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「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

「ありのままで」は普遍的な意義を持つ流行語で終わらせてはいけない言葉 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

性的少数者をはじめ、各種のマイノリティが生きづらさを抱えるのは、多数派基準によってつくられた普通」の範疇から疎外されてしまうことに起因しています。

これが普通。それは当たり前……。

そうした枠組みに適合することこそが正しく、決められたことへの対応スキルを持っているのが正常であって、そうでないのはイレギュラーな異常なことである――。
そうした価値規準が普遍化されることによって、各種のマイノリティであることが、社会的なハンディキャップとして構成されてしまうのです。

したがって、各種マイノリティについての課題は、各々のマイノリティ当人に原因が内在しているのではなく、その存在を受容する社会のありようの問題であり、つまりは社会の構成員全員が当事者であるのだという認識が共有されることが、まずは解決への第一歩なのです。

そうして、さまざまなマイノリティが、「そういう人だって普通にいる」ことが当たり前のこととして取り扱われることで、社会的な障壁はなくなり、誰もがありのままで肯定されることが真のバリアフリーであり、まさにノーマライゼーションの真髄だと言えるでしょう。

こうした趣旨もあって、私が性の多様性についての市民講座などでは、だいたいシメの言葉としては…

「性別」よりも、 ありのままのその人 を認め合えるようになれば、 すべての人が もっと生きやすくなるのでは

…というものを持ってきており、パワーポイントで映示する画面にも記述しています。

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この「ありのまま」は、社会の中で居場所を見いだせず希望を失うなどした人に対して、「自分らしく」だと自分らしさっていったい何だろうということで再び思い悩んでしまいかねないところを、そうやって自分らしさを模索して向上の努力をしているプロセスをも受けとめることができ、したがってあらゆる自己実現のための本人の取り組みを無意味化してしまうこともなく、「あなたは悪くない、あなたはそのままでいい」と伝えられる、非常に的確な言葉です。

同時に、当人にとっては、自分のそうした現状がそのまま認められ、人々の関係性の中へ迎え入れられるわけで、自己肯定に不可欠な考え方でもあるでしょう。


かような次第なので、「ありのまま」は、私は以前より重要なキーワードとして使っていますし、例えば講演会にマスメディアの取材が入った際などにも、実際にまとめられた報道では、この「ありのまま」の部分がクローズアップされたりすることが多いです。

例えば、2011年に沖縄話をさせてもらったも、地元紙の沖縄タイムスが、講演でのキーワードとして見出しにピックアップしています。

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同じくもうひとつの地元紙・琉球新報でも写真のキャプションに用いられています。

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さらには、2008年に和歌山県田辺市で話した際の地元紙でも、やはり見出しに「ありのまま」の文言が使われています。

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そもそも拙著『性同一性障害の社会学』(2006)からして、この「ありのままで」は重要コンセプトのひとつになっていて、最後の最後のまとめの204ページにも「“ありのまま”を認めあえる社会の形成は、より重要…」といったフレーズが見られます。

 


このように、私が「ありのまま(のその人が尊重される社会にしていくことが重要)」と、書いたり、講演で使ったりするようになったのは、昨日や今日のことではなく、少なくともかれこれ10年は言い続けていることになります。

そして、実際にこれがキーワードとなって、読者や聴衆の心に訴える効果もあったことでしょう。


ただ、そんな「ありのまま」。

今年・2014年の半ばから情勢が変わってきました。

私が講演会などで、この「ありのまま」を口にすると、会場が何やら「あらあら、佐倉先生ったら、ミーハーに流行語に便乗しちゃって~」という感じのビミョ~な雰囲気になるのです(^o^;)。

原因は……………

どう考えてもコレですね。

大ヒットしたディズニーアニメアナと雪の女王』!


 


 


もはや知らぬ人はいないかもしれませんが、なんとこの劇中歌『 Let It Go 』の日本語版歌詞のサビの部分が「ありのまま~♪」なのです。

そして、映画のヒットにともない、この劇中歌中のキーワード「ありのまま」もまた、ある種の流行語状態になったというわけです。
(惜しくも(?)大賞は逃しましたが、流行語大賞の候補にノミネートされたりもしていましたね)


……ぃや、決して悪いことでもないのです。

この『アナと雪の女王』劇中歌中での「ありのまま」の趣旨というのは、上述したものとおおむね一致しています。

『アナと雪の女王』のストーリーの主軸は、作中での「雪の女王」エルサさんが触れたものを凍らせてしまうという異能を持っているマイノリティであることが原因で引きこもってしまい、それを妹アナとの「真実の愛」を自覚することで超克し自己肯定していくプロセスとなっています。

これはさまざまなマイノリティの、例えばセクシュアルマイノリティが周囲から否定的に接されたことで心を閉ざしてクローゼットとなり、その後 自分を受け入れてくれる人との出会いなどをきっかけに自己肯定ができカミングアウトに至るような過程の暗喩として読み解くことが、じゅうぶんに可能です。

