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「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

「男と女は違うから別々に取り扱えばよい」…で本当にいいの!? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

さて、お知らせブログのほうの記事に書いたとおり、先日甲南大学の授業に出講するのに、久しぶりにJR摂津本山駅経由で行ってみたのです。

そして機嫌よく授業を終えて帰ろうとした、その帰りのJR電車内で、エラいものに出くわしてしまいました。

私が乗った車両の車内広告がなんと………


 BL141218_01Women&Men.JPG


!!

    Σ(゚Д゚;)


なんとまぁ……、

【「性別」は《「女」と「男」》ではない

【「男」や「女」といった社会的属性には本質的な根拠はなく、人と人とのコミュニケーションの場において意味づけされ、そこでの相互行為のやり取りの際に解釈されることで有効化されているもの】

【身体の生殖機能にかかわる差異を「性別」にしてしまっているのもまた、社会が構成した「設定」】

【ひとりひとりの多様な性のありようは、じつは単純な男女軸では捉えきれないほど、複雑で混沌したもの】

……といった話をした授業の帰りにコレは、ちょっとダメージ大きいですねぇ(^_^;)


  


たしかに、この『察しない男、説明しない女』(五百田達成 2014)のような書籍の内容は、現実の社会の状況が、人を「女」か「男」かを指標に二分するという体制下にあり、その結果として双方が別々の生き物となってしまっている以上、ある種のコミュニケーションのためのハウツー本として結果的には有用になっている面も否定はできないのは理解できなくはありません。

実際にアマゾンのレビューでも役に立ったという旨が複数寄せられており、また売り上げ面を見てもニーズは高いことがうかがい知れます。

10年余り前にも『話を聞かない男、地図が読めない女』(Allan Pease,Barbara Pease,藤井留美[訳] 2001)が話題になったことは、いまだ記憶に新しいところと言ってよいでしょう。

その他にも類書は数多いようです。

しかし、はたして「現実への対処としては有用な図書のひとつ」と割りきって済ませておけばよいものなのでしょうか。

そもそも「男女」間で相互理解がいちじるしく困難となるほど両者が別個の性質の存在として分断され、激しいディスコミュニケーションが起きている状況は、はたしてどのようにして構築されているのでしょう?

そうした社会体制の一角では、まさにこうした「女と男はちがう」という前提に立脚して書かれた書籍(十歩譲っても、広告・宣伝などの場でのそうした前提を前面に押し出したプロモーション)もまた、その構造の構築と維持に寄与していることになってしまっているのではないでしょうか。

そうした言説が、くり返し叙述されることによって、「女と男はちがう」という価値規準が不断に再生産され続け、そうした社会秩序のもとで人々が行動し合うこととなり、その結果として「女と男はちがう」ようになってしまっている側面は非常に大きいのです。

その意味では、この『察しない男、説明しない女』のような本は、短期的には現実的な対処には役立つものである反面、長期的にはじつはその「現実」を生み出す原因のひとつにもなっているわけで、はなはだしくマッチポンプなことをしでかしていると言えます。

百歩譲っても、『察しない男、説明しない女』で紹介されている各種の指標は、たしかにそのように人をある傾向で便宜上2タイプに分けて考えれば、異なるタイプの人と接するときのヒントが得られるとしても、そのすべてを「男女」で仕切れるかのような誤読を誘うのは、やはり罪深いと言うべきでしょう。


また、最初の写真をよく見ると、撮影した場所が女性専用車両となっています。
(ちょっと画像では不鮮明ですが、向かい側のホームの電車にも当該車両が写っています)
※「てゆーか、オマエが女性専用車両に乗ってるのかよ」というツッコミはナシで Σ(゚д゚lll);

こうした鉄道など公共交通機関における「女性専用」というのは、やはり現実の社会のありようが男女二分的であり、そういう中で各種のパワーリソースが総体的には「男性」に多く割り振られている中では「女性」が被る不利益が少なくないことを抜きに評価することは慎まないといけません。

女性専用車両は、現状では「女性」が安心して乗車できることを保障する方策として非常に有効な現実的対処であり、有意義な取り組みであることは決して否定できません。

そこを難癖つけて「男性差別だ!」などとバッシングするのは不当であるとしか言えないでしょう。

とはいえ、あくまでもこれは緊急避難的な対症療法にすぎないのも事実。

本来は女性専用車両など必要がない社会状況にすることが抜本解決であるとすれば、その基盤は、人がむやみに「男女」で分断されず、同じ人間として対等に関係性を築ける環境に待つべきものであるはずです。

だとすれば、男女を分けておけば万事解決という発想は、目指すべき理想に対してはむしろ逆行してしまっている……ということも理解されなければならないでしょう。

したがって女性専用車両もまた、短期的には現実への対処として効果的である反面、長期的には原因を再生産してしまっているという視点は、もっと顧みられるべきなのです。

※女性専用車両問題については、導入が盛んになった2000年代初頭にも書いていますが、基本的にそちらの内容のほうも今なお賞味期限内と思われます。

 → 女性専用車両は問題解決の切り札か?

