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『聖戦士ダンバイン』は早すぎた異世界ファンタジー!? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

同じ事物を見ても、昔と今では受け取り方・感じ方が違ってくるというのは、人は変わっていくものである以上、当然といえば当然です。

見聞を広め、知識の研鑽に励み、視点が拡大することによって、物事の解釈が変化するのは、決して悪いことではないでしょう。

殊に、性別二元的かつ異性愛主義的な思い込みを脱し、ジェンダーセンシティブにしてセクシュアリティの多様性に対応したモノの見方ができるようになると、この社会においては、今までとは異なった世界認識に達することも可能です。


例えば

当時は気になっていなかった『宇宙戦士バルディオス』のエンディング歌詞の「男だから~♪」に引っかかるようになったり、

財津和夫の「サボテンの花」でカノジョが出て行った原因はDVではないかと疑えるようになったり、

コンピューターゲーム「大航海時代2」の男性キャラどうしの間に恋愛関係が見えてしまったり、

はたまた菊池桃子の「卒業」などが女性の主体性を描いていないという問題点に気がついたり、

はてはソコからさらに、いゃ待てよ、コレってよくよく聞いたら女の子どうしだったて解釈もありえるよなぁ…という認識に到達した挙句、なるほど! コレはきっと全寮制の女子校なんだ!! としか思えなくなる(*^。^*)

……などですネ。


あるいはそこまで難しく言わなくても、新奇な描写・表現を以前は珍妙にして面妖ととらえていたのが、“見慣れる”ことによって、当たり前のフツーのものとして受け止められるようになるというのは、よくあることです。


しかし、ごくまれに、新しい情報に数多く接したために、逆に感覚がフツーになる、一般的な常識の基準にとらわれてしまい、昔はナンとも思っていなかった描写・表現を特異なものだと感じてしまう、という現象も起こるようです。

 

じつは先日、某動画投稿サイトを検索していると、昔のロボットアニメ『聖戦士ダンバイン』の各話が(厳密には違法でしょうが)アップされていたので、つい見てしまいました。

おぉー、な、懐かしい!

往年は基本的によく見ていたし、けっこう好きなシリーズでしたね。
美少女女王のシーラ・ラパーナも、お気に入りのキャラだったり(^^)
学校から帰れずに、録画セットもしていなくて見逃した回も多数ですが。


そんな『聖戦士ダンバイン』というのは1983年オンエアの作品で、ガンダムシリーズの富野由悠季(富野喜幸)氏が総監督を務めている、いわばファーストガンダム以降のリアルロボットアニメ路線の嫡流として、前年の『戦闘メカ ザブングル』や翌年の『重戦機エルガイム』と並ぶものと位置づけられます。
(仮にガンダムシリーズを『金八先生』だとしたら、『新八先生』『仙八先生』『貫八先生』に相当する作品群のひとつと言ってもいいかもしれません)

陸と海の間に存在するという異世界“バイストンウェル”を舞台に、中世ヨーロッパを思わせる雰囲気の封建的な国家群どうしの争いを主軸にストーリーが展開し、そこに巻き込まれた主人公ら地上人を含めた多数の登場人物をめぐる物語となっています。

主力兵器となるロボットは“オーラバトラー”と呼ばれ、そのうち主人公ショウ・ザマが操縦する主役メカがダンバインというわけですね。


そして、そんな中世風の異世界が舞台ですから、そこには人間のみならず“フェラリオ”と呼ばれる妖精も存在していました。

特に下級フェラリオの“ミ・フェラリオ”は人の肩に乗るくらいの大きさで、その容貌は萌え系フィギュアにしてくれと言わんばかりの(!?)可憐さ。

主人公サイドのマスコット的存在でもあったミ・フェラリオのひとりチャム・ファウは、実際にフィギュアが売れていたりもしましたが、物語的には、主人公ショウ・ザマを気に入って、彼を支援するためにダンバインのコクピットに同乗することも通例となります。


で、そういう経緯を私は知っていたはずなんですが、久しぶりに動画サイトで『ダンバイン』を見て、そうしてショウ・ザマが操縦するダンバインのコクピットにチャム・ファウが同乗しているところをあらためてまのあたりにして、一瞬 私は違和感を覚えました。


……んー?


………………。


ロ、ロボットアニメの主人公が、

しゅごキャラを連れてるっ!!

