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「オタク対フェミ」でも「男vs女」でもない!――公認萌えキャラ碧志摩メグ女性蔑視問題を交通整理したい [メディア・家族・教育等とジェンダー]

先週(2015年8月初旬)、三重県の志摩市の公認「萌えキャラが、話題にのぼりました。

昨今では、いわゆるアニメ風の絵柄ご当地キャラクターを用いて、地域活性や地場産品のアピールにつなげる動きは珍しくなく、萌えキャラをつかった町おこしとして「萌えおこし」などという言葉も生まれています。

三重県志摩市でも、地域性に鑑み、海女さんをモチーフにした「萌えキャラ」として【碧志摩メグ】を公認して、さまざまなプロジェクトにて活躍させようとしていたわけです。

ところが、このいわゆる「萌えキャラ」の【碧志摩メグ】が、不必要に女性の身体の性的要素を強調しているような印象を醸し出しているのが不快に感じられ、公認キャラとして不適切であるという意見が、おもに地元の本物の海女さんを中心とした女性らから上がっており、「女性蔑視」だとして、署名活動もおこなわれている

……というのが、簡単に要約した今回の一連の顛末です。

で、まぁついでに言うと、お知らせブログのほうの記事にあるように、この問題をとりあげたインターネットニュースチャンネルの番組に、ワタクシ佐倉智美がコメントを述べるために電話インタビューという形で生出演したというわけなのですが(^^ゞ


 →問題の概要はこちらなどにも
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/08/aoshima-meg_n_7959002.html

 →志摩市「公認萌えキャラ」碧志摩メグ公式サイトはこちら
http://ama-megu.com/

◇◇
 BL150811AoshimaMeguEn.JPG
 ※公式サイトのトップ画像のキャプチャ(二次引用は不可とのこと)


たしかに、報道などでも紹介されている碧志摩メグのキービジュアルの一部を見ると、いささか胸の膨らみが淫靡に強調されすぎなきらいはあります。ポーズも妙に艶かしさを湛えていると言えるでしょう。

さらにはプロフィールにある「ボーイフレンド募集中」という文言は、うっかり入れることで異性愛至上主義に陥ってしまうばかりか、「女性は嫁という名の商品」のような隠しメッセージを想起させてしまいかねず、期せずして「女性蔑視」だという批判の根拠を強化してしまう結果にもつながる危険があります。

 BL150811AoshimaMeguKy.png
 ※公式サイトより(二次引用は不可とのこと)


これらを勘案すると、やはりこの「萌えキャラ」のデザインに際しては、異性愛男性は女性身体のこういう要素が好みであるにちがいない! というような措定に基づいた安易さが介在し、結果として見て不快になる人もいるようなディティールが混入してしまったという経緯は、想像に難くありません。

その意味で「女性蔑視」というのは、相応に的を射ており、決して荒唐無稽なクレームではないと言わざるを得ません(そしてじつは「男性蔑視」でもあったわけです)

実際、現行社会の「男女」二分構造のなかで、男性中心の公的領域に重心がある現実は、権力リソースの配分にきわめて深刻な不均衡をもたらしています。
そうして公的領域の重要な価値基準である異性愛男性としての女性に対する性的欲望を称揚するために、「女性」がその身体を人格と切り離されて性的に客体化されて消費されることも、ポルノグラフィの作中世界か 現実の関係性の場なのかを問わず、日常茶飯に起こっています。

もっぱら「男性」としての生活を割り当てられているとなかなか体感する機会はないのかもしれませんが、「女性」として生活していると、非常に無礼なニュアンスの視線で男性から性的対象として眼差されることは珍しくないのです。
性犯罪への用心の気苦労も絶えませんし、本当に性的被害に遭うことだってあります。

そうした状況下では、女性ジェンダーを生活している者としては、女性を性的に描いたコンテンツのありように対してセンシティブにならざるを得ません。

したがって、こうした社会構造に対して無批判無自覚的につくられたコンテンツの、妥当性を欠く点への異議申立てはまったく正当であり、誰もが真摯に耳を傾ける姿勢が望まれるのは言うまでもありません。

◎特に今回は海女をモチーフにしたキャラクターに対して、実在の地元の本物の海女の皆さんから批判が上がっています。
当人でないとわからない不快感というのはたしかにありますし、それを上手く言語化するのにけっこうな労力もかかります。
私も性的少数者としての立場から「翠星のガルガンティア5話問題」を指摘したときに「細かいことに文句を言うな」といった反対意見には徒労感を禁じえなかったものです。
そのあたり、過剰反応と一蹴するのは論外としても、形式的な意見交換で終わるのではなく、じっくり丁寧に意見を汲み取るプロセスが望まれるところです。


しかし一方で、勢い余って「萌えキャラ」全般を非難するような声も聞こえてくるのはいかがなものでしょうか?

