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進化から取り残されたガンダムAGEの失われた100年 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

かねてよりジェンダー的にアウトなのではと指摘してきました『機動戦士ガンダムAGE』が、さきほど最終回のオンエアを終え、ようやく「親子3代100年にわたる戦い」にピリオドが打たれました。

まぁ女性キャラの扱いに関しては、結局のところ最後まで思わしくない状況が続いたと言わざるを得ません。

第3世代主人公・キオ編で母艦の新米艦長として抜擢されたナトーラ・エイナスさんも、最後のほうはそれなりに艦長っぽくふるまっていましたが、そこに至る本人自身の葛藤はおざなりな描写しかなかったため、せいぜい「慣れた」程度の印象しか与えてはもらえませんでした。

同じように宇宙艦船の新米女性キャプテンの成長物語であっても、『モーレツ宇宙海賊』加藤茉莉香のそれと比べて、遜色がないと言うには(「主人公」でないという点を差し引いても)どうしたって無理があります。

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また第2世代主人公のアセム・アスノに妹ユノアが設定された意味も不明なまま終わりました。
もしかして「ひとりっ子というのもナンだし、妹くらいいることにしとこう」くらいの理由しかなかったのでしょうか?(それならあのように中途半端に露出させずに、むしろもっと扱いを軽くするという選択肢もあったはず)
たとえガンダムの元となるデータが格納されたメモリーユニットでありガンダムに搭乗する資格の証でもある「AGEデバイス」がアスノ家の一子相伝なのだとしても、第1世代主人公・フリットの子であるという点では、アセムもユノアも対等なのです。
僕の妹はガンダムに乗れる』はワタシが考えたネタ小説だとしても、例えばアセムとユノアでガンダムの継承を競うようなエピソードくらいはアセム編の冒頭であってもよかったのではないでしょうか?
何度も引き合いに出すのは本当は避けたい(他と比べてどうこうという物言いのしかたにやたら依拠するのは本来は不適切だと思うので)のですが、『モーレツ宇宙海賊』では加藤茉莉香が海賊の船長職を相続する際、彼女が女の子である点はまったく問題とされなかったのを見てしまうと、アセムが男の子だというだけでユノアを差し置いて無審査でガンダムの継承者にされてしまった流れは、どうしても違和感を禁じ得ませんでした。

ツイッターのやり取りでもすでに「空気キャラ」の声がしきりの各世代「正ヒロイン」、エミリー、ロマリー、ウェンディについては、もはやここでは語らないことにしましょう。

一方、第3世代キオ編での「敵幹部」にあたるフラム・ナラ、彼女は演じる声優・寿美菜子さんの好演ともあいまって、魅力的な女性キャラに仕上がっていました。
このフラムの活躍しだいでは、終盤の物語は相応に盛り上がるかも! …という期待も一時は高まったと言えましょう。

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◎フラムの搭乗機「フォン・ファルシア」も、その【魔法少女モビルスーツ】とでも言えるデザインが、(今後のいろいろなアニメに対する大きなヒントになる――例えばプリキュアをロボットに乗せて戦わせることになったときなど――という点で)新しい可能性を感じられるものでした

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しかしながら、やっぱり最期は「ゼハートさまぁ…はぁと」と上司へのほのかな恋心を胸に秘めての戦死。
このアニメは男性との恋愛を通じてしか女性キャラを描けないのだなということを再確認させられて終わりとなりました。
いわば、女性キャラを悲恋の末に死ぬ役回りだとしか考えられない制作サイドを持ったこのシリーズの不幸が、フリット編でのユリンから続く系譜として、また繰り返されたということになるでしょうか。

※以上の画像はすべて公式サイトよりキャプチャ
  →
http://www.gundam-age.net/


  


いゃ、物語中でキャラが理不尽に死んでいくこと自体はよいのです。

そもそも、瑣末な原因で対立した陣営間で無益な戦争が起こり、そんな戦場で戦争さえなければ戦うこともなかった者どうしが殺し合って死んでいく不条理を描くのがガンダムというアニメの真骨頂なのだと言うことだって可能です。

しかしながら、『AGE』は、その戦争の理不尽さをどれだけわかりやすく的確に伝えられたでしょうか?――という点でも、いささかの留保が必要と思われます。

多くの主要キャラが戦死する展開はガンダムシリーズでは珍しくないとはいえ、戦死の必然性がじゅうぶん納得の行く形で視聴者に示されなかったケースもAGEでは散見され、そこでは「戦争」の悲惨さよりも、制作サイドの杜撰さを視聴者が感じるようなこともあったのではないでしょうか。

また、たしかに戦争の不条理を描くとなれば、開戦の理由はしょーもないほど、作劇上は有効だと言えなくもないのですが、さりとて『AGE』の場合、「敵」首領イゼルカントによる選民思想的な理想郷の建設というカルト宗教を彷彿とさせるような真の目的が、とんでもなくもまちがった考え方であることが、いまひとつわかりやすい描写とはなっていなかったように思えます。

そこんところは、子どもにもわかりやすいようにキッチリ提示しないといけないところなのではないでしょうか?

