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奥華子「夕立」の歌詞の意味はソレでいい? [多様なセクシュアリティ]

ブログのアクセス解析を見ると、【 奥華子 夕立 歌詞 意味 】という検索ワードからアクセスしてきている方が少なくない傾向が、けっこう長らく常態化しています。

以前に書いた記事が、この検索ワードでヒットしやすいせいだとは思われます。

 → 異性愛にしか聞こえない
http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2012-03-29_songs-hetero


加えて、この歌の歌詞について、その意味するところの解釈に迷う人も多いというニーズもあるのでしょう。

 《参考》歌詞タイム:「夕立」(作詞:奥華子)
 → http://www.kasi-time.com/item-64075.html


つまり、この歌詞中の普通の恋人どうしてもなれないってどういうこと? なんでなられへんのん?? ……ということでしょうか。


これについては、私としては、上述のブログ記事中で同性カップル説をひとつの解釈として提唱しました。

個人的には「百合解釈によって非常に切ない歌として気に入ってたりもします。


◎余談ながら、この奥華子の「夕立」の歌、小説『1999年の子どもたち』の理素奈×歩の、そのフクザツな事情の2人のテーマソングにピッタリではないかなぁ…と、かねて思っています;


  


ただ、最近になって、本当にそうなんだろうか!? という気もしてきています。

たしかに「恋愛とは男女間でするもの!!」と思い込んでいる人に対してであれば、この同性カップル説は、なかなか斬新な解釈として成立するでしょう。
それはそれで意義があることです。

しかし、性の多様性を当然のものとして受け止めるならば、ほんの同性カップルなど、もはや「普通」のことです。
そんな大騒ぎするほどのことはありません。

この歌の真髄を引き出すには、もっとその先の解釈が求められる、そういう時期に来ている――。

話を2周くらい回してみると、そんなふうにも考えられてくるのではないでしょうか?


そこで、あらためてじっくり楽曲を聴き込んでみたところ、ひとつの新説に至りました。

じつは、ここに登場する2人は「男女」なのかもしれません。

そして、「男女」ではあるけれども、2人としては単なる友だちでいたい。

にもかかわらず、周囲は「男女」であるからと恋人どうしになることを期待し要求してくる。

いっそのこと、女どうし、もしくは男どうしであったならば、恋人になることを強要もされなかったろうし、むしろ落ち着いて自分たちのペースで恋人になることもできたかもしれないのに……。

そういう、男女間の「普通の恋人」以外の関係性を実現することの困難性を、ここでは「普通の恋人にどうしてもなれない」と形容しているわけです。


どうでしょうか?
もちろん、これもいろいろ可能な解釈のうちのひとつではあります。

しかし、男女が恋人どうしになることこそが唯一絶対の「普通」だ…というわけではないことに鑑みるに、重要な示唆に富んでいるのはまちがいないでしょう。


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