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[3:女の子はつねにすでにプリキュア]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子がなったものがプリキュアである」。

すなわち前記事で述べたとおり、

プリキュアに憧れた体験を持つ子どもたちが、将来において、その憧れを包含した何らかの意思に基づいて何かになった結果としての、その「何か」がプリキュアと呼べるのだ……

というのは、かなり核心を突いた着眼点だったと自負しているのですが、さて、これは一般的に考えてまったくプリキュアっぽくない実存にもあてはめることが可能なのでしょうか。

ここで、リアリティレベルを徹底的にリアル寄りにして描かれたアニメ作品だと言えるサクラクエストをとりあげて、この点を考えてみましょう。

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※本記事中、画像は放送画面や公式のサイトからキャプチャしたもの


2017年4月から2クール半年間にわたって放映された『サクラクエスト』ですが、こちらも公式サイト(→ http://sakura-quest.com/ )によると、

木春由乃は、田舎から上京し短大の卒業を間近に控えた、いわゆる普通の20歳の女の子。東京には何でもあって、きっと特別な何かになれるのではないかと夢みて、30社以上の面接を受けるも、未だに内定はない。(中略)そんなある日、以前、一度だけ働いたことがある派遣事務所から、「地域の町おこしの一環で国王をやってほしい」との依頼がある。よくわからないが軽い気持ちで依頼先の間野山市に向かうことにした。
一時的に日本中でブームになるも、バブル崩壊に合わせて今ではほとんど見ることの無くなったミニ独立国。間野山市は、今なおミニ独立国を続けている、廃れてしまった残念観光地だった。

……というふうにイントロダクションされています。

そうして主人公・木春由乃は、イベントのための「一日国王」と思い込んで訪れたものの、じつは一年契約で、当初は東京に逃げ帰ろうとしたりしますが、やがて地元の実状に触れるうちに気持ちが変化し、「国王」という名の観光振興大使として、集まった同年代の女性4人の仲間とともに、地元の活性化のため観光協会の仕事をやり遂げる決心をするのです。

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作品自体は丁寧な行き届いたつくりの良作で、本当に地方都市が抱えるさまざまな問題にきっちり寄り添ってエピソードが積み上げられています。

活かしきれない観光資源伝統産業の先細り、シャッター商店街、忍び寄る過疎と高齢化、若者から見た魅力の不足……。
さらにはその寂れた同一市内でも中心部と山あいの集落との間に横たわる格差にも焦点が当たり、水面下で上層部が進める隣市との合併計画なども物語の射程に入ります。

まさに今プリキュアシリーズに夢中になっている子どもたちが大人になる頃にはさらに深刻になっているであろう、現代の日本が避けて通れないリアルな諸問題を生々しく浮き彫りにする硬派な社会派ドラマだと評価することもできましょう。

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それだけに物語はある意味、悪く言えば「地味」だという側面もあります。

アニメというジャンルではお馴染みの異世界も異能バトルも登場しません。
タイトルが「◯◯クエスト」になっているのは、いわば逆説でしょうか
(その観点からだと、作品の雰囲気というか描かれている内容は、むしろNHKの実写ドラマに近いとも見えなくはありません。
というか、何でも実写化すればよいというものではない中で、アニメ作品として話題になったコンテンツが次には実写映画化されるような流れはしばしばあることに鑑みたとき、この『サクラクエスト』こそ、NHKの《朝ドラ》、すなわち朝のNHK連続テレビ小説の題材として非常に好適なのではないかと考えます)

異世界・異能バトルとまでは行かなくても、同じく町おこしを目標にしていた前記事の『アクションヒロイン チアフルーツ』のように作中ショーのステージ上でなら変身やバトルがある、というわけでもありません
(同時期に町おこしを取り上げたアニメが放送されたという符合は興味深いですし、合わせて視聴してみるのもより深い見え方がして良いかもしれません)