いわゆるアニメ的な絵柄のキャラクター自体は単にひとつの表現のスタイルであるにすぎません。それ自体を、一面からの嫌悪を普遍化して全面否定するのは「萌え」文化全体を不当に軽視した行為ではないでしょうか。

たしかに「萌え」の表現技法はポルノ的に女性の身体性を性的に強調する描写とも親和性は高いでしょうから、そうしたポルノ的な表現物の中に「萌え」風のアニメっぽい絵柄のものが目立つことがままあるのも否めません。
しかし、ポルノ的な表現はどのようなジャンルの手法でもありうるものであり、「萌え」表現に限ったことではないでしょう。
であるならば、問題は「萌え」ではなく「ポルノ的な表現」であり、それ自身もまた、適正なゾーニング等々を施せばすむことであります(実写ポルノの場合の「制作被害」などはない前提で)

にもかかわらず、今回のような問題に際しては、なぜか「萌え」文化全体が総体的に非難され否定的な評価にさらされるのというのは、他のジャンルでは起きない(例えば実写のポスターが性的すぎて問題だというケースで、起用された女優さんが全否定されたり、写真というメディアそのもの全部が非難されたりすることはない)ことと比較すると、不自然なダブルスタンダードだと言えます。

アニメなどの、いわば「オタク文化」もれっきとしたポピュラーカルチャーの一側面です。その文化的意義を正確に把握せずに過小評価したりすることにもまた、ある種の権力配分のアンバランスに由来するヒエラルキーを感じます。

あまつさえ、「萌えキャラ」や「オタク文化」の愛好者への人格攻撃にまで及ぶ否定的意見となると、扇情的なヘイトスピーチの様相さえおびてきます。

今回の問題は、あくまでもキャラクターの表象に立ち現れているいくつかのディティールに収斂するものです。
そこを、やたら的を大きく誤認した批判に拡大してしまうのは、正義を履き違えた、偏見に基づく差別であって、これもまた不当なものとなってしまうのではないでしょうか。


結論から言って、今回の問題は、キャラクターを制作するセクションと、地域おこしの当事者集団のひとつである地元の海女の皆さんとの間での、コミュニケーション不足が原因の一言に尽きるのではないでしょうか。

つまり、現場での幅広い意見の集約ができていなかったがためにプロジェクトの趣旨に適っていない部分が生じてしまったがゆえのトラブル。

制作側は、もっと実際の海女さんにしっかり丁寧に取材し、海女の皆さんも積極的にかつ好意的にプロジェクトに参画できる、そういう環境が実現されていれば、「萌えキャラ」をどのようなデザインにするかという点にも最適解が導き出せたはずです。

逆に言えば、ソレができていなかったがゆえの行き違い。

コンセンサスを形成するプロセスが不十分だったために、その成果物において、プロジェクトの趣旨に見合ったチューニングに失敗してしまった……。

ただ単に、それだけのこと。

もちろんこの「単に、それだけ」というのは、問題を矮小化しているのではなく、社会的な背景まで含めた全体像は俯瞰したうえで、問題を「今」「ここ」で議論するに相応しい適性なサイズに切り出す作業であり、効果的なソリューションを導き出すうえで必要となる、合理的な操作としてのものです。
これをきちんと適切におこなうことで、話し合いのスタートラインも、当座の目標となるゴールまでの最短距離に引くことが可能となるのです。

そしてそう考えると、多様な立場の人が対等に参画し、相互尊重の姿勢で意見を集約して、ちょうどよい落としどころをちゃんとすり合わせていくのであれば、「萌え」を用いた地域活性化を、誰もが納得できる形で進めていくことは、決して夢物語ではなく、じゅうぶんに可能な現実的なプロジェクトなのだということになります。

