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[2:女の子がなったものがプリキュアである]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子は誰でもプリキュアになれる」。

それは前記事で見たように、ある意味では真でした。

「誰でも」の「誰」が性別で限定されるモンダイについても、さまざまな方策が試みられている中では、引き続きの検討課題として見守っていくものということになりましょう。

まぁ個人的には、プリキュアに魅了され、プリキュアのスピリットを我がものとしながら、その志を実践しようとする者を、ここでは「女の子」と呼んでいるのだ……というふうに読み替えてかまわないのではないかとも考えます
(てなわけで以下の記事中でも基本的にそういう方針で書き進めますねノ)。

しかし、本当にリアルな現実世界で、プリキュアに憧れる体験を経た子どもが、将来においてアニメの中のような変身ヒーローとしてのプリキュアになれるかというと、実際のところは難しいのも事実です。

中学生・高校生となった暁に、ある日通学路の途上で異世界からやってきた小動物のような容貌の妖精と出くわし、それがきっかけで◯◯王国の危機を救うために伝説の戦士になって悪者が遣わした異形のモンスターと戦いご町内の平和な日常を守ることになる……なんてことが、そうそうあるという話はとんと聞きません。

その意味であれば、「アニメに出てくるような変身ヒーローとしてのプリキュア」になれる人など誰もいません、という甚だ夢のない結論が出てしまいます。

まぁ、現実ってそういうもの。

でも、それじゃぁ、幼少のみぎりにプリキュアに憧れた体験というのは、ただ単にそれだけの、子ども時代の夢物語なのでしょうか?

結論から言って、それは違います

子ども時代にプリキュアに憧れ、毎週のアニメを楽しみ、そこから何かを得た子どもたちが、それを心の糧としながら、将来において何かになるということは、ままあることでしょう。

そんな、プリキュアに憧れた体験を通じて得たものを触媒として、かつての子どもがなったもの、それこそが現実世界における「プリキュア」の実像なのではないでしょうか。

すなわち、「女の子は誰でもプリキュアになれる」というのは、リアルな社会での様相に即して換言すれば「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

そう考えれば「女の子は誰でもプリキュアになれる」も、あながち子どもに向けた「優しい嘘」だとは言い切れないものを内包しているということになります。


え? イマイチ具体的なイメージが湧かない??

それでは「プリキュア」シリーズよりは、もう少し「実際になれそうな」題材を描いたアニメの事例をひもときながら見ていきましょう。

例えば典型的なのはアイドル

『プリパラ』の名前は前記事でも出ていますが、こうしたアイドルアニメにおけるアイドルの意匠や瞬間衣装換装の演出が、アニメ表現上はプリキュアと地続きであることは、昨年「マクロスΔ」の論考「『マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性」で触れたとおりで触れたとおりです。

一般的に考えれば、プリキュアに憧れるのと同じように女の子たちがプリパラアイドルに憧れ、なってみたいと思うだろうことに、相当の連続性があるのも容易に理解できますが、少なくともアイドルという大きな枠組みにまで視野に入れれば、それは現実になることができる職業として実在しています。


これがまさにプリキュア的な戦いであることも前掲「マクロスΔ」論考に述べたところであり、ここでもプリキュアとアイドルの間には連続性が見られます。


 


さらに、この2017年7月からのアニメ作品には、こうしたラブライブ的な「アイドルとしての戦い」としての1バリエーション譚と言える作品も登場しました。

それが『アクションヒロイン チアフルーツ

公式サイト(→ http://www.tbs.co.jp/anime/cfru/ )によると、

とある地方都市が企画した小さなお祭りから(中略)「ご当地ヒロイン」ブームが各地で巻き起こった。その勢いで「ふるさとヒロイン特例法」が成立し、各自治体がステージショーをプロデュース。(中略)「アクションヒロイン」は子供から大人まで愛される憧れの存在となっていた。
フルーツ産地ののどかな地方都市『陽菜野市』はその波に乗り遅れていた。
陽菜野高校3年の城ヶ根御前は危機感を募らせていた県知事の叔母に「アクションライブ」をプロデュースするよう唆される。
とまどう御前だが、「アクションヒロイン」を成功させ、この街に活気を取り戻し、祖父が建設に尽力した文化ホールの閉館を覆すために、立ち上がる!

……が物語の発端として説明されており、そこから仲間が集まり、「アクションヒロイン」としてのステージショー(アクションライブ)に取り組んでいく様子が描かれていくわけです。

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※本記事中、画像は公式の配布画面からキャプチャしたもの


要は、ステージ上で演じるヒーローショーとしてプリキュア的な演目を女性がおこなうのが盛んになっているという世界観のもとで、女子高校生たちが自分たちの住む町の振興のために奮闘するというのがストーリーのアウトラインを成しているものです。

こう見るとまさに『ラブライブ!』の「スクールアイドル」をプリキュア的なヒーローショーである「アクションヒロイン」に置き換えた作品だと受け取ることもできます。
まずもって、ステージパフォーマンスである点は同じです。

「廃校」に直接的に対応する項目として「文化ホールの閉館」も用意されていますし、作中では全国のライバルチームの活動がインターネット上でランキングされており、それを確認して自分たちの順位に一喜一憂する様子などは、いわば今風な必然として共通していたりもします。

そのうえで、、自分たちにとっての守るべき日常を営む場所を、学校という枠から少しスケールを広げて、寂れた地域経済の危機に置いたところがオリジナルなポイントかもしれません。
町おこしが使命とは、じつに現実世界の実状に寄り添ったリアルなテーマです。

