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シンケンジャーに見る補助・ケア労働の不可視化の可視化 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

終盤に至っていたく世間を騒がせた『侍戦隊シンケンジャー』も、去る日曜日である2010年2月7日、無事に最終回のオンエアが済みました。

予想していたような「もうひとひねり」はなく、前週のお話の中で宣言された(敵の大将の血祭ドウコクを、必殺の「封印の文字」が効かないのなら)「力ずくで倒す!」…が実行されるプロセスを、忠実になぞった展開でしたので、深読みしていた大人視聴者には、物足りないポイントもなきにしもあらずでしたが、いわば子どもたちにとっては健全な最終回だったと言えるでしょう。

個人的には…
1;
前週において「封印の文字」が効かなくなっていたのは、血祭ドウコクが、元々は人間であった女幹部・薄皮太夫の存在を吸収した(つまり4分の1ほど人間の身体になっていた)から――が、最終回では逆に思わぬ弱点として血祭ドウコクの命取りになる……という展開はなかった。
2;
どうせなら姫レッドも変身・出撃してダブルレッド(ズバリ「炎」!…でなくてもいいので)での戦いも、あってよかったのでは?
3;
ラストも静かでストイックなまとめ方だったが、やはりタイトルバックに各メンバーのその後の様子などが映るような仕上げ方もファンサービスとしては希望される。
特に、戦いが終わり高校に戻った千明(グリーン)のクラスに、ある日、転校生が! 誰かと思えば姫だった……はやってほしかったなぁ(^^)。やっぱ薫姫が今後はフツーの女の子としての生活も体験する描写は、必要だったと思うので。

  …といった点が注文事項となりました。


さて、そんなわけで、『シンケンジャー』全体を振り返って、最後にもう一点、気付いたことがあります。

それは、そう「黒子」について


『シンケンジャー』も含む戦隊シリーズをはじめ、いわゆる男の子向けヒーロー番組を、ジェンダーセンシティブな視点で見た場合に、検討すべき要注意事項として俎上にのぼってくるのが、言うまでもなく“紅一点”問題でした。

物語の世界観が男性中心に構成されることによって、女性にかかわる描写が数的および質的に周縁化されてしまい、そうした表現がまた視聴者の意識形成を通じて、かかる構造の再生産につながってしまう……というのが、その梗概です。

女性の描写の周縁化の具体例については、これまたいろいろな事例は挙げられますが、そのひとつとしては、性別で役割分担が期せられた結果として、女性には補助的な仕事ケアにかかわる仕事が割り振られるというものがあるでしょう。

例えばアフロダイAがあくまでもマジンガーZのアシスト役に終始することで、それを操縦する弓さやかが代表するところの女性というカテゴリーが、しょせん脇役であり、男性が主役であるという社会構造は、決して揺るがない。
そうして、そんな描写が毎週繰り返されることで、「男がメインで女は補助・ケア」がよいというメッセージとなって、視聴者――頭のまだ柔らかい子どもたちである場合が多い――の意識に刷り込まれてしまうわけです。


『シンケンジャー』では、基本的に、こうしたことのないようにじゅうぶんに配慮されたつくりになっていましたし、ピンクとイエローの2人の女性戦士にかかわる描写も非常に丁寧だったことは先述したとおりです。
ましてや姫レッドにあっては、一時的にせよ、そして物語としてはかなり破壊的だったにせよ、女性レッドが男性レッドを追い出す形で登場し、主役を乗っ取る立場として描かれたわけですから、何をかいわんであります。

むろん女性たちに、その性別のみを根拠として補助・ケア労働ががあてがわれることも、皆無だったと言ってよいでしょう(作戦の都合上、既存のジェンダーバイアスにかなり適った役割配分がおこなわれることもないではなかったですが、それは「新郎新婦に扮して結婚式場に潜入!」みたいなケース)


ただ人間社会では、さまざまな集団組織され役割分担がおこなわれる以上、個々の局面においては、誰かが補助・ケア的な労働に携わる必要があるのも事実です。
各局面で、それが公平・公正であり、常にその根拠の合理性が検証され続けていることという留保さえつくかぎり、補助・ケア労働が配分されること自体は、否定されるものではありません。