地方都市・間野山の自然は美しく、四季の移ろいの味わい深さも、このアニメを制作する「P.A.WORKS」の得意技ということもあり、その描写は秀逸なものです。
が、当然ながら都会的なきらびやかさはメイン舞台には存在しませんし、若年人口は流出気味な地方都市だけに、主要5人以外の登場人物の高齢率もすこぶる高い。
全体的にひなびた雰囲気が漂うのも無理からぬことでしょう。

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そんな中での主人公ら主要メンバー5人が取り組む観光協会の仕事というのも、大変に地道なものでしかありません。

各種のイベントを企画してはいろいろな課題に直面。
裏方仕事に追われながらトラブルの処理
根回しのために観光協会とは必ずしも利害が一致していない商店会の人たちに頭を下げに行けば、皮肉を言われたりもしながら段取りを調整。

基本的に、そんなことの繰り返しだと言えます。

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それでも5人が力を合わせて知恵を出し合い、壁にぶつかって挫折しそうになりながらも、少しずつ周りの人たちを動かし、町を徐々に変えていく様子には、静かな、しかし着実なカタルシスがあります(ということなので作品がオモシロくないと言ってるのではありません)

まぁ、それだけ現実に則した地に足をつけた作劇だということになります。
したがって、主要登場人物の5人が華々しく美少女戦士に変身して悪者と迫力のバトルを繰り広げるような変身少女ヒーローもの的な展開からは対極にある世界観の作品だと言うこともできるでしょう。


  


ところがです。
それにもかかわらず、この『サクラクエスト』にはプリキュアシリーズの文法で読み解ける要素が多分に含まれているのです。

メタ的には「1年契約」に合わせて物語が構成されているというのもあるでしょう。

また「ひょんなことから◯◯王国の危機を救う使命を引き受けることになった話」だという共通項でも括れるのは、もしかしたら意図的にかぶせてあるのでしょうか
(物語の結末を「5人が《桜の王国》を取り戻した」と解することもできなくはありませんね)。

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のみならず、各々個性豊かな女性5人が集まり、互いに補いながら親密性や信頼関係を育み、共通の目標に向かって課題に取り組んでいく……といったフォーマットもまたプリキュアシリーズと共通しています。

途中の困難もなんとかいちおうの答えを出して乗り越え、仲間の結束は高まって周囲には協賛者も増えていく。
そんな過程で発揮される行動原理もプリキュアシリーズ10周年超時代のアニメキャラとして不自然さのないもので、あくまでも主体的。いわゆる「男に頼る(依存しきる)」発想もナシ(必要な協力の輪は相手の性別にかかわらずちゃんと広げていきます)。

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そうこうするうちに絶望を希望が凌駕して、未来への展望が開ける。
主人公らが、自分たちを信じてがんばった結果、世界が少し変わる。

同時に、そんな体験を経た主人公たちも、それぞれなにがしかの成長をする。
自分に自信が持てるようになり、自分自身の未来がちょっとだけ形になる。
自分の進む道の方向が見えてくる……。

このような物語の構造は、まさしくプリキュアシリーズそのものであります。

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『サクラクエスト』は現実世界のリアルな課題に立脚した作劇なので、シビアに甘くない世界を描いている分、テイストは違えられてはいますが、おおむねこうしたルートをたどる物語には、プリキュアシリーズに連想が働くところを禁じえません。

音楽クリエイター集団《 (K)NoW_NAME 》による主題歌群を聴き比べても、その歌詞にはプリキュアシリーズが子どもたちに向けているメッセージと通底するものが謳われている、やはりそう強く感じられます。

  


このように読み解けば、『サクラクエスト』のような変身もバトルもなしで若い女性たちが地道に奮闘する物語であっても、やはりコレはプリキュアシリーズの1バリエーション譚だと言えるでしょう。

