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フェミとクィアの呉越同舟もしくは同床異夢 [多様なセクシュアリティ]

今日のクィア理論が、多年にわたるフェミニズムの成果に立脚していることは疑う余地がありません。

前記事のような「ジェンダー」の理解のしかた等々も含めた、現在におけるジェンダー論の大系もまた、フェミニズムが、その起源以来積み上げてきたものそのものに他ならないと言ってよいでしょう。

巷間にはフェミニズムに対する誤解も流布していて、その最たるものである「フェミニストは男を敵視したコワいオバサンの集団」などという一面的な認識は、現実とは相当な乖離があります。

また、フェミニズムは一元的に組織化されていたりはしませんから、ピラミッド型の組織のトップが「フェミの全て」を掌握していたりするわけでもありません。

なので、フェミニストと一口に言ってもいろんな人がいるし、アンチフェミニスト諸氏がひとくくりに「フェミの連中が……」などと名指すほどに、一枚岩の集団なわけでは決してありません、ありえません。

そんな中でのフェミニズムの最大公約数とも言える基本コンセプトはといえば、やはり、この社会の 人を「男か女か」で分かつ【構造】において、各種の権力リソースが「男」の側により多く配分される不均衡がもたらす諸問題を「女」の視点から問いなおすこと――。

したがってフェミニズムにとっての「敵」はあくまでも、それによって男も女もともに特定の生き方を強いられて抑圧を余儀なくされている【社会の構造】です。

「男はみんな敵」なわけではないし、「女性の利益が最優先」でもない。
そうであるかのように誤解を受けやすい言論や運動があったのなら、その点においてのみ批判されれば済むことでしょう。

そして、そんな社会の男女二分構造(のもとでの「男」の側への権力リソース集中)と分かちがたく結びついているのが異性愛主義であることもまた、すでにフェミニズムは解き明かしています。

その意味――男女二元的性別制度と異性愛規範の批判的な問い直し――では、クィア理論とフェミニズムは、もとより一体的であり、相互に利害が一致しているのも必然でしょう。

ただ、個別のケースにおいては、両者が必ずしも一致できない局面も ままあるのが現実です。

そうした事例を前にすると、フェミニズムとクィア理論の、あるいはフェミニストとセクシュアルマイノリティなどの各種のクィアとの間の関係性は、もしかして呉越同舟、もしくは同床異夢なのでは!? と思えてしまったりもしないではありません。

そのような場合、はたして何が両者の利害を対立させていて、それを超克するにはどうすればよいのでしょうか?


例えば、いまだ記憶に新しい(てゆーか記憶を風化させるべきではない)東日本大震災に際した2011年3月13日付の記事「大災害と非常時弱者」でも述べたのですが、このような災害時における避難所の運営などは、どうしても「屈強な男性」のリーダーシップに則っておこなわれがちなために、各種の「非常時弱者」へのきめ細かな配慮がおざなりになりがちです。

プライバシーが通常より制約される避難所生活では、セクシュアルマイノリティ、とりわけトランスジェンダーにはクリティカルな問題も起こります。

そうしたことも想定された上で避難所の運営に何らかの配慮があれば、大いに助かることになるでしょうし、典型的なところで言えば、トイレなどが必ずしも男女別に厳格に分けられておらず男女兼用バリアフリートイレが潤沢に設定されることは、切に望まれる点でしょう。

一方このような場合、女性全般に対しても配慮が必要な事項というものはいろいろあります。

残念ながら、こうした避難所生活においても、性犯罪の被害に遭う心配をしないといけない負担は、女性ジェンダーを生活する人により過重にかかっています。

そういう事情は、しっかり斟酌されないといけません。
男性ジェンダーの生活者の多くにとっては実感の湧かない事柄だからと軽視したりせずに想像力を働かせないといけないところです。

そして近年は、まがりなりにもこうした主張が通り、いくばくかの対応がなされるようになってきたのも、長年にわたるフェミニズムの努力の成果と言ってよいでしょう。

ただ、そうした結果、訴えられる要望のひとつが、トイレなどをきっちり男女別にしてほしい――。


あらら


(゚д゚)!


