んだ描写の際には、いわゆる腐女子ファンが喝采する傍らで、ホモフォビア的な感想も湧き出ていたようで、一部では深刻な摩擦が生じていたようにも見受けられました。
ただ、これらの登場人物を女性キャラに置き換えた、いわゆる百合モノであれば、ソレらはもはやべつに珍しくもない描写なのではないのだろうか? というギモンが頭をよぎらなくもありません。
『響け!ユーフォニアム』もそうですし、ラブライブシリーズやプリパラ・アイカツなど各種のアイドルアニメ、各種日常系アニメ等々でも同様です。
ジャンルとして比較した場合、BLのほうが、主にコミックとしての展開は歴史が長く、作品群の層も厚いと言えます。しかしそうした蓄積とは逆に、このような同性間の多様な親密性描写がアニメでおこなわれることに関しては、むしろもしや「百合」のほうに一日の長あるのでしょうか?
特に「百合」については、女性キャラどうしに何らかの関係性が発生していれば、かなり幅広く「百合」だとざっくり捉えられるのに対して、BLに関しては、性行為描写の有無などに依拠して「ホモではないけど何か崇高な関係性だ」「崇高だからBLには該当しない」「でもじゃぁ何て呼べばイイんだ!?」のようなあまり意味があるとも思えない論争が繰り広げられることもあるようです。
これらの「百合とBLの非対称性、要はこの社会で分離的に配置されている女性カテゴリと男性カテゴリの間のさまざまな不均衡の反映なのだろうなとは考えられます。
特にフィクション作品にまつわる歴史的な経緯には注意を払う必要があるでしょう。
男どうしの熱い友情を描く作品は昔からフツーにたくさんありました。いわゆる少年誌のスポーツもの・ヤンキーもの・格闘もの等々。
そこには元来は性的な要素はなかったものの、主に女性ファンらが一種のパロディとして読み替えをおこない、性的要素を絡めた二次創作「やおい」を楽しみ始めたのがBLの源流にあります。
なので、必然的に「BL」と言えば性描写のイメージが切り離し難い。背景にはそうした歴史的経緯がなくはないです。
一方、一昔前は女性どうしの友情などをメインに据えて描く作品は希少で、基本的に女性キャラは男性に恋愛するか、男性から恋愛されるかによってしか存在できず、女性キャラどうしの関係性は間に男を挟んだかたちでしか描かれない傾向もないではなかったでしょう。
だからこそ「ベクデルテスト」のような指標にも意味があったわけです。
それが時代の進展で、ようやく近年は女性どうしの関係性を前景化した作品が増えてきました。結果そこのところに着目して作品を鑑賞したり、二次創作の要諦に据えるようなことも主流化しつつあるのが、この2010年代です。
なので、その際には女性キャラどうしの親密な交流が描かれるという事実が肝要なのであって、「性的なカンケイ」の有無は、包括的に捉える限りあまり問う意味がないことになります。
「女性キャラどうしに何らかの関係性が発生していれば全部《百合》!」なのには、こうした事情もあるのではないでしょうか。
ともあれ、このような考察をとおして多くの人が【べつに「《男女異性愛》なのが正常で普通」というわけではないよな】という気づきを得て、以て現実社会の男性カテゴリと女性カテゴリに分離的に配置された構造自体が、その不均衡ごと撹乱されていくとなれば、大いに意義深いところでしょう。


◇なお、こちらで泉信行さんがやはり『響け!ユーフォニアム』をとりあげて考察されている記事も大いに参考になるかと思います。
『響け!ユーフォニアム2』に見る恋愛のアレゴリーと、『やがて君になる』の百合/ピアノ・ファイア


◇◇