その意味で、町おこし・地域の振興に奔走する5人は、本当にプリキュアなのです。

『チアフルーツ』とちがって『サクラクエスト』の主人公らは20代の女性たちですので、2017年現在だと保育園・幼稚園の頃から息をするようにプリキュアシリーズを視聴してきた世代よりは少しだけ上かもしれません。

だとしても、そう遠くない未来、幼いころにプリキュアに憧れた子どもたちが成人し、それぞれの場所で、それぞれの仕事・役割に就くことになります。

この『サクラクエスト』に鑑みるなら、それは「プリキュアになった」と呼んでいいのではないでしょうか。

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おそらくは、プリキュア世代の子どもたちが大人になった時代に、それぞれが置かれた場所で各々の役割に沿って、仲間といっしょに課題に取り組むとしたら、この『サクラクエスト』で描かれたように、プリキュアシリーズに込められたエッセンスを具現化した形になっていくでしょう。

いわば『サクラクエスト』がプリキュアシリーズの文法で読み解けるのは、その様子をアニメ化したものだからなのだとも言えます。

やはり「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

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そして、物語の肝要が主人公らの成長、自分の道をみつけるプロセスなのだとしたら、プリキュアになって何事かを成すということは、じつに「自分になる」ということ。

となれば、幼い子どもがプリキュアに憧れたそのとき、いつか何かになる将来の自分は、しかしもう今の自分自身でもあるわけです。

他ならぬプリキュアに憧れている幼い自分こそが、いつか将来の自分として自己実現を果たして何かになる――。

これはつまり「もうプリキュアになっている」に等しいということにはなりますまいか?

自分が自分であることを見失わない限り、自分はもうプリキュア。

そう、プリキュアシリーズを視聴しプリキュアに憧れた瞬間から「女の子はつねにすでにプリキュアなのである」なのです。

(……「つねにすでに」の無駄使い! というツッコミはナシで(^^ゞ)


◇◇


§その他ツイッターで『サクラクエスト』に言及したものを、補足として以下に貼っておきます






◇◇


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[2:女の子がなったものがプリキュアである]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子は誰でもプリキュアになれる」。

それは前記事で見たように、ある意味では真でした。

「誰でも」の「誰」が性別で限定されるモンダイについても、さまざまな方策が試みられている中では、引き続きの検討課題として見守っていくものということになりましょう。

まぁ個人的には、プリキュアに魅了され、プリキュアのスピリットを我がものとしながら、その志を実践しようとする者を、ここでは「女の子」と呼んでいるのだ……というふうに読み替えてかまわないのではないかとも考えます
(てなわけで以下の記事中でも基本的にそういう方針で書き進めますねノ)。

しかし、本当にリアルな現実世界で、プリキュアに憧れる体験を経た子どもが、将来においてアニメの中のような変身ヒーローとしてのプリキュアになれるかというと、実際のところは難しいのも事実です。

中学生・高校生となった暁に、ある日通学路の途上で異世界からやってきた小動物のような容貌の妖精と出くわし、それがきっかけで◯◯王国の危機を救うために伝説の戦士になって悪者が遣わした異形のモンスターと戦いご町内の平和な日常を守ることになる……なんてことが、そうそうあるという話はとんと聞きません。

その意味であれば、「アニメに出てくるような変身ヒーローとしてのプリキュア」になれる人など誰もいません、という甚だ夢のない結論が出てしまいます。

まぁ、現実ってそういうもの。

でも、それじゃぁ、幼少のみぎりにプリキュアに憧れた体験というのは、ただ単にそれだけの、子ども時代の夢物語なのでしょうか?

結論から言って、それは違います

子ども時代にプリキュアに憧れ、毎週のアニメを楽しみ、そこから何かを得た子どもたちが、それを心の糧としながら、将来において何かになるということは、ままあることでしょう。

そんな、プリキュアに憧れた体験を通じて得たものを触媒として、かつての子どもがなったもの、それこそが現実世界における「プリキュア」の実像なのではないでしょうか。

すなわち、「女の子は誰でもプリキュアになれる」というのは、リアルな社会での様相に即して換言すれば「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

そう考えれば「女の子は誰でもプリキュアになれる」も、あながち子どもに向けた「優しい嘘」だとは言い切れないものを内包しているということになります。


え? イマイチ具体的なイメージが湧かない??