……………。

こうして、形の上ではフェミニズム側とクィア側で主張される要望が真っ向対立するという事案がひとつ出来上がってしまうわけです。

くり返しますが、根源的な「共通の敵」は、人をむやみに男女で二分する社会の構造です。

ただ、災害時のギリギリの状況下では、それぞれの最低限の要求が、表面上は正反対になってしまっているだけなのです。

実際、この点をどうすり合わせるのかについては正解はなく、個々の現場で対応を心がけるしかないのですが、その際にも、「性別」を基準にむやみに対立せずに、異なる立場に対する想像力を働かせて互いに慮っていく態度が重要なのはもちろんでしょう。

◎上述の「大災害と非常時弱者」の続編記事である2011年3月19日付「避難所のセクシュアルマイノリティ問題が進展」からもリンクして紹介していますが、日本の代表的 フェミニズム ポータルサイト とも言える【WAN ~ウィメンズ アクション ネットワーク】のwebサイトでは、東日本大震災当時に「被災地におけるセクシュアル・マイノリティへの対応に関する要望書」の転載紹介がおこなわれています。
この事実は、フェミニズム側とクィア側で前線では利害対立的になりがちな課題であっても両立的に解決を目指して協調できる可能性を示すものと言えます。


もうひとつ。
フェミニズムとクィアの間で対立的な意見が立ち現れる個別局面として典型的な別の例、それはいろいろな表現物における性表現にかかわるイシューでしょう。

各種のポルノグラフィに対する法規制をめぐる議論であったり、もう少しカジュアルな日常の範囲において目に触れる、例えば水着グラビアなどへの是非なども該当しますね。

もちろん、このテーマは複数の軸線が入り乱れて賛否が輻輳しているので、もっぱら「フェミとクィアの呉越同舟もしくは同床異夢」と捉えるのは、他の要素を捨象する危険もあります。
そもそも、最初に述べたとおりフェミニズム側だって一枚岩ではなく、それと同様にクィア側にもまた多様な考えの人がいます。
単純に括れないことには、じゅうぶん留意しないといけません。

(→参考「ポルノ表現規制の対立は世界認識のリアリティの相違に由来した!」)

それでも、この案件におけるフェミニストと セクシュアルマイノリティなど各種のクィアとの間での ベクトルの相違は、大枠としては主要な軸線のひとつと見てもよいでしょう。

上述したとおり、日頃から性犯罪への不安を余儀なくされたり 実際に性被害を体験したりもする「女性」の側の生活実感からすれば、たとえフィクションの表現物中であっても、過激な性表現にはセンシティブにならざるをえないこともあるのは理解されるべきことです。

反面、フィクション表現ならではのさまざまなシミュレーションを通じて、多様なセクシュアリティを探索し、以て自己肯定につながる可能性もありうるクィア側の事情もまた、否定されるべきではありません。

これもまた「 男 vs 女 」の構図に陥ってしまっては対立が深まりこそすれ解決が近づくことはない性質の問題ですから、それぞれの立場の事情を持ち寄り、対話を重ねることで、誰もが疎外されずに性的に満たされる世界の実現を目指していくほかはありません。

そして、ここでも示唆的な考察がフェミニズムの立場から出されているのを見つけることが可能です。

WANのサイトに掲載されている荒木菜穂さんによる[ それでもやっぱりフェミニズム~「排除されてない感」の先にある「つながり」への、心地よい面倒くささと希望 ]。

これは、たしかに表向きはフェミニズムに引きつけて書かれています。
しかしここにある「排除されてる感」/「排除されてない感」というのは、むしろ「女」の問題以外の多方面――ここで挙げた件に即せば、トランスジェンダーや同性愛者、あるいはオタクや障害者の性など――にも適用可能であり、特定の誰かをソサエティの外部に放逐することで内部領域の安寧を得る方法とは異なる、真に誰も犠牲にしない問題解決のための、ヒントになる概念ではないでしょうか。

個々の事例での利害の対立に囚われるのではなく、常に全体を俯瞰する視点をもって、自分たちに不利益をもたらしている本当の「ラスボス」を見ぬき、無益な代理戦争をさせられることなく、全員が幸せになれる最適解を探すことは、この時代、私達がますます心がけていかねばならないことにちがいありません。


   


 


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しいたけ893

全体が良くなるようでもその中のいずれかがより得をするとなると他から反感を買うのは当然です。フェミニズムに関しても他の「なんとか」ニズムでも良い訳です。他の方面の問題をメインとしてもこのような問題は解決できるでしょう。
フェミニズムが


’’ 
  社会の 人を「男か女か」で分かつ【構造】において、各種の権力リソースが「男」の側により多く配分される不均衡がもたらす諸問題を「女」の視点から問いなおすこと――。
’’

とすると当然一番得をするのは「女」になる。たしかに長いスパンで考えればその他の問題も同じところまで追い付くかもしれないが、真っ先に得をするのは「女」となる。
そうなるならば他が納得いかないでしょう。
 さらに女の視点から問い直した場合は男側が不利になる場合もありえる。片方から見ると平等なこともももう片方から見ると不平等なこともあるでしょう。本来ならば両方の視点が必要になるはずなのに。
by しいたけ893 (2017-03-26 19:14) 

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