 


昨今では『ミルモでポン』や『しゅごキャラ』シリーズを見慣れてしまったので、画面中のそこかしこを妖精のようなものが飛び回っている描写自体は、特段 気にもならないのですが、そういう最近見慣れたジャンルと同様の描写が、昔のロボットアニメに用いられていたことに、はからずもビックリしたわけですナ(^^ゞ。

 

思えば、『聖戦士ダンバイン』は異世界ファンタジー的な要素をロボットアニメに導入するという野心的な新機軸に挑んだ意欲作…みたいに説明されることも多いですが、現在の感覚で言えば、むしろソコをもう少しツッコんで、異世界ファンタジーの世界観にロボットアニメ的要素も取り込んだ――のほうがより正確な気もします。

妖精が飛び回っているほかにも、オーラバトラーの動力源が搭乗する人間の生体エネルギーであるオーラ力だという設定をはじめ、富野監督がガンダムで見せた現代科学的な世界構築とは、ある意味で対極にあったわけです。


そして異世界ファンタジー的な作品は、今日でこそ日本のアニメの主力ジャンルのひとつとして発展していますが、じつは『ダンバイン』の1983年というのは、コンピューターゲーム「ドラゴンクエスト」がヒットする以前でもあり、かような世界設定には、多くの視聴者が不慣れな状況だったのです。

そのため当時『ダンバイン』に異を唱える富野アニメファンが続出し、番組は途中から路線変更をせざるをえなかったともされています。


私はというと、その当時はあまり深く追及せずに『ダンバイン』の世界観を受け入れて視聴していたのですが、もしかしたら、当時の多くの視聴者が抱いた違和感というのは、この「ロボットアニメなのに、しゅごキャラ…!」のような感覚に近いものだったのかもしれませんね。

 

近年では、いわゆる男の子アニメの科学離れの傾向(旧来、女の子アニメが[魔法]なのに対して、男の子アニメは[科学]だったところを)が顕著ですが、そのひとつのターニングポイントは、案外この『聖戦士ダンバイン』あたりにあったのではないでしょうか。


結論(!?)。
『聖戦士ダンバイン』は、男の子向けロボットアニメではなく、女の子向け魔法アニメだった!?!?
(^o^;)

 

『侍戦隊シンケンジャー』で、夏居瑠奈チャン演じる姫レッドの凛とした毅然たる姫様キャラを見た際、私の記憶のデータベースはいちおう「前例アリ」と反応していたのですが、記憶をたどってみると、どうもこの『ダンバイン』のシーラ・ラパーナ女王が、最も近似しているように思えます。
そういえば『ダンバイン』の最終回のラストって、ある意味シーラ・ラパーナによる「姫様、封印の文字ご発動~っ」って感じでしたよね(^^)


 


スタートラインで他人と同じでなくてもいい [その他雑感つぶやき]

桜も満開。春爛漫。

そんな中、入学式・始業式もたけなわ。

ということで、この新学期の時期に恒例の“岩船山”登りを、本日おこなってまいりました。

はい、じつはこの時期恒例なのです。
“岩船山”登りにどういう意義があるのかは、スミマセンが『女子高生になれなかった少年』参照! ということで(^o^)丿

ちなみに“岩船山”登りのメインテーマ曲は、そんなわけで伊藤つかさ『春風にのせて』なのですが、毎年その年の時宜的な主題に合わせて選定される年次テーマ曲は、今年は(昨年の『心の花を咲かせよう』に続いて)いきものがかりの『ハジマリノウタ』でした。


山頂に立つと、今年は、ここ数年 工事の進捗に応じてしだいに道筋が顕になってきていた第2京阪道路がついに開通した様子も見渡せ、沿道の環境問題などでは紆余曲折もあったものの大阪北部の道路事情を劇的に改善したこの道が、この先またさまざまな歴史をつないでいく予感がしました。


そして、過去数年の間でもとりわけて天気のよかったこの日は、360度の眺望の中に、遠く大阪湾の海面も光っていました。

そういえば、あの海を、“男子校”の新入生宿泊研修のために(男ばかりの)クラスメートたちとともに淡路島へ向かうフェリーに乗っていたのが、もはや30年前になります。
詳しくはコノ件も『女が少年だったころ』参照でお願いしますm(__)m


当時の私は、高校受験がうまくいかず、望んでいなかった学校に進学した……ということで、まずもって基本的に、スガシカオの歌風に言うなら、みんなで横一列に並んでヨ~イドンした人生最初のスタートラインでいきなり躓いて転んで、みんなから(おそらく)「しめしめ」と思われていたわけです。

その上、じつは性同一性障害で本当は世間に存する男女カテゴリーのうちであらば女のほうに入っているほうがほぼすべからくうまくいくにもかかわらず、なぜか男のほうに入れられていた、それにとどまらず、よりによって入学した高校が“男子校”だった、という何重にも不本意な人生の只中にあったのですね。