それでは「プリキュア」シリーズよりは、もう少し「実際になれそうな」題材を描いたアニメの事例をひもときながら見ていきましょう。

例えば典型的なのはアイドル

『プリパラ』の名前は前記事でも出ていますが、こうしたアイドルアニメにおけるアイドルの意匠や瞬間衣装換装の演出が、アニメ表現上はプリキュアと地続きであることは、昨年「マクロスΔ」の論考「『マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性」で触れたとおりで触れたとおりです。

一般的に考えれば、プリキュアに憧れるのと同じように女の子たちがプリパラアイドルに憧れ、なってみたいと思うだろうことに、相当の連続性があるのも容易に理解できますが、少なくともアイドルという大きな枠組みにまで視野に入れれば、それは現実になることができる職業として実在しています。


これがまさにプリキュア的な戦いであることも前掲「マクロスΔ」論考に述べたところであり、ここでもプリキュアとアイドルの間には連続性が見られます。


 


さらに、この2017年7月からのアニメ作品には、こうしたラブライブ的な「アイドルとしての戦い」としての1バリエーション譚と言える作品も登場しました。

それが『アクションヒロイン チアフルーツ

公式サイト(→ http://www.tbs.co.jp/anime/cfru/ )によると、

とある地方都市が企画した小さなお祭りから(中略)「ご当地ヒロイン」ブームが各地で巻き起こった。その勢いで「ふるさとヒロイン特例法」が成立し、各自治体がステージショーをプロデュース。(中略)「アクションヒロイン」は子供から大人まで愛される憧れの存在となっていた。
フルーツ産地ののどかな地方都市『陽菜野市』はその波に乗り遅れていた。
陽菜野高校3年の城ヶ根御前は危機感を募らせていた県知事の叔母に「アクションライブ」をプロデュースするよう唆される。
とまどう御前だが、「アクションヒロイン」を成功させ、この街に活気を取り戻し、祖父が建設に尽力した文化ホールの閉館を覆すために、立ち上がる!

……が物語の発端として説明されており、そこから仲間が集まり、「アクションヒロイン」としてのステージショー(アクションライブ)に取り組んでいく様子が描かれていくわけです。

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※本記事中、画像は公式の配布画面からキャプチャしたもの


要は、ステージ上で演じるヒーローショーとしてプリキュア的な演目を女性がおこなうのが盛んになっているという世界観のもとで、女子高校生たちが自分たちの住む町の振興のために奮闘するというのがストーリーのアウトラインを成しているものです。

こう見るとまさに『ラブライブ!』の「スクールアイドル」をプリキュア的なヒーローショーである「アクションヒロイン」に置き換えた作品だと受け取ることもできます。
まずもって、ステージパフォーマンスである点は同じです。

「廃校」に直接的に対応する項目として「文化ホールの閉館」も用意されていますし、作中では全国のライバルチームの活動がインターネット上でランキングされており、それを確認して自分たちの順位に一喜一憂する様子などは、いわば今風な必然として共通していたりもします。

そのうえで、、自分たちにとっての守るべき日常を営む場所を、学校という枠から少しスケールを広げて、寂れた地域経済の危機に置いたところがオリジナルなポイントかもしれません。
町おこしが使命とは、じつに現実世界の実状に寄り添ったリアルなテーマです。

そうして、作中では主人公らが結成したチーム「チアフルーツ」が、ステージ上でアクションヒロインとして上演するアクションライブショー『聖果戦士ヒナネクターの内容に着目すれば、これはもうまさしくプリキュアなのです。

