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ラブライブとガルパンをフェミニズムが評価すべき5つの理由 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

ともに2012年度(2012~2013年)に放送されたテレビアニメである『ラブライブ!』と『ガールズ&パンツァー(略してガルパンは、いまだに高い人気を誇り、続編エピソードや劇場版も好評、各種イベントは盛況を呈し、舞台となった実在の場所を「聖地巡礼」として探訪する人も数多い状況が続くなどしています
(前者にあっては、メディアミックス展開の一環としての作中でのアイドルユニット「μ's」を演じる声優陣によって現実世界に展開した同名ユニットが2015年末のNHK紅白歌合戦出場を果たし、2016年初頭には同じくNHK教育テレビでのアニメ1期の「再放送」がおこなわれたりもしました)

 『ラブライブ!』μ's 公式サイト

 →『ガールズ&パンツァー』公式サイト


 《参考(お知らせブログのほうの関連記事)

 → 遅れてきたラブライバー、神田明神を参拝する

 →「聖地巡礼の聖地」大洗から東海村に足を伸ばしてみた


この両作品は、主人公たちが生徒として通う学校(両校とも伝統ある女子高校)が廃校の危機に瀕したことに対し、それを回避し、自分たちの大切な日常の生活の場を守ろうと立ち上がった主人公たちが、さまざまな障壁を乗り越えて互いの友情を深めながら努力を続けた結果、学校の存続を勝ち取る……というストーリーのアウトラインが偶然にも共通していたことでも知られています。

その方法というのが、前者では「スクールアイドル」になって人気を獲得して話題になる、後者では「戦車道」の全国大会で優勝する …というような、現実世界と対比すればいささか荒唐無稽なものであるのは、もちろん、こうしたフィクションの物語の楽しさであると言うべきでしょう。
※「スクールアイドル」は学校所属のアイドル活動、いわば部活動としてのアイドルとして作中では描かれています
※「戦車道」とは戦車戦を純粋な競技として完全に戦争とは切り離して成立させたもので、作中では女子が嗜むべき武道であるとされているスポーツだという設定になっています

両作品とも、その人気は伊達ではなく、アニメとしての映像表現のクォリティ等もさることながら、描かれる物語の中での、目標へ向かって自分たちにできる努力をひたむきに続ける少女たちの姿は、観る者の胸を打ってやみません。
それだけ、元気がもらえる爽快なストーリーの良質な作品だと言えるのです。


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※画像は公式のサイトor放送画面からキャプチャ


ただ、この二作品について、そのあたりを適切に評価されないケースもままあるのではないでしょうか。
前者にあっては、女性「アイドル」の表象が、いわゆる異性愛男性からの性的消費を招きやすく、結果として女性差別的なものになるという危惧はありえるものです。現実世界のアイドルには、プライバシーの流出や一部の過熱したファンからの迷惑行為など等のリスクもあるでしょうし、アイドルを志す少女たちを詐欺まがいの誘い文句でアダルト作品に出演させるような事例も報告される中では、善良なプロダクションの見極めが難しいというのもあるやもしれません。そうした現状において、昨今のアイドルブームと言われる風潮を警戒することもまた、あながち杞憂とは言えない現実は理解されるべきです。
後者にあっては、やはり戦車に対して違和感を訴える声は少なくないのかもしれません。もちろん、もしもガルパン人気を利用して、例えば一般市民の間での「兵器」にかんする感覚を操作して戦争への抵抗感を下げようなんて動きがあるとしたら姑息な話です。政府がそんなことを企んでいないかどうかの警戒は不断にじゅうぶんになされるべきでしょう。現役で運用されている戦車はあくまでも「兵器」であり、すなわち戦場でのオペレーションに投入される目的をもったものであり、人を殺傷する可能性と不可分であることを忘れてはならないのは言うまでもありません。
しかしながら、両作品とも、そういう問題となるような事象からは遠いところで成立しているのも事実です。現実世界のありようとは適正な距離を置くようにコントロールを加えた世界観で、安心して視聴できるフィクションが架構されている様子は、しっかり丁寧に見極められるべきです(ガルパン作中では、登場する戦車を第2次世界大戦以前のすでに「歴史」となっているものに限っている他、「戦車道は戦争ではない」とも複数回言明されており、戦車戦が専ら女性のスポーツとしてのみおこなわれるようになっているガルパン作中を、それくらい戦車が「実用」から遠ざかった、すでに高度に平和が実現した世界なのだと読み解く発想もリテラシーとして求められましょう)