そこであらためて見直してみると、『シンケンジャー』では、シンケンジャーたちのアジトである志葉家屋敷に、じつは「黒子」と呼ばれる人たちが複数勤めています。
姿形は、実在の歌舞伎や浄瑠璃の舞台の黒子ほぼそのままで、そのコンセプトも同様です。
特撮テレビ史的に言えば、敵側組織には旧来より存在した「戦闘員」を、正義側陣営にも導入したとも言えましょう。
そうして、この人たちがシンケンジャー陣営における補助・ケア労働を一手に引き受ける形をとっているのです。

「黒子」たちのシンケンジャーたちとの線引きについては、志葉家に仕え、悪を憎む心はシンケンジャーたちと同じだが、シンケンジャーに変身して戦うための超常的な力の源である「モジカラ」(文字の力――漢字の持つ“気”のパワーのようなもの)使いこなす資質に恵まれないためという説明があったので、一定の合理性も担保されていたと言ってよいでしょう。

となると、『シンケンジャー』では、女性およびすべてのメイン登場人物が、この「黒子」たちの存在によって、補助・ケア労働から解放されていたということになります。
しかも、姿形が黒子ですから、それはいわば建前としては見えない裏方なわけです。

多少意地悪な言い方をすれば、『シンケンジャー』の物語は、「黒子」という存在の発明による、補助・ケア労働の不可視化によって成立していた、となります。
実際、作劇上は、非常に便利な“発明”だったと思われます。


――いや、しかしそもそも旧来は、性別役割分業というジェンダーバイアスを利用して、補助・ケア労働の不可視化そのものが不可視化されていたのではありますまいか!?

ですから、もう1周ぐるっと回して、さらに突っ込んだ見方をするなら、『シンケンジャー』では、ソレを「黒子」たちに担わせることによって、補助・ケア労働の不可視化の可視化成功した!! と評価することもできるのではないでしょうか。

いくら見えない建前の黒子とはいえ、実際には見えています。
そういう絶妙の設定を活用することで、『シンケンジャー』では、子ども番組における補助・ケア労働モンダイに挑んだのかもしれません。

というわけで、やはり小林靖子脚本は侮れない!?
やっぱり「すごいぞ!!『侍戦隊シンケンジャー』」なのかもしれません。(^o^)丿

 


◎紅一点問題の議論のたたき台となる基本テキストといえば…
  やはり斉藤美奈子『紅一点論』
 

 


シンケンジャーは本当に親権ジャーだった!? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

今度の日曜の最終回を前に、いよいよ巷では話題沸騰の『侍戦隊シンケンジャー』ですが、前回1月31日の48話(四十八幕)も、まさに見所満載だった感があります。

映像表現的にも、非常に秀逸なカット割が散見されましたし、何より、クライマックスの物語を、ポイントをおさえて笑いを取り入れつつも、要所要所を巧みに掘り下げて深いドラマを進行させていく展開は、まさに小林靖子渾身の脚本だったと言えましょう。


冒頭の、敵の大将・血祭ドウコクと女幹部・薄皮太夫の“ラブシーン”(!?)は、双方とも着ぐるみキャラなのに(先日ものべましたが『シンケンジャー』では珍しく敵の女幹部が着ぐるみ仕様)、あれほどまで色っぽく艶っぽく描写しきったというのは、テレビ界に溢れる異性愛ドラマの数々への、ある種のアンチテーゼとして、評価できるかもしれません。


姫レッド会心の一撃だった志葉家一子相伝の必殺技――劇中では「封印の文字」と呼ばれている――をめぐっても、それを繰り出す場面では、描写の機会が限られていた中での姫の内面や背景を上手に端的に表現していて、演出としての丁寧さが感じられました。

そして、その必殺技がなんと敵の大将に効かない! ――というのは物語を盛り上げるためには必要な展開でしょうし――理由というのが、決して姫レッドの力不足といったものではなく、「やっぱり女じゃダメだ。戦隊ヒーローのレッドは男じゃなきゃ」といった視聴者のミスリードを最大限排除する、よく工夫された設定だったのも、スゴイところでしょう。