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各々のメンバーの個性に応じた赤、青、黄などのパーソナルカラーに色分けされた変身美少女戦士が力を合わせて悪と戦っていく台本は、現実世界の遊園地でのプリキュアショーで子どもたちが大興奮するがごとく、作中の観客の子どもたちにも大人気で、客席からは熱い声援が送られるところとなっています。

その意味で『アクションヒロイン チアフルーツ』は、プリキュアの1バリエーション譚でもあります。

また、現実世界ではプリキュアシリーズと戦隊シリーズの内容がクロスオーバーし相互作用を及ぼしつつ、実質的な内容の差異がない状態になってきている現状にありますが、そのあたりも織り込まれています。

作中での『聖果戦士ヒナネクター』の内容は直接的にはプリキュアっぽいわけですが、同時に戦隊ヒーローっぽい雰囲気もまた上手に統合されています。

客席の子どもたちも性別を問いません。
アクションヒロインが国民的人気という世界観のもとで、それが女性が演じるものだから女の子向けだとは、必ずしも思われていないというのは、非常に好感が持てる世界設定です。

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そもそも前記事で述べたとおり、「ヒロイン」という語は私たちの現実世界ではシンプルに「ヒーロー」の女性形の意味ではなく、主人公であるところの男性ヒーローの恋愛相手、補助・ケア役割、およびときどき敵の人質にされる役回りというニュアンスを付与されてきました。

それゆえに、プリキュアのような「女性のヒーロー」を言い表したいときには《戦闘美少女》《バトルヒロイン》《ガールヒーロー》などの修飾を伴った表現が必要でした。
《魔法少女》にそうした定義を与えて用いていこうとするややこしい流れも発生します。
ちなみにワタシは近年では熟慮の末《変身少女ヒーロー》と言い表すようにしています。

ところが『アクションヒロイン チアフルーツ』の作中では、本当に「ヒロイン」の語が単純に「女性のヒーロー」を意味するものとして使われているようなのです。
フィクション作品の世界観を通して、こうした定義の最適化が図られるのは意義があることでしょう。

誰もが「女性のヒーロー」に特段のバイアスは皆無にあたりまえのものとして受け止め応援している。
アクションヒロインが子どもから大人にまで大人気という世界観は、こう考えるとなかなか深いです。

過去の男性主人公の特撮ヒーロー作品へのオマージュと解せる小ネタが、こうした変身少女ヒーローもののバリエーション譚にふんだんに盛り込まれているのも、ある種の歴史の総括としての機能を果たしているかもしれません。

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ともあれ、作中のこうした世界観が、視聴者に違和感を与えることなく構築できることには、視聴者が暮らす今日の現実世界においてプリキュアシリーズが存在していることが大きく寄与しているのは疑いありません。

チアフルーツ作中は20XX年という設定のようですが、仮にこの2017年であっても、たいていの高校生の年頃というのは、保育園・幼稚園のころからプリキュアを見て育ってきている世代です。

そういう世代感覚の女子高校生たちからすれば、学校の部活のノリで取り組むアクションヒロインの活動内容がきわめてプリキュア的であることは、まったくの自然なことであって不思議はありません。

作中での大人世代も含めた観客や町の人々がフツーに受け入れるのもまた然り。

となると、この『アクションヒロイン チアフルーツ』は、幼少時にプリキュアのアニメを視聴しプリキュアに憧れた子どもたちが、長じて高校生となった時点で実際に「プリキュアになった」様子が描かれたアニメ……だと言うにふさわしいということにもなるでしょう。

これをロールモデルとすれば、女の子がプリキュアになる未来は、まさに今こうして実現するものなのです。


  


そんなわけで「女の子は誰でもプリキュアになれる」を「女の子がなったものがプリキュアである」と再解釈し、アイドルアニメなどを補助線に当てて「現実になれるプリキュア」とは何かと考えたとき、わかりやすい具体例としては、やはり何かステージ等にかかわる職業ということになるでしょうか。