そこで、本記事では、『ラブライブ!』と『ガールズ&パンツァー』のどのようなところが優れていると言えるのか、それをフェミニズムの観点から整理してみたいと思います。


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1:自立した女性キャラの主体性
まず基本的に主人公を含めて女性キャラが大勢登場し、誰もが自ら主体的に行動する物語です。
舞台が女子校ということもあり、作劇上の異性愛義務は排除され、男性との恋愛物語にも回収されず、そんな環境のもとで、主人公たちが男性に頼る必然も必要も発生しません。
どのキャラも生き生きと「自分」を体現しています。
いわゆる「紅一点問題とは対極にあるのは明白です。


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2:女性ホモソーシャルな親密性
女性キャラが複数(かなりたくさん)登場することで、女性どうしの親密な関係性が多数、かつ重層的に描かれることになっています。これにより、ありていに言えば女どうしの友情が肯定的に描かれることがあたりまえのこととして成立するようになっています。
いわゆるベクデルテストも楽々クリアできていると言えるでしょう。
これは、現実世界の女性どうしが関係性を構築していくうえでのモデルケースが示されているとも言えますし、男をめぐって女どうしがいがみ合う描写 → 「女の人間関係は陰湿」という男性社会に都合がよいプロパガンダ …という因習的な描写がドラスティックに転換されているということでもあります。非常に意義は大きいでしょう。


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3:女性によるリーダーシップのロールモデル
複数の女性キャラが登場し、ひとつの目標へ向けて活動する中では、女性によるリーダーシップも発揮されることになります。
『ラブライブ!』でも、各局面でそれぞれのキャラが場を主導しますし、主人公はスクールアイドルのユニットである部活動全体を強力に引っ張っていきます。そんな彼女たちの姿からは(逡巡や蹉跌などをめぐる葛藤からの成長のエピソードも描かれますが)「女性リーダーは頼りない」というようなジェンダー的なしがらみはいっさい感じられません。
『ガールズ&パンツァー』では主人公が自チームである戦車隊の指揮を担うことになるわけですが、これは現実世界であればかなり公的で系統だった組織を引き写した集団でのこととなります。女性が組織的な集団においての長としてリーダーシップを執る姿のモデルケースを示している点は大いに評価されるべきです。「女の子は戦車隊隊長だってできる!」という様子が提示されることは、(「戦車道は戦争ではない」と担保されたフィクション世界を通してのことであるかぎり――現実の戦争における軍事組織の女性兵士をめぐる問題は当然ながら次元が異なるイシューです)男女共同参画社会の趣旨にも適うことでしょう。


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4:ありのままの受容と自己肯定の物語
『ガールズ&パンツァー』は、主人公・西住みほが、戦車道の有名な家元の次女で、家柄の重圧や、流派の方針が自分の優しい性格と合わないこと、対して的確に後継者として頭角を伸ばしていく姉に対する周囲の高評価が自分と引き比べられることによるコンプレックスなどにより、自己肯定感を持てず、性格も鬱屈して、精神的に引きこもってしまった少女として当初は登場します。それが、半ば逃げるように親元を離れた転校先で、ありのままの自分を受け入れてくれる友人たちとの出会いがあり、ほどなく奇しくも戦車道の知識やセンスを期待されたことを経て、自分なりのスタイルを確立し、それをもって姉が率いるチームを大会決勝戦で倒すことで自己肯定に至るというプロセスが、戦車道という架空のスポーツを通して描かれていることが、その最も肝要なストーリーの主軸です。
いわば社会的受容と自己肯定の物語なのですが、サブテーマとしてはみほと姉の互いに思いあう心・姉妹愛も伏流として示されています。その意味で、かのディズニーのヒット作『アナと雪の女王』とも相通ずるものがあると言えましょう。
『ラブライブ!』の高坂穂乃果は、もう少し王道な、元気で前向きな性格の主人公ですが、それゆえの大きな蹉跌をも経験し、それをつうじて自ら内省し、自分を再評価したうえで仲間との関係を深化するエピソードは物語の大きなヤマ場としてあります。また、アイドル活動を始めるにあたって引っ込み思案な性格の少女が勇気を出して一歩踏み出すようなエピソードは、他のメンバーによって担当されたりもしています。したがって、やはり社会的受容と自己肯定は、必然的に物語の重要なテーマとなっています。
これらが、社会の男女二分構造の中で抑圧を感じるすべての人のエンパワーメントのために大いに意義があるのは言うまでもないでしょう。