そういう状況の下で、悩んだり苦しんだりしながら、それから30年生きてきたわけですが、今あらためて、そんな生きてきたいろいろな場所が一望できる“岩船山”からすべてを見渡してみると、やっぱりソレでよかったし、だからこそ今現在がある、それこそが自分の人生だったと思います。

どんな出来事も意味を持ってつながっていて、そうして、いつも常にその時その時から、道は伸びていくものなのです。

だからスタートラインで躓いたってかまわないし、馬場俊英の歌(『明日の旅人』)風に言い換えれば、誰かと同じじゃないことを恐れる必要もないのです。


――そして未来は無限にやってくる。


山を下りてみると、ちょうど“岩船高校”でも入学式が終わったところでした。

 

  

 


宇宙戦士バルディオスは なぜ明日を救えなかったのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

昨年の夏、テレビで『仮面ライダー ディケイド』の最終回を見て以来、“ぜんぜん終わっていない最終回つながり”ということで、『宇宙戦士バルディオス』が妙に気になってます。


『宇宙戦士バルディオス』というのは1980年に放映されていたロボットアニメで、ある種のマイナー色が強い一方で、熱心なファンも少なくなく、人気の根強い作品です。

1980年頃のロボットアニメというのはポストファーストガンダムを模索して、各社各局がいろいろな新機軸を試みていた時期で、『宇宙戦士バルディオス』もまた、凝った設定や大人にも見ごたえのあるドラマを盛り込んだ意欲作でした。

ただ、それで中高生以上の年代のファンの獲得には成功したものの、小さいお友達のウケは芳しくなく、視聴率や関連玩具の売れ行きは滞りました。

結果、放送は打ち切りとなってしまい、当初の予定よりも数話分早く最終回が到来することになってしまったのです。

で、フツーはそういう場合は、脚本を手直ししたりして、短くなった放送期間内に、いちおう話が決着するように調整するもんなんですが、この『宇宙戦士バルディオス』制作陣というのは、どういうプライドをもって臨んだのか、そーゆーことは一切せず、当初予定の通りに粛々と作品を仕上げ続けたみたいなのです。

その結果、名目上の最終回となったお話は、本来ならばいよいよこれからクライマックスに突入しますヨ~という位置づけの回で、そのラストは、敵の攻撃で南極の氷が融け、世界各地に大洪水が起こって、人々が「うわぁーっ!」となっているところで、画面の隅に「つづく」と出て終わりという、いろんな意味で壮絶なものとなったのです。

しかもその回のサブタイトルがまたスゴイ。
「破滅への序曲(前編)」ですから。
序曲」の、それも「前編」で、ソレが最終回!

いゃだいたい最終回なんだから続かないのに「つづく」っていったい…(^o^;)


そんなこんなで、その後ファンによる署名活動なんかも起こって、やっとこさ1年後くらいに続きに相当する部分を含めた劇場映画版が制作・公開されたわけです。

(もっとも劇場版で明らかになった真のラストも、なんとゆーか夢も希望もない暗澹たる結末だったりしましたが)


そういう意味では、同じ「続きは劇場版で」でも、はじめからそのつもりだったとおぼしき『仮面ライダー ディケイド』とは、事情がちがうわけですナ。


コメント欄にてtkcさまから補足情報いただいてます(2012/05/23)
佐倉のほうではあえて省いた、打ち切りや「最終回」をめぐる経緯が詳しいです。
(ありがとうございました)
なお「事実誤認」とご指摘いただいている点については、私の30年前の実際にリアルタイムのオンエアを視聴した記憶と当記事執筆当時に参照可能だった情報を突き合わせて検証を重ねたうえで、当記事の趣旨に鑑みて相応しい形に構成したものです。その際、最小限度の推測や不確実な伝聞に基づく箇所については慎重に断定表現を避けております。
したがいまして誤認された事実というよりは、解釈の範囲内であり、もしくは私にとっての主観的な事実ということになります(それを絶対的な真実であるとは読まないリテラシーは、読者の側に委ねられるものだと考えます)。
多少大げさな筆運びにはお叱りもあるかと思いますが、これもバルディオスの名目最終回がいかに衝撃的だったかをわかりやすく広く伝えたい思いからであり、作品への愛ゆえとご理解いただけると幸いです(私にとっても好きなアニメであり、決して揶揄誹謗の意図はございません)。

 

さて、そんな経緯を抱えた『宇宙戦士バルディオス』ですので、やっぱ今日においてきちんとした形で鑑賞し直すのは難しい状況です。

ただ最近キングレコードから発売されたCD、「ロボットアニメ大鑑」シリーズに主題歌はバッチリ収録されています。

◎「ロボットアニメ大鑑」シリーズ
『バルディオス』をはじめ、往年のロボットアニメ主題歌がかなり網羅されてます。

   

