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「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

自分で選んでない主人公 [多様なセクシュアリティ]

この時季「さだまさし」といえば、やはり大晦日の深夜(日付上は元旦の未明)、紅白歌合戦が終わり、ゆく年くる年が終わり、新年最初のNHKニュースも終わった後に始まる、妙に安っぽいつくりのトーク番組のパーソナリティとしてのイメージが強いでしょうか。

ただ昨年あたりからなぜか相応の予算が付いたみたいで、あの紅白との落差があまりにもあんまりな独特の雰囲気が好きだった私としては、逆にちょいと残念(^^ゞ
今年度は「今夜も生でさだまさし――2011新春生放送!年の初めはさだまさし」と銘打ち、名古屋国際会議場・センチュリーホールから生放送なのだそうです(^_^;)

ちなみにさだまさしは歌手として紅白歌合戦への出場歴もあり、あるいは、今年注目の植村花菜『トイレの神様』と同スタイルで、あれ以上に長い楽曲『親父の一番長い日』を30年ほど前リリースしていたりもします。


さて、そんなさだまさしの往年の名曲のひとつに『主人公』があります。
(以前の記事「★笑う春風」中でも軽く触れました)
その歌詞のキモはもちろん「自分の人生においては自分が主人公!」という趣旨ですネ

そして、そこへ至る流れで、2番の導入部では「時をさかのぼるチケットがもしあるのなら欲しい気もする」というようなくだりがあります。
昨今はこの部分を聞くたびに「そんなこと言ってたらイマジン(@仮面ライダー電王)が来るゾ~」とかツッコミを入れてますが(^o^;)
(で、シャッフル再生中に次の曲が本当に AAA の『 Climax Jump 』だったりしてビックリ)

むろん過去に戻りたいと人が思うのは、やはりある種の決断を下した分岐点、そこにおける選択をやり直したいという気持ちです。

そして実際にはそんなことは不可能だし、間違った道に迷い込んだとしても、そんな中での悩みや葛藤自体が、後の自分にとって大切な体験として生きてきたりもするものです。

だからさだまさし『主人公』の歌詞でも、続く部分では「現在がいくばくか不本意な状況でも、確かに自分で選んだ結果なのだから、せいいっぱいがんばろう」という内容が歌われ、そうして「自分が主人公」へと至るわけです。


今年は私がかつて、高校受験での選択の誤りから不本意ながらも実質男子校であった“情報通信工科大学付属高校”で悶々とした日々を過ごしてから30周年にあたります。

そうした感慨も踏まえて、この秋は、往時の懐かしい歌なども、しばしば聴き返したりしながら、さまざまな思いを巡らしたりしました。

このさだまさし『主人公』は、当時聴いていた曲の中でも、あの頃の私の心情にある意味相当に適合したものだったので、その点でも、今日において聞いてみるのは、なかなか意義深いことだったかもしれません。


ところが――

先日、ウォークマンから聞こえる、このこのさだまさし『主人公』の歌詞を耳にして、私は意外なツボに引っかかってしまったのです。


「確かに自分で選んだ」


いゃ、たしかに、私の人生においても、進学や就職、あるいは恋愛などにかんして、自分で決断し、ある種の選択を自己の責任でおこなったことは多々あるでしょう。

そして、本当に「自分で選んだ」のであれば、その結果の如何についても、納得はいこうというものです。


でも……、でも………、

ソレって――


「確かに自分で選ん」でないっ!


そう。
私の半生の中で、しばしば私を悩ませた様々な事柄。
そこに関わっていた【性別】という、人間社会においては いちじるしく基本的なものとして重用されている属性……。
コレについては、私自身が自らの意志で考慮する以前に、すでに何者かによって決定されてしまった状態で人生がスタートしてしまっていた!!

だから、どんなに個々の事案は自分の意志で決めたつもりでも、そのすべてが、いつのまにか乗せられていた[ 男 ]というほうのプラットフォームの上にあるわけなので、どうあがいても望ましい結果には辿り着けるはずもなかったのですね。

そのせいで、あのときも、このときも、あんなことや、そんなことでまで、すべてがうまくいかず、悩んで、苦しんで、充たされることなく、しんどい日々を通り過ぎてきたなんて……。


そんなことを考えると、これはもう、どうしようもなく、せつなくて、せつなくて………。

そのまま、しばらく、むせび泣いてしまいました。

 

だいたい、ゲーム開始時の初期設定時点なのに、主人公の性別をプレーヤーが自由に選ぶことができないって、そんなバカなプログラムのRPGがあるかっ!?