 → 暴走する女性専用車両、誰か止められないのか!? ←今見るとちょっと「釣りタイトル」ですね;


ちょうど先月には、「女子大に行きたい男性」についての報道もありました。

かいつまむなら、自宅から通えて、かつ学費も穏当な金額で、そして希望する「栄養士」の資格が取得できる課程が置かれている学校が「女子大」しかないのに、男性であるという理由だけで入学願書を受理してもらえないのは不当だというもの。

→「公立女子大行きたい」男性、出願不受理は違憲と提訴へ(朝日新聞デジタル)
 http://www.asahi.com/articles/ASGCF51QYGCFPPZB00N.html

→「女子大は違憲」? 福岡女子大へ入学希望の男性は裁判で勝てるのか(NAVERまとめ)
 http://matome.naver.jp/odai/2141603054837438101

→女子大に行きたい福岡県の男性の真相とその報じ方について(togetter)
 http://togetter.com/li/745963


この件について、私の観測範囲では、おおむねセクシュアルマイノリティ系の人は一定の理解や共感の姿勢であった反面、シスジェンダー女性にあってはフェミニズムの知見を相応に身に付けている人であっても(だからこそ?)難色を示す例が少なくなかったように思えます。

曰く、せっかくの「女性専用」と区画された安心して過ごせる領域に男性が入ってこようとするなんて! といったところでしょうか。

もちろん、「女子大」がつくられた歴史的な経緯などは無視できません。
現在なお、社会の男女二分構造における弊害が「女性」に多くしわ寄せされがちなことを思えば、大学を含めた女子校全般の意義は、今も健在であると言わざるを得なかったりもするでしょう。

それでも、この件もまた女性専用車両と同じく、何でも男女で分けてさえおけばよいというものではないのだとしたら、あらためて議論の俎上に乗せて、発展的な解決が図られるべきものではあるでしょう。

それに「栄養士」の資格が取れる学校に「女子」専用が多いというのは、そうした資格を要するような仕事を「女性役割」と決めつけて性別役割分業を強いる、ジェンダー化された社会秩序の反映でもあります。

その意味では、やはりフェミニストこそ、今般の件を機に「女子大」の意義を一面的な視点ではなく、ジェンダーをめぐる諸問題との連関で多角的に見ていくべきです。

フェミニズムが目先の「女性」の利得を因習的に固守するように見えてしまうのは得策でないのは言うまでもありません。


そんなこんなで、帰宅すると、今度は中学3年生にして高校受験を間近に控えた我が娘・満咲が、取り組んでいた英語の問題集を持って私のもとへやって来ました。

「この問題、意味がわかれへんねんけど……」

どれどれ~?


 BL141218_02EnWord.JPG


こ、これはっ!!

   (´゚д゚`)アチャー

………まぁ、こういうことにいちいちツッコミを入れていたのではキリがないのも、この世界の実状です。
「ここは戦うところではない」と割り切って「素直に」解答するのが、この場合は最善でしょう。

しかし、たしかに、はたして「女」と「男」は、本当に【対】なのか!? という疑念は拭いきれるものではありません。

佐倉満咲さんとしては、そのあたりの出題のポリティカル・コレクトネスについて疑義が生じるのを禁じ得なかったわけですね。

いやはや、心強いっちゃー心強い(^^)


ちなみに余談ながら、ここだけの話、甲南大学にかんして、本当に見てはいけないものを見てしまったのは、じつはコレ;

 BL141218_03ForM.jpg


  ( ゚д゚)ポカーン

(たぶんセクハラの相談をしたい教員を学生が探すときなどには有用な項目だったりするんでしょうが……)




 


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コメント 3

森田 花菜

初めてまして。ジェンダーに関する記事に興味があり佐倉さんのブログにたどり着きました。実は、たまたま見たブログhttp://blog.livedoor.jp/gelusan/archives/20151115/1421457.html
がなぜか不快で、なにが自分でも納得できないのか分からずにもんもんとしていたころ、佐倉さんの記事を拝見して、なる程ととてもスッキリしました。わたしは「男とはこういう生き物だから」「男を育てるのが良い女」とか銀座で通用しても、家庭に当てはめるのはフェアじゃないと感じていました。夫婦は家庭内で対等なパートナーであるはずなのにちゃんと「男として扱って」あげていないせいで話し合いに応じない夫について、男と女論で論じるべきじゃないと憤っていたのでした。佐倉さんありがとうございました。
by 森田 花菜 (2015-11-25 16:28) 

tomorine3908-

森田さまのコメント(ありがとうございましたノ)興味深いです。
男女二分構造には疑問をさしはさまず、その基盤を引き受けたうえでのハウツーを語るか、男女二分の構造自体にメスを入れるか。
前者のスタンスを便宜上採用する場合も、わかったうえで戦術上の選択であることを忘れないようしたいですね
by tomorine3908- (2015-11-26 16:18) 

森智裕

初めまして。アニメサロン板での紹介されていたのをきっかけに佐倉さんのブログにたどり着きました。
「男と女は違う」という価値基準、男女の分断は、裏を返せば「男は、女は皆同じ」「男なら、女なら分かってくれる」という思いこみの再生産にもつながっていると思います。
ネットでも、あるいはそうでないところでも、その手の言説を見かけがちだと思います
例えば、近年注目されてきた母と娘の問題等にもこの「思いこみ」が根にあると思います。


by 森智裕 (2016-01-23 15:03) 

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