アイドルも該当するでしょうし、遊園地のプリキュアショーの関係者などもかなりビンゴです
(着ぐるみに入ってヒーローとしてアクションをこなすスーツアクターなら、実際のところ男性も多いはず)

あとは声優になってプリキュア役を務めるなどとなれば、ほぼそのものズバリ「プリキュアになった」ことに限りなく近似しているでしょう
(近年では毎年プリキュアの新シリーズの声優が発表された際、若手キャストの中には「子どものころプリキュアに憧れていた……」とコメントする人も実際にいる)

このように比較的万人に納得してもらいやすそうな例だけでも「プリキュアになった」と言える職業はあるものです。

やはり「女の子は誰でもプリキュアになれる」のです。
そこに、かつてプリキュアシリーズを視聴して得られた何かが生きている限り――。


しかし、この上述したような比較的万人に納得してもらいやすそうな職業以外だと、「プリキュアになった」とは言いづらい危惧はある……という意見は出てくるやもしれません。

まぁ真面目に考えればそれもまた現実。
はて、ソコはどうしたものでしょう。

この点、次記事にてもう1例のアニメ作品を見てみることで掘り下げたいと思います。


◇◇


§加えて、「女の子は誰でもプリキュアになれる」の「誰」に身体障害者は含まれるのか? モンダイについて、『アクションヒロイン チアフルーツ』は一定の展望を示していました。
以下は、その点に関連してツイッターで述べたもの。



◇◇


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[1:男の子プリキュアへの中間回答]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

「女の子は誰でもプリキュアになれる」。

元々は2012年3月公開の劇場版映画 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち』のキャッチコピー的な位置づけの言葉でしたが、その後も1映画タイトルの枠を越え、プリキュアシリーズ全体に通底するコンセプトとしても通用している言葉です。

番組を提供しているスポンサーの立場からすれば、テレビの前のチビっ子たちが「自分もプリキュアになれるかも!」と思ってくれるほうが関連商品の売上が伸びて都合がいいのです………などと言ってしまうと身も蓋もないですが、他方、子どもの発達課題として、テレビのヒーローに憧れ、自分もなってみたいと夢想する体験は、いろいろ得られるものも多く、望ましくもあるでしょう。

プリキュアシリーズ各作品の内容もまたそれに応えていて、各作中でプリキュアに変身することになる登場人物もバラエティに富んだチーム編成になっています。

見る前に跳ぶタイプの元気印を筆頭に、知性派お嬢様、武闘派や体育会系、引っ込み思案にツンデレさん……。

いろいろなキャラクターに、さまざまな個性が揃っているので、これならテレビの前の個々のチビっ子がどんな性格であれ、たいていの子には、その感情移入先として対応できるというものでしょう。

また、主人公らがプリキュアになるきっかけも、ひょんなことからしかるべき場面に出くわし、そこで「友だちを助けたい」とか「大好きなものを守りたい」といった気持ちを体現することに由来するのが、シリーズ各作にあてはまる通例となっています。

作劇上は番組開始時点で誰がプリキュアになるかは決まっているとはいえ、物語世界の中では、決して「前世の因縁」などによってすでに運命づけられていたりするのではなく(この点は「セーラームーン」先輩にくらべたときにプリキュアシリーズが進化していると言える大きなひとつでもあるでしょう)、あくまでも本人の行動が決め手となり、かつ本人の意志で主体的に選び取ったものとして描かれているのです。

すなわち、プリキュアになれるかどうかは、個々人が心に持っている気概、ないしは日頃からの心がけのようなものがポイントとなっており、これは誰にでも可能性があるものです。

こうした点は基本的に現在放送中の2017年度の最新作『キラキラ☆プリキュアアラモード』にも、もちろん継承されています。


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※本記事中、画像は放送画面や公式のサイトからキャプチャしたもの