――ということで、やっぱり【性別】という属性について、主人公が自ら決定できないのでは、主人公の名がすたるというものではないでしょうか。
(言い換えると、本人の意志や努力ではいかんともしがたい要素――性別の他では人種・民族、門地等、あるいはいわゆる障害の有無などもか――が、人生に大きな影響を及ぼすというのは、差別に他ならないわけであって、その要素について自由に選べるようにシステム変更するか、もしくはその要素がどうなっていたとしても「人生に大きな影響を及ぼ」さない社会環境の整備が望まれます)

 

 


◎“情報通信工科大学付属高校”での悶々とした1年を含む、佐倉智美幼少時代からの納得のいかない日々については、『女が少年だったころ』で!
http://est-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/auth_shewasboy2002

 


植村花菜『トイレの神様』のここが納得できない!? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

かねて取り上げてきた植村花菜『トイレの神様ですが、その後も話題は絶えず、セルフカバー集としてリリースされたアルバムにはニューバージョンが収録、さらには両バージョンにDVDも付けてシングルカットもおこなわれたり、同名の自叙伝(実際のおばあちゃんとの思い出を中心にした)や、歌詞の内容を元にした絵本も出版されるなど、一大ムーブメントとなっている感もあります。

§セルフカバー集アルバムとシングルカット版§
   

§自叙伝と絵本§
   


先日には今年末の紅白歌合戦出場も決まり、ブレイク前からプッシュしていた者としては、やはり嬉しいところです。


ただ、この『トイレの神様』、じつは以前から気になっていたポイントがあります。

楽曲のPV実写版、絵本、絵本の絵を使ったアニメ版PV(楽曲がニューバージョン)のいずれを見ても、おばあちゃんの家のトイレが洋式トイレなのです。

ワタシのイメージとしては、やはりここは和式トイレでないと、イマイチしっくりこないです。
最初に楽曲を聞いて抱いたイメージでは、水洗で(汲み取り式は行き過ぎ)、壁や床がタイル張り、そして床はこう、段になってるやつですね。
これでこそ、歌の主人公の「私」がトイレ掃除を嫌がるのも納得できるし、それに対しておばあちゃんが「トイレにはべっぴんさんの女神さまが……」と諭す雰囲気にもマッチすると思います。

この点を指摘した意見というのが、意外と少ないのは、どういうわけなのでしょう?


たしかに歌の元になった植村花菜さんの実体験において、おばあちゃんの家のトイレが洋式だったとすれば、もはや反論はし難いです。

また、植村花菜さんの幼少期である1980年代には、すでに家庭用便器はTOTOなどのメーカーの資料によると出荷台数ベースで洋式が優勢だったことなども調べればわかりますので、私の抱いているイメージが、単に現実と乖離した年寄りの思い込みだと言われればそれまでです。

しかし、そうだとしても、やはり私の皮膚感覚の限りでは、歌を聞いた大半の人のステレオタイプに合致するのは和式トイレのほうだという気がするので、ここはひとつPVや絵本の絵は、ソレに合わせておいてもよかったのではないかと思うのですが、どうでしょうか??


もちろん「ステレオタイプ」というのは、無批判に使うと、固定的なイメージの再生産につながり、偏見やそれに基づく差別の原因ともなりうるものです。

この点は、むしろ私が従前から強く訴えているテーマでもあります。

まぁ「おしとやかな女性」とか「たくましい男性」なんてのが、その典型的な例ですからね。


しかし同時に、ステレオタイプなイメージというのは、各種の事柄における表現のためのリソースであるという側面もあります。

例えば、男女共同参画社会をめざす啓発パンフレットなどには、旧来の性別役割イメージにとらわれないことが大切というメッセージを込めて、元気にサッカーをしている女の子や、赤ちゃんの世話をしている男性のイラストが描かれているようなケースがまま見受けられるところです。
ところが、こうした場合、その元気にサッカーをしているのが女の子であることを示すために、わざわざその子の髪を長く描き、あまつさえ髪をくくるピンク色のリボンまでが書き込まれているようなことも多いのです。
同様に赤ちゃんの世話をしている男性は、背広にネクタイ姿であったりします。
これらも当然ながらステレオタイプな固定的イメージなわけで、問題だと言えば問題に他ならないわけです。

しかし、だからといって、そうした表現まで封印してしまうと、パンフレットのイラストにおいて、伝えたいメッセージをわかりやすく端的に描くこと自体が非常に困難にもなってしまうのも現実です。


別の事例では、クルマの運転における高齢運転者が表示を求められている、いわゆる「もみじマーク」問題。
これは、当初採用されたデザインが、簡単に言えば「あまりにも枯葉っぽくて、年寄りを馬鹿にしている」という具合に、高齢者から不評だったため、2代目のデザインが考案されたものの、それにもまた同様の批判が寄せられているというものです。
しかし、高齢者の気持ちを尊重すべきなのはもちろんですが、こうしたマークはクルマを運転中のドライバーがパッと見て直観的に意味合いを理解できなければならないという点も重要です。
その観点からすれば、やはり大半の人が共有している何らかの年寄りっぽい雰囲気を、たとえそれが固定的なステレオタイプであっても、マークのデザインに盛り込むのが望ましいのではないでしょうか。


そして、そうした経緯を勘案すればこそ、公衆トイレの所在を示すのがあの男女別マークであるということが、セクシュアルマイノリティ的には引っかかるところが多々あったとしても、世の中トータルで考えると、当座は妥当と認めざるを得なくなるわけです。