そうして、作中では主人公らが結成したチーム「チアフルーツ」が、ステージ上でアクションヒロインとして上演するアクションライブショー『聖果戦士ヒナネクターの内容に着目すれば、これはもうまさしくプリキュアなのです。

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各々のメンバーの個性に応じた赤、青、黄などのパーソナルカラーに色分けされた変身美少女戦士が力を合わせて悪と戦っていく台本は、現実世界の遊園地でのプリキュアショーで子どもたちが大興奮するがごとく、作中の観客の子どもたちにも大人気で、客席からは熱い声援が送られるところとなっています。

その意味で『アクションヒロイン チアフルーツ』は、プリキュアの1バリエーション譚でもあります。

また、現実世界ではプリキュアシリーズと戦隊シリーズの内容がクロスオーバーし相互作用を及ぼしつつ、実質的な内容の差異がない状態になってきている現状にありますが、そのあたりも織り込まれています。

作中での『聖果戦士ヒナネクター』の内容は直接的にはプリキュアっぽいわけですが、同時に戦隊ヒーローっぽい雰囲気もまた上手に統合されています。

客席の子どもたちも性別を問いません。
アクションヒロインが国民的人気という世界観のもとで、それが女性が演じるものだから女の子向けだとは、必ずしも思われていないというのは、非常に好感が持てる世界設定です。

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そもそも前記事で述べたとおり、「ヒロイン」という語は私たちの現実世界ではシンプルに「ヒーロー」の女性形の意味ではなく、主人公であるところの男性ヒーローの恋愛相手、補助・ケア役割、およびときどき敵の人質にされる役回りというニュアンスを付与されてきました。

それゆえに、プリキュアのような「女性のヒーロー」を言い表したいときには《戦闘美少女》《バトルヒロイン》《ガールヒーロー》などの修飾を伴った表現が必要でした。
《魔法少女》にそうした定義を与えて用いていこうとするややこしい流れも発生します。
ちなみにワタシは近年では熟慮の末《変身少女ヒーロー》と言い表すようにしています。

ところが『アクションヒロイン チアフルーツ』の作中では、本当に「ヒロイン」の語が単純に「女性のヒーロー」を意味するものとして使われているようなのです。
フィクション作品の世界観を通して、こうした定義の最適化が図られるのは意義があることでしょう。

誰もが「女性のヒーロー」に特段のバイアスは皆無にあたりまえのものとして受け止め応援している。
アクションヒロインが子どもから大人にまで大人気という世界観は、こう考えるとなかなか深いです。

過去の男性主人公の特撮ヒーロー作品へのオマージュと解せる小ネタが、こうした変身少女ヒーローもののバリエーション譚にふんだんに盛り込まれているのも、ある種の歴史の総括としての機能を果たしているかもしれません。

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ともあれ、作中のこうした世界観が、視聴者に違和感を与えることなく構築できることには、視聴者が暮らす今日の現実世界においてプリキュアシリーズが存在していることが大きく寄与しているのは疑いありません。

チアフルーツ作中は20XX年という設定のようですが、仮にこの2017年であっても、たいていの高校生の年頃というのは、保育園・幼稚園のころからプリキュアを見て育ってきている世代です。

そういう世代感覚の女子高校生たちからすれば、学校の部活のノリで取り組むアクションヒロインの活動内容がきわめてプリキュア的であることは、まったくの自然なことであって不思議はありません。

作中での大人世代も含めた観客や町の人々がフツーに受け入れるのもまた然り。

となると、この『アクションヒロイン チアフルーツ』は、幼少時にプリキュアのアニメを視聴しプリキュアに憧れた子どもたちが、長じて高校生となった時点で実際に「プリキュアになった」様子が描かれたアニメ……だと言うにふさわしいということにもなるでしょう。

これをロールモデルとすれば、女の子がプリキュアになる未来は、まさに今こうして実現するものなのです。


  


そんなわけで「女の子は誰でもプリキュアになれる」を「女の子がなったものがプリキュアである」と再解釈し、アイドルアニメなどを補助線に当てて「現実になれるプリキュア」とは何かと考えたとき、わかりやすい具体例としては、やはり何かステージ等にかかわる職業ということになるでしょうか。

アイドルも該当するでしょうし、遊園地のプリキュアショーの関係者などもかなりビンゴです
(着ぐるみに入ってヒーローとしてアクションをこなすスーツアクターなら、実際のところ男性も多いはず)

あとは声優になってプリキュア役を務めるなどとなれば、ほぼそのものズバリ「プリキュアになった」ことに限りなく近似しているでしょう
(近年では毎年プリキュアの新シリーズの声優が発表された際、若手キャストの中には「子どものころプリキュアに憧れていた……」とコメントする人も実際にいる)

このように比較的万人に納得してもらいやすそうな例だけでも「プリキュアになった」と言える職業はあるものです。

やはり「女の子は誰でもプリキュアになれる」のです。
そこに、かつてプリキュアシリーズを視聴して得られた何かが生きている限り――。


しかし、この上述したような比較的万人に納得してもらいやすそうな職業以外だと、「プリキュアになった」とは言いづらい危惧はある……という意見は出てくるやもしれません。

まぁ真面目に考えればそれもまた現実。
はて、ソコはどうしたものでしょう。

この点、次記事にてもう1例のアニメ作品を見てみることで掘り下げたいと思います。


◇◇


§加えて、「女の子は誰でもプリキュアになれる」の「誰」に身体障害者は含まれるのか? モンダイについて、『アクションヒロイン チアフルーツ』は一定の展望を示していました。
以下は、その点に関連してツイッターで述べたもの。



◇◇


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