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「性的な表現」が問題となるとき [メディア・家族・教育等とジェンダー]

§胸がキュンとするときこそ
女の子は強くなれる§

BL150923FishSofi01.JPG
アニメ『プリパラ』放送画面より
(当記事中同じ)

………のっけからアニメのアイドルの少女が謎の漁師姿で大漁旗(^o^;)
これはいったい!?

という方もおられるかもしれませんが、コレについては後述します。


さて、先月は前記事のとおり「碧志摩メグ騒動に、いきがかりで巻き込まれてしまったのですが、さしあたり個別の案件としてのこの問題は、現地の直接の当事者において、適切に対話をおこない意見をすりあわて、最適な落としどころで解決を図ってほしいものです。

当然ながら、一方が過剰な「オタク差別」言説に基づいた強硬な主張を譲らなかったり、逆に擁護派が一切の批判を「フェミの戯言」等と一蹴したりという応酬は、不毛で非建設的なものでしかありません。

多様性を包摂するための交渉と相互の譲歩」は、民主政治というシステムが運用されている社会における主権者としての重要な素養でもあります。

とはいえ、表現物に含まれる性的な要素については人によって受け止め方の幅が大きいのも確かです。
「多様性」を前提にするのなら、そうであるからこそ誰もがセンシティブであるべき事柄なのだとも言えるでしょう。

はたして、「性的な表現」が問題とならないようにするには、どのような配慮が望まれるのでしょうか。
※このテーマもしっかり精緻な分析をすれば、もっといろいろ掘り下げられるでしょうが、さしあたり当記事では簡潔な考察にとどめます


基本中の基本となる事項としては、実写作品の撮影等においては、演者に対する「制作被害」がないことは大前提となります。
制作過程で演者の安全を保障することは、もちろん性的な要素に限ったことではないでしょうが、現状では性的なことは相当にデリケートな問題です。

演者が安心して出演でき、出演したことによって当日もそれ以降も一切の不利益を被らない体制は、関係者が全力で実現することが求められるものです。

過激な内容のポルノなどではもちろんのことですが、例えばどのような表現物であっても(とりたてて「ポルノ」的なものでなくても)何らかの形で子どもをモデルに使用する場合は、その子どもの現在と将来を見据えた慎重な取り扱いが望まれるでしょう。

ただ、この「制作被害」については、作品が絵・マンガ・イラスト・アニメ・CG等々である場合には、原則として発生しないものです。
この点は、こうした性表現をめぐる問題を整理し切り分けるときに、ひとつ留意すべきポイントだと考えられます。


そのうえで、何に気をつけるかとなれば、つまるところ、「場」にそぐわないものにならないようにする……に尽きるのではないでしょうか。

特に公共空間に掲出するなど、不特定多数の人々の目にとまる可能性が高いものについては、人々の多様性のレンジも最大限に広いでしょうから、やはりなるだけ不快に思う人を少なく、できるだけ多くの人がこころよく納得できるように、最大公約数的な「無難さ」が要求されることが妥当でありましょう
(むろん、「最大公約数」がどのあたりにあり、これなら「無難」だという基準は、仮に日本国内でも地域差などがありえますし、時代とともに変化もするものですから、絶対普遍のガイドラインはなく、そのつど公平公正に審議することが望まれます)

その意味では、件の碧志摩メグの初期の一部のビジュアルは、胸の強調やポージングなどにおいて、公認キャラクターとしてはいささか逸脱したデザインだったと言えるところも部分的にはないではなかったわけです。

あるいは、例えば美術館の特別展で公開される作品自体が刺激的に過ぎる場合でも、表現の自由は最大限尊重されるべきですが、その美術館の最寄駅その他に掲出される宣伝広告などでは、若干の工夫はほしいところだと言えます。

この他、公共空間に不適切な性的表現が問題視される事例はしばしば現れるのですが、個人的にはインターネット上の広告が、閲覧しているサイトの内容とは無関係に、自分が好まないエロさであるケースが、かなり無差別的に発生していると思います。

このように、望まない人が、望まない時に、望まない「場」で、望まない内容の「性的な表現」を目にすること、そういうことがないように、しっかりキチンとゾーニングをおこなうことは重要です。

逆に言えば、制作被害がないのであれば、過激でディープな性表現であっても、あとは効果的・効率的なゾーニングの問題ということになります。

「過激でディープな性表現」は総じて差別的暴力的などと問題視する向きもありますし、そうした指摘からも汲むべき点は多々あるでしょうが、一方で、人の性的ファンタジーが多様であることに鑑みると、どんなに差別的だったり暴力的だったりする人権侵害的な許されざる内容であっても、そういう妄想を必要としてしまう人が存在することは認められないといけません
(そういう性的ファンタジーをそのまま実行することは許されないことだということと、そうした性的ファンタジーの存在自体は理解すること、およびそれらの性的ファンタジーに基づいたフィクションの創作物が制作されることを受容すること、これらはじゅうぶんに両立します