劇中歌『 Let It Go 』の日本語版歌詞も、まさにそういう歌であると解釈することもできる仕様となっています。

その意味では、この「アナ雪ブーム」は、従前より私が訴えてきた「ありのまま」の真髄が、大ヒット映画に取り入れられることで、より多くの人の間に浸透し、賛同を得たということでもあると言えるでしょう。

願わくは、これが流行語として一過性のブームとして消費されて終わるのではなく、末永く人々の心に刻まれるようにと思います。


   

 

ところで、今般のアナ雪ブームでは、私の周辺でも『アナ雪』を激賞する人が多々見られます。

『アナ雪』の評価ポイントは、ひとつは前述したとおり、マイノリティの社会的受容と自己肯定にスポットを当てた物語づくりがおこなわれている点。

そして、もうひとつはと言えば、お姫様が眠っている間にすべてを解決してくれるような白馬の王子様に頼るのではなく、女性どうしの親密な関係性こそが問題の解決をもたらすという点。
これは従来のディズニープリンセスものからすれば、180度の転換と言ってもいいくらいです。

そういったところを高く評価する人が、私の周辺に多いというのはある意味必然でしょう。

ところが、そうした人々のうち、少なからぬ割合が、アナ雪を激賞した返す刀で、日本の各種のアニメについて批判的に述べはじめることには違和感を禁じえませんでした。

つまり、しょせん日本製アニメなんてすべてオタク向けの下劣な萌えコンテンツにすぎない……ということなのでしょうか。

しかし当然それは、無知にもとづく偏見に過ぎません。

性的少数者をも含意した各種のマイノリティ(実際の作中では「超能力者」などに仮託される場合が常套)が描かれた作品も、女性が男性に頼らずに主体的に活躍する物語も、日本のアニメ作品には当たり前に存在します。

※とりあえず以下の記事あたりは、その具体例も含めて参考になるでしょう

 → 珠玉の深夜アニメ『花咲くいろは』

 → 新しい女性の生き方のロールモデルは海賊にあり!

 → 夏色キセキは逆転の発想の「女の子アニメ」

 → スマイルプリキュア最終決戦編に見た居場所の社会学

 → さらばドキドキプリキュア・愛の戦士たち

 → 桃子ちゃんの鬼退治


むしろ、そうしたジャパニメーションの影響を受けて、今般ディズニーでさえ「王子様を待つか弱いお姫様」像を排し「女同士の絆」を通じて課題が解決されていく物語に遷移せざるを得なくなった結果が『アナと雪の女王』だったのだとさえ言えるでしょう。

偏見で曇った目で物事を見ているがゆえに、ずばらしい内容を包摂したコンテンツ群を表層的にしか受けとめられず、物事の真相に気づくことができないせいで、酷いヘイトスピーチをそうと気づかずにしてしまうのは愚かしいことです。

しかも、そんな人々が激賞している『アナと雪の女王』作中でエルサさんを氷の城に引きこもらせてしまったものが、他ならぬ、そういった周囲の人々の無知にもとづく偏見そのものだったのではありませんか?

こうした経緯まで含めると、私としては、今般のアナ雪ブームには、どこかモヤモヤしたもの感じずにはおれません。


《補足》
ツイッターで随時述べていたこちらも参考にしてください

基本的には首肯する内容なのだが、やはり日頃から国内で相応にアニメをウォッチしていれば、なぜみんな突然アナ雪を見てはじめてコレを言うのかに違和感を覚えざるを得ない

同じようにマイノリティの自己肯定と社会的受容をテーマに描いているのに、日本製深夜アニメなど低俗なオタク文化に過ぎず、一方でディズニー映画は崇高な芸術、…なんていう多数派の思い込みに基づく偏見が透けて見えるから、このアナ雪ブームに対して私は胡乱な感じがするのかもしれない、もしかして

「ディズニーがやることなら間違いないだろう」的な安易な権威主義にマジョリティの権力性が結びつくことこそが、マイノリティに対する社会的抑圧を生み出す源泉なのだとしたら、アナ雪ブームなど笑劇に他ならないのでは?

私がこのアナ雪ブームにモヤるのは、アナ雪を激賞する人は、日本のアニメをよく知らず、その背後にはアニメカルチャーやオタクへの謂れのない偏見が垣間見えることが多いのですが、そうした種類の世間一般の偏見こそが、アナ雪劇中でエルザさんが心を閉ざし氷の城に閉じこもらせたものに他ならないから


あらゆる差別のはじまりは、ひとつ、不十分な情報に基いて、相手の実相をよく知らないまま、相手を「気味が悪いもの」「得体が知れないもの」と思い込んで忌避してしまうところにあります。

そのためにも、多様で偏らない情報に接するリテラシーを磨き、無知がもたらす偏見に取り込まれないようにすることは重要でしょう。

そうした基盤の上に立って、お互いが「同じ人間」として尊重しあえるようにしていくことが、すべての人が、相互に「ありのまま」を認め合える、真の共生社会につながるのではないでしょうか。


 


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