地球連邦軍側にしても同様です。

第1世代主人公・フリットが、フリット編における心を通わせた少女ユリンの死を、本来はそういうやるせない悲劇を生み出す戦争そのものや、その背景の社会構造への怒りとすべきところを、安易にたまたま可視的な敵陣営だったヴェイガンへの怨恨と憎悪に転化してしまったうえ、延々と引きずっていきます。

第2世代アセム編の頃には、フリットは連邦軍総司令官の地位にまでのぼりつめて、あくまでも徹底抗戦、敵の殲滅を目論んで揺るぎません。

第3世代キオ編では、すでに軍を退役した立場でありながら母艦に乗り込んで、まだ一人前に職をこなせるに至っていないナトーラ艦長に執拗に口出し、クルーの冷静な意見には感情的に戦意高揚を煽っては頑なに和平の方針は拒み続け、あまつさえ禁止されている「大量破壊兵器」まで投入しようとする狂気っぷり。

仮にも番組放映開始当初は主人公の少年だった人物を、このような老害パワハラ爺さんとでも呼べるようなていたらくに描いてしまった意味は、はてさてどのあたりにあったのでしょうか。

最終回の直前になって、なぜか急にイイ人ぶるようになって、最後にはオイシイところを全部持っていった感が否めないのはワタシだけなのでしょうか?

しかるべき地位に就きながら戦争を長引かせるようなことばかりして、結果、よりたくさんの人を死に至らしめてしまった、その落とし前をフリットにしっかりつけさせない終わり方は釈然としません。

ぃや、百歩譲っても、あの銅像はないでしょう、銅像は!

◎その意味でもフリットこそがラスボス役を引き受けるべきだったかも(^^ゞ
参考:http://twitter.com/tomorine3908tw/status/252338922976337920

そして、フリットの孫である第3世代主人公・キオだけが、捕虜になって敵陣営の内情もまのあたりにした経験から、どちらの側も同じ人間、話せば分かる、戦争を終わらせて平和に生きようと、日本のアニメの主人公としてはしごく真っ当な意見を持つに至るのですが、この本来の落とし所とも言える考え方も、作中での位置付けが不明確なまま、やはり子どもにもわかりやすく伝わりうるメッセージとして成立しているかどうかは微妙でした。

せっかくキオが開眼した真理が、作中には受け皿がない状態で、つまるところラスト数分に至るまでキオの一人芝居にしかなっていなかったのは、はたして意図的な演出だったのでしょうか?
はたまた意図的だとしたら、それはどういう意図だったのでしょうか??
私にはそこが疑問です。

例えば(また他作品との比較になってしまうのですが)輪廻のラグランジェ』では、対立する二大陣営の間へ、その二大陣営出身者も含む「友だちと仲良く暮らしたい」というような願いを動機に、少女たちが力強く割って入って、ついには戦争を終わらせるという構図がしっかりと成り立っていました。

いわば、正義や秩序といった建前上の大義(でも冷静に考えればけっこうちまちました理由だったり)を振りかざして争いをやめない「男たち」の論理に、友だちとの楽しい日常を守るという「ケアとキュア」に立脚する「少女たち」の論理が対抗することが描かれたわけです。
 ※詳しくは次記事

その意味では、『ガンダムAGE』でキオの願いが、放送時間が残り少なくなって話をまとめる必要に迫られるギリギリになるまで、広がりを持ち得なかった原因は、やはり「女性の視点」がなかった作品世界の構造にあると言えるのかもしれません。

◎例えばモビルスーツ戦の最中にキオがフラムを説得しようとした場面で、あのように理詰めで「戦争は良くない」と訴えるのではなく、「僕、お姉さんのこと好きだよ。お姉さんが嬉しいと僕も嬉しいし、お姉さんが悲しいと僕も悲しい。だから戦うなんて無駄なこと、もうやめようよ」みたいに語りかけていれば、もっと別の反応が引き出せていた可能性は考えられないでしょうか?

旧態依然とした男性特権領域的でマッチョな価値観に知らず知らず則って制作されてしまったことが、『ガンダムAGE』の今の時代に合わせた進化を妨げていたのだとしたら、これは残念と言うより他はありません。

 

★当ブログでは「作品世界が構成されるうえでの女性の視点の欠落」およびソレを象徴するところの「女性キャラの粗末な扱い」という観点から『機動戦士ガンダムAGE』を批判的に批評してまいりましたが、それはもちろん番組の全否定を意味しません。
特に同時期に放映されていたことからもしばしば『モーレツ宇宙海賊』や『輪廻のラグランジェ』を引き合いに出しましたが、例えば艦隊戦やモビルスーツ戦の描写の迫力などでは、これら両作品に比しても総じて『AGE』に一日の長があったと言ってよいでしょう。