事実、報道によると、批判を受けた後は、それらを踏まえてデザインに配慮をおこなっているとのことです。

このポスターなどは、たしかに「露出」は控えめだし、胸も不自然に強調されている印象はないです。

 BL150811AoshimaMeguPs.jpg
 ※公式サイトより(二次引用は不可とのこと)

はじめからコレであれば、問題にはならなかったのではないでしょうか。

サミットの開催に鑑み、外国の人が見たらどう思うか……という意見も、もちろん考慮が必要なところですが、グローバルスタンダードが常に必ず正しいわけでもないことを思えば、やはり「まず否定ありき」ではなく、日本発の「萌え文化」が国際的に主流化されている価値規準をゆさぶり、世界を真に人権尊重と生活者優先の豊かな社会経済システムへと変えていく可能性も検討されるべきです。その意味でも「クール・ジャパン」の旗には、じゅうぶんに意義はあるのではありませんか。


しかしながら、残念なことに、これと類似した論争は、じつのところしばしば起きています。

そしてそのたび、にいわゆる「オタクvsフェミニスト」「男vs女」の構図に落とし込まれた挙句、互いが罵詈雑言の限りを尽くした感情的に全否定しあうという、きわめて非建設的な両陣営の全面戦争になりがちです。

いったいなぜそんなことになってしまうのでしょうか。

ひとつには、社会のあらゆる物事が「男女」で仕切られているために、人は各々が割り当てられたジェンダー以外の生活ができず、それゆえに「男」は「女」の、「女」は「男」の生活上のリアリティについて知り得ない部分が多々生じてしまうために、相互理解が妨げられているという現状があるでしょう。

これについては、やはり互いに自分からは見えていないものがあることを自覚し、相手を慮って共生の道を探るとともに、そうした「男女」カテゴリ自体を疑う習慣をも身に付けていくことが望まれます。
何でも「男女」で割り切れるはずはないし、「男」「女」という区分自体が便宜的に仮構されたものなのです。

さらに言えば、「女性」に対して性的に惹かれるのは「男性」だ!! という決めつけもまた、ものすごく異性愛を標準化しすぎたヘテロノーマティビティです。
性的に何に惹かれるかひとつ取っても、「女性」も「男性」も多様なのですよ。

だから「萌えキャラ問題」ひとつ議論するにしても、いちいち「男vs女」のフォーマットにはめ込もうとするのはとんでもない誤りです。

ついでに言うなら、「性」のありようについても、もっと混沌とした良い意味での猥雑さが、もう少しオープンに語られる社会にしていくほうが、「性」に起因した悩みの少ない世界なのではないかと思います。


「オタク」と「フェミニスト」についても、結局は「男vs女」の構図において売り言葉と買い言葉を繰り返した果てに、習慣的に対立グセがついているだけな面は大です。

むしろこの両者の位相は、本当はかなり近似しているはずで、両者が反目し対立しないといけない理由が、ワタシには理解できません。

だいたい「オタク」男性などというのは社会の男性特権領域からは周縁化された位置に疎外されている属性なわけで、そういう男性特権領域の中核部分に権力リソースが集中する社会構造を批判するフェミニズムとは、共闘こそすれ、傷つけ合う理由などないのです。

はてさて「オタク」と「フェミニスト」が諍うことで、いったい誰が漁夫の利を得ているのでしょう!?

まぁ少なくとも、今日のアニメ・マンガなり、「萌え」コンテンツといったオタク文化なり、各種のポピュラーカルチャーというものには、じつはすでにこれまでのフェミニズムの成果が大量に取り込まれています(むろんタイトルによってその濃淡はまちまちでしょうが)

例えば紅一点問題ひとつとってみても、この40年での変化はめざましいものがあります。
「萌え」的な絵柄の女性キャラクターが数多くあふれていることは、今日のアニメにおいては、女性主人公が男性キャラの補助やケア役割に回収されることなくイキイキと活躍し、主体的に行動しながら女性どうしの関係性を深く育んでいる、そういう作品がたくさんある状況と表裏一体のことです。

また(ゾーニングが必要となるような二次創作は別として)今日のアニメの作中では、女性キャラクターが作劇上の必要もないのに無意味にセクシュアルハラスメントに遭うことも控えられています。
これは(今でもドラえもんには必然性なくしずかちゃんの入浴シーンが出てくるように)作中の女性キャラクターが作中の男性キャラクターから作中でスカートめくりなどの被害に遭っていたような時代とくらべると、明らかに違います。