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5:男性ホモソーシャル公的領域の撹乱
一般に、男性ホモソーシャルな社会構造では、男性のものと設定した内部を公的領域として特権化し、権力機構として機能させています。対して女性(や子ども)の領域は外部へと周縁化し、私的領域としてケア役割などを割り振るわけです。各種の性別役割分業規範が敷設された性差別的な社会構造はこのように維持されていると言え、これはこの世の中のジェンダー問題のかなり核心にあることでもあります。
ここで、学校を「廃校にする」というのも、男性領域である公的な権力領域がくだす決定に該当するものだというのは、理解に難くありません。
ところが『ラブライブ!』や『ガールズ&パンツァー』では、そんな「廃校」という公的領域に位置する権力機構から通達された決定に対し、私的領域に属するものとされる女子高校生という立場の主人公たちが、私的領域の側から、その私的領域での日常の価値を守るために、私的領域的な手段で対抗的に公的領域に働きかけ(女性としての「アイドル」はもとより、ガルパンの「戦車道」も作中ではもっぱら女子の武道(スポーツ))、ついにはその公的領域での決定を覆すというところに、大いなるカタルシスがあるのではないでしょうか。
それだけ、ラブライブとガルパンには、男性ホモソーシャルな性差別的構造とその構造に則った社会規範を撹乱する力がある、そういう重大な意義を持った作品でもあるのです。

  

  


いかがでしょうか。
以上のようなことが、視聴者との相互作用のうちに、明日の世界をよりよく変えていく可能性は大いにあると私は考えます。
「ラブライブとガルパンをフェミニズムが評価すべき5つの理由」を過小評価すべきではありません。


◎プリキュアだったら何色?
上述のとおりラブライブとガルパンには「廃校阻止」という点では共通項があるのですが、主人公のタイプは大きく異なります。
高坂穂乃果が積極的な元気娘で、いわばプリキュアになるなら主役のピンクのプリキュアなのに対し、引っ込み思案でネガティブ属性も強い西住みほはやや捻った位置づけに来る黄色のプリキュアあたりが妥当するのではないでしょうか(みほ役を演じた声優・渕上舞さんがドキドキプリキュアで担当したキュアロゼッタが実際に黄色だったり)。
このため、ラブライブのアニメ序盤などは、穂乃果にまかせておけばまぁ大丈夫だろう的な安定感があり、視聴者が安心して見ていられる雰囲気になっています。対してガルパンでは、最もリーダーに向いてなさそうな人が学校の命運を背負ってチームのリーダーをせざるをえなくなるという往年の富野由悠季監督アニメのような不安感に苛まれることになるのも(そこからのみほの成長譚が感動を呼ぶのも、それがゆえ)、また一興でしょう。
ラブライブのアニメ1期11話では調子に乗って自滅するのが穂乃果本人なのに対して、ガルパンの8~9話での準決勝戦でチームが絶体絶命のピンチに陥る遠因が調子に乗ったチームメイトをみほが抑えきれなかったためだというあたりにも、こうした主人公のタイプの差異が特徴的に出ていると言えるかもしれません。


◎現実世界にスクールアイドルがいたら?
「戦車道」は言うまでもないかもしれませんが、「スクールアイドル」もまた現実世界には存在しない架空の概念です。
ラブライブのメディアミックス展開の全体像である「 School idol project 」でも、アニメの作中に登場したような学校所属の部活動としてのアイドルユニットの活動を現実世界において興していくような企画は考えられていないようです。
実際にやるとしたら、教育活動の中へ位置づけるための建前をどうするかの他、肖像権やプライバシーの問題など、課題は多いでしょうが、ただ、この《放課後の部活としてのアイドル》、今日の中高生たちの間には「やってみたい」というニーズも相応にあるのではないでしょうか?
そして、そのように考えを進めたときに思い至るのは、1980年代に一世を風靡したアイドルグループ「おニャン子クラブ」の存在です。
おニャン子クラブの直系の嫡流はAKB48等なのでしょうし、AKB48等もまた擬似的に同じ学校の生徒が集まったユニット的なテイストが演出されてはいますが、かといって「放課後の部活っぽさ」という点では、AKB48等の場合、それは薄いという印象です。
対してかつてのおニャン子クラブには「放課後の部活っぽさ」が演出としての強調を差し引いても多分に濃厚で、そしてソレこそが当時の人気の理由だったとも言えるでしょう。
その意味で、ラブライブのアニメ作中に登場するスクールアイドルの概念に近い存在を現実世界に探すと、最も当てはまる事例が往年のおニャン子クラブになる――逆に言えば、おニャン子クラブのエッセンスを受け継いで、この21世紀における的確な進化形となっているのはラブライブのアニメ作中における「μ's」のような「スクールアイドル」だと言えるのかもしれません。
………となると、ラブライブのアニメ作中でμ'sのセンターを務める主人公・高坂穂乃果を演じる声優であり、メディアミックスの3次元展開のμ'sでもセンターに立つのが新田恵海で、往時のおニャン子クラブの会員番号4番としてセンターに入ることも少なくなかったのが新田恵利だという符合は、単なる偶然の一致にとどまらない意味があるのかもしれませんね(←言いたかったのはコレかいというツッコミはなしで(^^;))


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