 

私たちは、ステレオタイプな表現に対して、それを批判的に読み解くスキルを確保しつつ、逆にそれらを上手に使いこなしていく、いわば「ステレオタイプ・リテラシー」のようなものを、身につけていく必要があるのかもしれませんね。

 


人権啓発キャラクターに新ヒーロー降誕! [多様なセクシュアリティ]

さて、12月には人権週間がありますし、だいたい秋口にはその種の学習会などが開かれることも多く、それで講師に呼ばれる機会が多い時期です。
先日も某所での人権研修会の講師をしてきたのですが、セクシュアルマイノリティにとっては、そもそも社会の基本フォーマットが「男か、それとも女か」の二者択一であり、その[男女]が一対のものとして扱われること自体が人権問題なのだ――という話をしたうえでの中盤のオチとして、このときも次の画像を提示したりしてました。

 BL101203Jinken-C.jpg

「…………(^o^;)」
いわゆる法務省の人権啓発キャラクター「人KENまもる君・人KENあゆみちゃん」ですナ。

……まぁせっかく法務省が(税金で)つくったキャラクターだし、当面はこのまま働いてもらうしかないでしょうけど、でもやっぱり上述の趣旨からすると、なんてーか大いに問題アリと言わざるを得ないですねぇ。


そんなこんなで、この日の研修会も無事終わり、挨拶に来られた参加者の方と名刺交換などをしていたのですが、
なんと!
そのうちのお一方が、その法務省の地元支局の人権担当者!
しかもよく見ると頂戴した名刺のイラストにはしっかり「人KENまもる君・人KENあゆみちゃん」がっ!!

スミマセン、スミマセン。
思わず平謝。

むろん文句を言いに来られたわけではなく、むしろ「考えさせられました…」というようなご感想だったのですが、しばしその流れで、
「でも、確かによく考えないとイケナイですよねー」
「まぁ落としどころは難しいですけどねぇ」
「いったいどんなキャラクターなら相応しいんでしょうか?」
「まぁ……できれば無生物系のキャラクターで性別不詳なのが1体ですね。あるいは複数ならもう少し人数を増やして『男女ペア』感を中和する――みたいな?」
「あぁ、増やすという手もありますか」
「うーーん、5人くらいに?? あっ、だから例えば『共生戦隊 ジンケンジャー』とかどうですかね??(^^ゞ」
「ハハハ……、それはユニークですねー」
というようなネタ話もやりとりして帰ってきたわけです。


で、帰宅後、

「でも、『ジンケンジャー』って、なかなかイイよなぁ(あの場での思いつきにしては)」


「よし! ブログのネタ決定!!」


「………待てよ、公開する前に、念のためgoogleでチェック」


すると………

 

 BL101203Jinken-G.jpg


(゜レ゜)!!

 本当にあるのかよ!

  ジンケンジャー!


というわけで、宮崎県の人権キャラクターとして、すでに実在していました。
地元では、テレビCMなども流れているらしく、けっこう人気者のようです。

あ~ビックリ;;;


しかし、よく見るとこの「ジンケンジャー」、なかなかよくできてます。

ピンク、ブルー、グリーンの3人編成の戦隊ですが、このうちのグリーンが(テレビCMの動画から判断のうえ、強いて男女に当てはめると)女性戦士という設定のようです。
グリーンは本物の東映のテレビシリーズでは女性に充てられた実績のない色(2010年度現在)なので、そのあたりも斬新です。

ってーか、ということは、つまり、ピンクは男性!?

……なんですねぇ、じつは!

むろん本物の東映のテレビシリーズでの男性ピンクというのは、前例がないというか、いわば想定外なので、その点では「(レギュラーではないにせよ)初の女性レッド」が登場した『(侍戦隊)シンケンジャー』よりもスゴイと言ってよいかもしれないです。


まぁそもそも「えーっ、男なのにピンク~!?」ってのもある種の偏見に他ならないわけで、「…偏見をなくして人権が尊重される社会を」というからには、ソレを訴える側には、これくらいのヒネりが必要というか、欲しいところであります。


というわけで、すごいぞ!「いじめ・差別・偏見なくし隊 ジンケンジャー」!!

 

◎頂戴したコメント(ありがとうございます)にあるように、たしかに今回は宮崎県の好感度がUPしましたが、宮崎県内某M市では、数年前に条例改正にともなって同性愛者に対する人権条項が削られる事件(^_^;)もあったことなので、一概には言えないことでもあるでしょう。
いわばジンケンジャー担当者の日頃の研鑽とたゆまぬ尽力の結果ではないかと…(^^)
それから男の子がピンクのものを欲しがったような場合、親としてそれ自体はOKでも、やはりおカネを出す立場としては、買った後で(例えば友だちからからかわれるなどして)「やっぱりイヤ」となる可能性の相応の高さが予見される場合は、念のためその旨しつこく再確認せざるをえないという現実もないではないのが、難しいところですねぇ(^^ゞ