他にも、ジェンダー観点からのポリティカルコレクトネスには、慎重に気が配られていることが通例です。

まさに今日のアニメ・マンガ、オタク文化などのポピュラーカルチャーは、積年のフェミニズムの成果の上で成り立っているものなのです。

この点は、今一度、「オタク」も「フェミニスト」も、双方がキッチリ理解するべきです。

◎二次創作などについては、たしかに「エロ目線」が全開となったものもなくはないですが、それらが愛好される局面は、やはりある一定の広い意味でゾーニングされた範囲内であり、そうした「エロ二次創作」などを愛好するファンが、元の作品をも、もっぱらそういう視線でしか観ていないわけではありません。


そのうえで、例えば今回の「碧志摩メグ女性蔑視問題」なども、冷静に「オタクvsフェミ」とか「男vs女」とかの単純な図式の話ではぜんぜんないことに気づければ、そういう無益な対立軸を超克して、もっとみんな相互尊重の姿勢で理解しあい話し合い、ピンポイントにコンフリクトが起きている問題箇所をサクっと実務的に解決して、より良い形で豊かな文化を発展させていけるのではないでしょうか。

フェミニズムはみんなのもの」です。

そしてまた、「萌え」文化の消費者も「男性」ばかりではないのです
(若い女の子たちも萌え絵を見てカワイイと評価しているようなことはフツーにあります)。

そうして、「オタク」と「フェミニスト」の(および「男」と「女」の)断絶の壁が超克された新時代が到来した暁には、「萌え」コンテンツに象徴されるポピュラーカルチャーの力が、現行の権威主義的で経済発展優先の社会の仕組みを、目をみはる鮮やかさで転換していくことになるのかもしれませんよ!


◇◇


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コメント 4

マガジンひとり

はじめまして。公共の場に、確かに他にも過度にセクシャルな表現は氾濫していますが、そうしたものを並列させてみた場合、わが国のアニメ絵は「幼児性」という点において極めて特殊であり、自国の文化ではありますが、ある種いたたまれない気持ちにならざるをえません。今後も継続した論考を望みます。
by マガジンひとり (2015-08-22 02:06) 

tomorine3908-

マガジンひとり さんなどからコメントいただいています。
ありがとうございましたm(__)m

「幼児性」が「特殊」というのは、たしかに注目すべき観点かもしれません。
むろん、そこには良い面も悪い面も併せ持たれているものとして。


あと、お名前が「名無し」さんのコメントが1件投稿されたのですが、このハンドルネームでは規定により承認表示いたしかねます。
コメントの諸注意のほう、今一度どなた様もご確認ください
http://est-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/chui_contact

ただ、「ボーイフレンド募集中」については、実在の一般の17歳の女の子にそのように表明する人がいてもそれは当然にそういうケースもあるでしょうし、何ら責められることではないでしょう。
ただ、公共機関の公認キャラクターのプロフィールとしてwebサイトににも明示する形での設定には慎重な検討が必要となるところを、今回の件ではちょっと安易で不用心な印象がしたということです


by tomorine3908- (2015-08-22 13:54) 

脇坂 健

はじめまして。

非常によく整理されており、説得力がある説明かと思います。

ただ、表象の歴史的制約という側面はもっと重視されてしかるべきはないかと。

志摩という地方における海女は、神事に供する海産物を提供する側面とともに
性的搾取を受ける存在だったという歴史があります。
交通機関の発達とともに、職業海女と性的職業従事者はしだいに分離していきましたが。

その一方で、海女(および海士)という職業は現に存在しているわけで、
それらの方からみて、歴史上の(忌まわしい)側面の表出を想起させること、
すなわち性的なものを少しでも連想させる描写に対して
強烈な嫌悪感が出るのも当然のことです。

これが、単に「地元の名もなき女子高生」に過ぎないのであれば
ここまで話がこじれることはなかったのではないかと存じます。
by 脇坂 健 (2015-08-22 22:51) 

tomorine3908-

脇坂健さまからもコメントいただきました。
ご指摘いただいている歴史的な背景については、おそらく私よりも詳しいどなたかがどこかで述べられていると期待して、文章の冗長化を避けるためにあえて省いた部分です。
ので、このように補足的に触れていただけると助かります。ありがとうございます。

by tomorine3908- (2015-08-23 17:33) 

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