ゾーニングの隙間から、漏れ出てくるものもどうしてもあるでしょうが、そもそも「こっちのゾーンには何があるか」のインフォメーションもなければゾーニングが機能しませんから、そういう漏れ出てくるものを目にする機会も、「お互いさま」と誰もが言えるよう、最大限に不均衡をなくして相互に譲りあう態度は望まれるところです。

「こんなにも極悪非道で不埒なな妄想を抱えた自分は異常であり変態であり、生きていてはいけないのではないか」と懊悩する人に、「こんな葛藤で苦しんでいたのは自分だけではなかった」と思える情報を届けることも、誰かを救うということであるはずです(もちろん、そのために別の誰かの負担がいちじるしく過重になることは避けられないといけませんが)。

もう何度も言ってますが、「成人の」「異性に」フツーに欲情することだけが、唯一絶対の正常なセクシュアリティ………ではないのです。


なお、現行社会が人を「男女」で仕切った構造にあり、かつそこで「男」として配置されたグループ内で標準化され卓越的になっているセクシュアリティが覇権的な現状では、ゾーニングの隙間から漏れてくる性的表現の多くで、ジャンルが「一般的な男性向け」に偏り、そこでの描写が立脚する価値観も特定の階層からの視点に依りすぎているきらいは否定できません。
そこにある不均衡や権力関係は、当然に是正されるべきものです。


あと、いわゆる「青少年に有害」言説については、多少のレーティングはやむを得ないとしても、何がどうなっていたら「青少年に有害」なのか、性的な情報の何もかもを「青少年」からいたずらに遠ざけることだけが本当に最善な方策なのか……あたりをキチンと議論の俎上に乗せたうえで、まずは真に必要な性教育の体系を整える作業を早急に始めるべきだと訴えたいですね。


そうしたことも含めて、ひとりひとりが性的表現に対する感性を磨き、性的な要素を含む表現物に接したときに、その表現の多面的な深層を読み取り、描かれている真意を複眼的に捉えるリテラシーを持つことで、短絡的な反応を慎むことは大切でしょう。


  


……というわけで、ここでちょっとケーススタディです。

アニメ『プリパラでは、2015年夏期に用いられたエンディングでのタイトルバック絵で、主要登場人物たちが過ごす夏休みの様子を描いていたのですが、

そのうちの一枚、

 BL150923FishSofi02ma.JPG

この、北条そふぃがドレッサーの前で身支度をしていると思しきカットが、幼児視聴者の保護者と思われるスジからBPOに「性的すぎる」という趣旨のクレームが入ったことを受けてか、期間の途中で差し替えになってしまったのです。

で、その差し替え後のカットが、当記事冒頭の「謎漁師大漁」だったわけです。

しかし、どうでしょう?

これは公平に見て、ゾーニング・レーティングが必要なほど過激でも差別的でも暴力的でもなく、ただ少し大人びた装いをする少女の絵にすぎません。

たしかに大人の視聴者は、例えば少し前にあるレオナ・ウェストのこのカット…

 BL150923FishSofi03Le.JPG

…と つながっているのではないか!? などと想像をたくましくして(*^^*)盛り上がっていましたが、それはあくまでも大人ゆえのことです。

これを見た幼児の反応としては、お姉さんになることへの健全な形での憧れなどが一般的と考えてよいでしょう

つまり、子どもも視聴する時間帯に放映されるアニメの絵柄としては、じゅうぶんによく考えられた範疇にあるという合意の形成は容易なものです。

その意味ではこれは「青少年に有害」の錦の御旗に基づいた過剰反応だったと判断せざるをえないでしょう。

本当に問題があるときにBPOへの申告が有効に機能するためにも、「弾は有効に使う」、その使いどころを見極めるスキルは、やはり社会人として磨きたいところです。

だいたい、あの絵くらいで問題視するほどの保守的な保護者であれば、まずもって問題にすべきはレオナの存在であるはずです。

そこをスルーして目立つところにいきなり食いつくあたり、このテのクレーマーがいかに作品の表現を表面的にしか見ていないかということを物語っているのかもしれません。

きちんと向き合って視聴していれば、あのアニメが総体的には子どもたちへの愛にあふれたつくりになっていることだって、じきにわかるはずなんですけどね。


  

◇◇


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