必殺技が効かず、シンケンジャーたちがいったん屋敷に撤退した際の、怪我で伏せる姫レッドと殿レッドの会話場面もしかり。
そこで示されるのは、そう、今まで本当の自分を偽って、ある種の使命に対して孤独に向き合ってきた者どうしの共感
そりゃそうです。
殿レッドも自分こそが殿であるフリをしていたのと同じように、姫レッドもまた、これまで自分は存在しないかのような嘘の中で生きることに懊悩してきたはずですから。
そうして心が通じ合う中で、二人が確かめる真実が「仲間とともに戦うことの大切さ
そう。
カミングアウトはつながるためにするんですネ。
このシーンこそ、『シンケンジャー』最大の名場面といえるのではないかと思いました。


でもって、ソノ後、殿レッドが正式に第1シンケンレッドに復帰する――男の子向けヒーローものという番組の枠組み的には、やはり1年間シンケンジャーを応援してきた子どもたちのために、殿の復帰が必要というのは理解できること――んですが、その段取りというのが、全国の視聴者の目をいっせいに点にするような驚愕の荒業!
養子にした」
「はぁ!?」
かくして晴れて殿レッド[ タケル ]は、「志葉家十八代目当主の影武者」から「志葉家十九代目当主」へとアップグレードされたのでした。

ファンのブログなどを見てまわると、姫とタケルが結婚すれば丸く収まるというようなアイデアが、少なくない意見だったのですが、個人的にはそういう、これまた異性愛的な価値基準に則った展開を望む声の多さに「なんだかなぁ(~o~)」だったところ、いゃ~、養子ですかぁ(^^ゞ。
逆に私はある時点では、じつは異母兄妹or異父兄妹なのでは!? と密かに踏んでたんですが、しかしソレはそれで、ちょっと日曜朝ぢゃなくて平日昼の帯ドラマの世界に行っちゃって、ウマい手とは言い難かったし、さりとて、特に何もないのに「まぁいろいろあってもべつにエェやん、いっしょに戦おうヨ♪」では、現実の世の中ではそういうことがあってもいっこうにかまわないにしても、物語としてはいささか締まりがないのも確か。
でも「養子」なら、そのへんの問題を全部クリアできますもんネぇ。
いやはや、やられました。
ソコへ落とすとは、お見事!
こーゆー「14歳の母」なら許せる!!(^o^;)

うら若い少女が妊娠するようなドラマを作れば視聴者が食いつくだろうという発想の安易さが感じられてしまう企画と、実際に視聴率が上がる現実を、かつて苦々しく思っていた挙句、せっかく気に入ったミスチルの当時の新曲がソレの主題歌になっちゃったためにスルーするハメになってました。

ちなみにここでの「14歳」は、姫レッドを演じる夏居瑠奈チャンの実年齢に準拠。
彼女は小さいころ戦隊シリーズを見ていてピンク役に憧れていたとのこと。
……よもやこんな形でレッドになるとわ!!(^^)
ちなみに姫レッドの役の上での年齢なら16か17くらいと推定されます。

◎なお、現行の日本国の法令下では、自分よりも年少の者を養子にすることは認められていませんが、養子に限らず、イエの内部での処理と、それを公的な制度に対して届出・登録することは、基本的に別物だという認識も重要でしょう。


というわけで、最終回にはもうひとひねりが控えているような気もする『シンケンジャー』ですが、この最終回「見逃せない!」感は、『デカレンジャー』を越えたかも(^o^)丿。

 


えっ?
標題の件??

スミマセン、結果的に完全に余談になっちゃいましたが、こーゆーことです。

今度の戦隊「シンケンジャー」!? もしかして「離婚戦隊 “親権”ジャー」?? (^_^;)

……というようなネタを、1年前の『シンケンジャー』が始まったばかりのころに書いたんですが、今にして思うと、離婚のときに問題になるような文脈とはちょっとちがう意味合いではあるものの、『シンケンジャー』では、じつはこの“親権”が、本当にけっこう重要な隠し味だったかな…と。

今回の養子もそうですし、例えばかつて影武者として息子を差し出さねばならなかった殿レッド・タケルの実父の苦悩などは、画面外の大きなドラマだったはずです。

34話(第三十四幕)でのシンケンピンク[ まこ ]の母との確執~和解のエピソードにも、先代ピンクとしての戦いに傷つきハワイで養生するにあたって[ まこ ]も連れて行きたかった母は、しかし先々代ピンクである祖母の意向で[ まこ ]を祖母のもとに残さざるをえなかった……なんて背景が描かれてましたし。

まぁしかし、コレを予言の自己成就とは、ちょっと呼びませんネ(^^ゞ