『バルディオス』は上巻に収録です。
この3タイトルのジャケット絵を順に並べると1枚の絵になるというのが、なかなか商売上手と言わざるを得ませんネ


これを聞いてみるだけでも、羽田健太郎を起用した『バルディオス』の音楽は、なかなか凝ったものであったという片鱗がうかがえます。

テレビシリーズでのオープニング主題歌『あしたに生きろバルディオス』(作詞:保富康午)は、70年代型 戦え強いぞ正義だ負けるな調のものではなく、ポストガンダム時代のある意味ちょうどいい落としどころにまとまっていると言えるでしょう。

しかも劇場映画版の結末まで知った後で歌詞をあらためてよく聞くと、「明日を救え♪バルディオス~!」の「明日を救え」って、(単なるロボットアニメ主題歌としてのアオリ文句ではなく)そーゆー意味だったの!?
という、そんなところに伏線が! の発見もあって、なかなか味わい深いこと(^^)。


一方エンディング主題歌だった『マリン、いのちの旅』(作詞:保富康午)。

はいはい、そういえばたしかにこういう歌でした。
まるで昭和のムード歌謡のような哀調を帯びた、これまたロボットアニメとは思えない妖艶なメロディラインの曲。

愛のオアシス」って歌詞もスゴいかも(^^ゞ

で、この『マリン、いのちの旅』をワンコーラス聴き終えようというところで、私は…………コケました(^_^;)

「それでも行くのか、マリン」
「黙って行くのさ、マリン」

と続いてきたのを受けて、最後の留めの部分で歌われる歌詞が、

そう、

なんと

男だから~♪」!


………………(・o・;)?

えぇーっ、ぃや、そこって、「男」は関係あるんでしょうか!?!?


この曲の歌詞を見た限り、そこで「男だから」とする文脈上の必然性は見出せません。

『宇宙戦士バルディオス』のアニメ作品全体を記憶している限り見渡しても、決して「俺は男だ!!」的な価値観が濃厚なわけではなく、例えば地球防衛軍サイド随一の頭脳の持ち主で、主役ロボット・バルディオスの合体システムを開発した科学者でもあるクインシュタイン博士というのが、決して“女を捨てている”と視聴者が受け止めるような容貌ではない女性だという設定(現在ならまだしも、当時としてはけっこう画期的なはず)などからしても、むしろジェンダーバイアス度は低いと言ってもよい作品でしょう。


ソレが、こんなところで「男だから~♪」とは!?

いやはや、ヤられました。
かなり脱力(~_~)。

なんてーか、人類存亡の危機というときに、そんな男だ女だとこだわっているようでは、そりゃダメかも。


というわけで、宇宙戦士バルディオスがなぜ明日を救えなかったのかが、なんとなくわかったような気がした、エンディング主題歌のお話でした。

 


「マリン」は(主役ロボットであるバルディオスのメインパイロットでもある)主人公の名前。歌のとおり男性です。
…ハートキャッチプリキュアのキュアブロッサムの相方じゃないですヨ(^^)
そのうち“キュアマリン、いのちの旅”なんてパロディが動画投稿サイトに上がったり??

2012/04/04現在YouTubeで視聴可能なのは↑コレ
   上手いっ! スバラシイ仕事である!!
 ↑
『バルディオス』も、「海より広い俺の心も、ここらがガマンの限界だ! 行くぜ、オリバー、雷太。バルディオス・チャージアップっ!!」ってノリでやってれば、打ち切りにならなかったかも??

◎上述「ロボットアニメ大鑑」シリーズ下巻収録の『魔境伝説アクロバンチ』オープニング主題歌だった「夢の狩人」を聴いて思うのは、――このコンセプトって幾千万“分”もの遥かなる時の流れを超えて『轟轟戦隊ボウケンジャー』で復活してるよなぁ(*^。^*)

◎さらに余談ですが、『ボウケンジャー』とその前年度の『魔法戦隊マジレンジャー』の主題歌も、なぜか【作詞:岩里祐穂】だったりします。


◎あとサンライズ巻に主題歌が収録されている『トライダーG7』、これはロボットアニメとして、巨大ロボットを運用するための“経費”を初めて可視的に描いた作品だと言えましょう。
ミサイル一発撃つたびに算盤を弾いてお金の心配をする専務が、けっこうツボでした(^^)
主題歌歌詞にも、そのへんけっこう反映されてます。