そうしたことゆえ、やはり作品を視聴している子どもたちもまた、自分のココロザシしだいでは自分もまたじゅうぶんにプリキュアになれると考え、そのことが作品内容を通じて否定されることはないという仕掛けになっているのです。

まさに、プリキュアに憧れる子どもたちには、誰でもプリキュアになる可能性が保障されているわけです。

ただひとつの、重大なモンダイを除いては――。

そう、「女の子は誰でもプリキュアになれる」とはいうものの、「女の子は」と言ってしまっていることによる、じゃあ例えば「男の子はプリキュアになれないのか!?」案件ですね。

 


もちろん、そもそも30年ほど前には基本的に女の子はヒーローになることから排除されている状況にあったことは踏まえられなくてはなりません。

息をするようにプリキュアシリーズを見て育った今の若い人にはピンとこないのかもしれませんが、当時のテレビの子ども番組では、変身して悪者と戦う主人公は男性に限定され、女性の登場人物はその周縁に存在するのみに留められるのが常識だったのです
(首尾よく5人チームの1メンバーとして入り込めたりしても、他の男性メンバーよりは一段低めに置かれるなど、実質的には同様の問題がありました)。

そんなこともあって、本来の語義的には「ヒーロー」の女性形である「ヒロイン」は、シンプルに「女性のヒーロー」を意味することにはならず、根本的な役割・物語中での存在意義が異にされていたという事実も見逃せません。

ありていに言って男性主人公の恋愛相手として意味づけられ、主人公の補助・ケア役割を担い、作劇上はしばしば敵に捕縛されて人質となりヒーローの足手まといになる役目を負っている、それが「ヒロイン」というわけです。

そういう状況は、21世紀の今日にあっては、ずいぶんと覆ったものです(そんな変革に至るプロセスにおいて「セーラームーン」先輩が果たした功績の大きさは正当に評価されないといけません)。

建前上は男の子向けとして制作されるヒーロー作品――戦隊ヒーローや仮面ライダー、あるいはウルトラマンなど――にあっても、今ではプリキュアシリーズで定石となった諸設定を逆輸入するなど、相互作用は小さくありません。
変身アイテムや武器アイテムの本質的な相同性や、ストーリーについても然り。

ただそれでも戦隊ヒーロー・仮面ライダー・ウルトラマンなどが、過去のフォーマットを改廃しきれずに、いまだに男性中心の構造をまとったまま続いていることもまた否定はできません。

現実世界の全体像に目を移せば、今なお女性を周縁化しようとする権力構造は社会の主流です。

そんな中での、いわばアファーマティブ・アクションとして、プリキュアのような女子限定ヒーロー番組は、たしかに現在でも存在意義を有しているのです。

そこを理解せずに「戦隊ヒーローには女性もなれるのにプリキュアが女子限定なのは男性差別!」などと叫ぶのでは、短絡的な女性専用車両叩きと同様に、あまりにも狭い視野での議論だと言わざるをえないでしょう。


しかし、そうは言っても《プリキュアに憧れる男の子》は、すでに現実にいます。

そこを「プリキュアは女の子だよ。男の子には戦隊やライダーがいるでしょぅ?」とばかりに性別を基準に仕分けして、そうした子たちの願いに応えないのもまた、ジェンダー規範に立脚して人を抑圧する構造であり、それを無批判なまま採用し、改革しないでいるのも不誠実なことです。

プリキュアシリーズも、ここまでこの点から逃げずに、いろいろな取り組みはしてきたのは認められるところです。

女の子が男性に頼らず自分たちでがんばるというアファーマティブ・アクションとしての意義を損なわずに、作中にどのように男の子たちを配置するかの工夫には、いろいろと苦心の跡も見て取れるというものです。

それでも2017年現在、やはりいろいろ難しいのでしょう、男の子がテレビシリーズ本編のレギュラー枠でフツーにプリキュアになるケースは、(『俺、ツインテールになります。』のように)変身したら性別が変わるような方策や、あるいはプリキュアへの変身者が男の娘であることも含めて、いまだ実現していません。

