So-net無料ブログ作成

◎執筆・講演のご依頼はお気軽にお問い合わせください◎
メール案内ページ
「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

キミは琉球の風を見たか [その他雑感つぶやき]

お知らせブログでも述べたとおり、去る12月半ば、我が娘・満咲を伴って、沖縄へ行ってきました。

直近の沖縄県訪問は2005年の宮古島で、そのときは戸籍改名直後にして運転免許証も更新直後ということで、女性としてレンタカーを借りるという課題を初体験する旅行でもあったのですが、それらも含めて南の島の青い海と空を満喫できた、なかなか充実した旅でした。

ただこの当時は関西空港から宮古島まで直行便が飛んでいたので、乗り継ぎで那覇空港に寄るということもなかったんですね。
したがって沖縄本島は、今回は1994年以来の17年ぶりだったわけです。

思えば1994年あたりというのは、ワタシがいちばん煮詰まっていたころで、沖縄旅行中も、その美しい自然には癒されながらも、逆にそれを一緒に見る人もおらず、そしてその先の男として生きていく展望も果てしなく不透明感に満ちていて、なんかもぅえもいわれぬ閉塞感を抱えての一時的な逃避行といったニュアンスが濃厚でした。

さらには、はじめての沖縄は1985年、大学時代の合宿でした。
当時の周囲の男子学生の中には沖縄といえば「ナンパ旅行」のように語る者もいて、そのあたりの自分との相容れなさに、激しく悶々としていたりもしたものです。
加えてちょうどこの訪沖は、病床の母が余命わずかというタイミング。最後のお土産にと、ビーチに寝そべる少年がモチーフの貝細工を買って帰ったことも記憶しています。


今般、沖縄本島のあちこちを巡りながら、そうした沖縄方面旅行の自分史をふり返れば、そのときどきの思いもしみじみとよみがえり、ちょっと切なくなる瞬間も何度かありました。

今は亡き母との思い出や、そしておそらく晩年の母は特に、私のことを「女の子に産んであげていればよかった…」と思っていたフシもないではないこと――もはや推測するしかないですが。

そんな母の愛情を回顧しつつ、ふと傍らの満咲を見遣れば、さて、私は満咲に対してあのころの母のような存在たりえているのでしょうか?

でも、それも含めて、そうしたさまざまな思いを抱えて生き延びてきたキセキが、今この島で交錯し、それがまた次の空へとぶ………。

満咲をぜひとも未来へ連れて行く責務とともに、自分自身もまた、まだまだ訪れ続ける明日が、琉球の風の中に見えたような気がしました。


ありがとう沖縄♪ヽ(´▽`)/