せいぜい、ハートキャッチプリキュアでキュアサンシャインに変身する明堂院いつきが普段は男装をしているというのが、性別撹乱的な前例として数えられるていどです。

 


ただ、この2017年度、この明堂院いつきの新たなる進化形が登場しました。
最新作『キラキラ☆プリキュアアラモード』の主要登場人物のひとり剣城あきらです。

その変身後の姿である「キュアショコラ」ともども、見てのとおりとても中性的で性別不詳感が漂っていま……

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………と言うよりは、むしろ非常にボーイッシュなキャラ造形で、積極的に男性であると誤認させようという方向性です。

演じる声優として元タカラジェンヌ男役の森なな子が配役されているのも、そういう制作側のねらいを反映していると推察可能です。

普段の服装も基本的にボトムはズボン。
私服ばかりか、他のメンバーとお揃いとなるべきパティシエ服もまた1人だけそうなっています
(他にも茶席で着物を着るシチュエーションや、海水浴での水着描写でも、あからさまに女性性を表象する装いは避けられている)。

学校のシーンでは所定の女子制服を着用していますが、そのスカート姿に激しく違和感を禁じ得ないのは、『プリパラ』のアニメでのレオナ・ウェストの男子制服姿と双璧を成すレベルでしょう。

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作中では実際に、筆頭主人公・宇佐美いちかから出会った当初はイケメンお兄さんだと間違われていたりもしました。
あまつさえ、あまりのイケメンぶりに軽く一目惚れ状態になっていたのが、ほどなく女性だと判明して「失恋」する展開も形式的には用意されていましたが、そこは2017年仕様、同性どうしの恋愛が自動的に否定されるような描き方にならないように最大限に配慮されていたのには、時代の進捗が伺えます。

加えて、キュアマカロンに変身する琴爪ゆかりと並んでいると、道行く人々等からはゆかりの「彼氏」だと認識されるという描写も複数おこなわれます。
いやはや「異性愛/同性愛」という軸線すら揺らぎますね(*^^*)。

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あきら自身、「よく(周囲からは男性だと)間違えられる」と説明していますが、その口ぶりはまんざらでもない様子で、「男っぽいこと」「女っぽくないこと」がコンプレックスになっているといった因習的な設定は取り入れられていません。

むしろ、自分はありのままの自分でいるだけなのに、見た目を根拠に勝手に性別を判断し、
それが生物学的な根拠と異なることに無駄なリアクションをおこなう周囲のほうが悪い……というスタンスでいるふうです。

明堂院いつきには、ある種のイクスキューズとして採用されていた「家庭の事情によって男装している」「じつは女の子らしいカワイイものが好き(だけどソレを我慢している)」といった設定もまた今般は導入が見送られています。

まさに【トランスジェンダーに理由は必要ないし「本当の性別」は存在しない】が、プリキュアシリーズにも採用された形になっており、おそらくは直接にはライバル番組である『プリパラ』におけるレオナ・ウェストや紫京院ひびきについての取り扱いを、制作側が相当に念頭に置いたのではないでしょうか。


  


そんなこんなで、この剣城あきらは、性別越境的な属性を持つプリキュア変身者として、相当に新しいキャラとなっています。

これは制作側が「男の子はプリキュアになれない」モンダイに対して、現時点において可能な範囲で最大限誠実に応えたものと捉えてよいでしょう。

すなわちキュアショコラは、プリキュアシリーズの枠内での「男の子プリキュア」のありようとして、現時点で暫定的に示された、中間回答のひとつだと言えるでしょう。

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さて、ということなので「男の子はプリキュアになれない」問題については一旦ここで置くとして、ではそれなら女の子なら本当に「女の子は誰でもプリキュアになれる」のか、について、ここで少し話を進めてみましょう。

まずは次記事に続きますノ


◇◇


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