So-net無料ブログ作成
検索選択

◎執筆・講演のご依頼はお気軽にお問い合わせください◎
メール案内ページ
「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

[番外:セーラームーン先輩の当惑とビビッドレッドオペレーションのお尻問題]プリキュア時代の「男の子アニメ」の困難 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

というわけで、プリキュアシリーズの興隆にともない、いわゆる「男の子アニメ」ジャンルの作品も各種の影響を受け、さまざまな革新が必要になっている様子を見てきました。

そしてそれは当然「女の子アニメ」の範囲内においても同様に言えることかもしれません
(正確には、「女の子アニメ」「男の子アニメ」という区分自体が無効化し、汎ジャンル的に相互作用が起きているのでしょうが、一連の本稿ではあえてジャンルを区切って述べてきました)

昔ながらのラストで「王子様と結ばれて幸せ」というようなオーソドックスすぎるプリンセス譚などは、今どきディズニーだって作りません
(ここ最近で言えば『アナと雪の女王』の相当な捻られ方がけっこう話題になっています)

そうでなくても、主人公の女の子にどのようなパワーリソースを付与し、いかなる課題を解決させていくのか、そのバリエーションはますます広がっていると言えるでしょう。


さて、そんな中で、元祖「女の子が自分で変身して戦う話」とされ、プリキュアシリーズから見て東映アニメーションで直系の先輩にあたる、『美少女戦士セーラームーン』の位置付けは、今日どうなっているのでしょうか?

ある意味では「プリキュア時代の困難」に「男の子アニメ」以上に直面する作品だとも言えそうです。

実際、セーラームーン20周年プロジェクトとしてセーラームーンの新作アニメが制作されることとなったものの、その公開は再三延期され、ようやく来たる2014年7月からニコニコ動画での配信が決まったところです。

理由は本当のところはいろいろあるのでしょうが、プリキュアシリーズが堅調な中で営業的にはわざわざ制作にリソースを割くインセンティブが東映アニメーションになかったからではとか、公開がネット配信のみでテレビ放送されないのもプリキュアの存在が遠因では?? …といった邪推は不可能ではありません。
たしかにテレビ放送枠という面では『聖闘士星矢Ω』の後番組というスッキリちょうどいい地位があったはずなのに、そこへ充当されなかったのは、やはり2時間後のプリキュアとのかねあいが理由だと言われれば、その真偽のほどにかかわらず、なんとなく説得力があるのは認めざるをえないでしょう。

『セーラームーン』旧作の功績は多大なものがあって、これがあってこそ「女の子だって変身して戦っていい」ということが人口に膾炙しました。

女の子主人公が主体的に何らかの力を持って自分で課題に立ち向かい成長していく物語の数々が以後つくられていくうえで、その地ならしの効果は絶大だったことでしょう。

また、男性との恋愛に回収されることなく複数の女の子キャラどうしが仲間として友情を紡ぎ親密性を育んでいく描写の嚆矢でもありえました。

加えて、変身や必殺技のバンク演出の定石を示し、「カワイイ女の子がかっこよく変身して戦う」様子を爽快に描写するための、アニメ表現上の基本メソッドを確立した点も評価すべきかもしれません。

とはいえ、プリキュアが10年間シリーズを重ねてきた今日、視聴者がソレを見慣れてしまった現時点の感覚で『セーラームーン』旧作を見直してみると、どこか物足りない感覚は禁じえません。

むろん、今日のデジタル制作と比べれば画面がもっさりしてる、とか、第1話のプロットも改善点が多々見つかったりするというのは、しょうがない面もあります。

しかしそれでも、主人公の「月野うさぎは、ちょっとドジで泣き虫だけど、元気いっぱいの中学2年生の女の子」という設定は、今となってはものすごく捻りのないプリミティブすぎるパラメーターに感じます
(そりゃまぁ『ドキドキプリキュア』の相田マナさんのプロフィールのほうが捻られすぎてるってのもありますが)

ストーリーの進行とともに謎が明かされていくのにともない、結局は旧来の「お姫様と王子様の物語」をかなりシンプルに引き写していることも判明します。
要するに、タキシード仮面との恋愛要素を含めて、話の大枠は守旧的な「女の子アニメ」の域を出ていない部分が意外と大きいわけです。

それを象徴するのが主題歌で、「ごめんね素直じゃなくて……思考回路はショート寸前……だって純情どうしよう」「占う恋の行方……ミラクルロマンス♪」という歌詞(作詞:小田佳奈子)は、つまるところ恋愛ソングです。

「可愛いだけじゃないのがガールズの約束」「君を信じる、ために戦う。無敵な 優しさ あつめて」と力強く歌うドキドキプリキュア主題歌(作詞:藤林聖子)などの歌詞と比較すると、かなり頼りない印象は否めないでしょう。

旧作のこうした点をきちんと総括したうえで、今般の『セーラームーン』新作アニメを、今日のプリキュアシリーズと見比べて遜色ない、それらを凌ぐ内容にしっかりリメイクするというのは、じつは『宇宙戦艦ヤマト2199』以上にハードルが上がりきっていると言っても過言ではないのかもしれません。

さしあたり、7月の配信開始を見守りたいところです。

(2014/07/14)
新作『セーラームーンCrystal』ついに始まりました。
が、あくまでも「個人の感想です」ですが、端的に言って「がっかりした!」です。
主題歌「MOON PRIDE」だけは、たしかに今の時代に合ったものになりました。旧アニ「ムーンライト伝説」の問題点を改善し、2003年実写版主題歌「キラリ☆セーラードリーム」と比べても、より踏み込んだ歌詞に進化してます。脱「王子様を待つだけのか弱い女子」!
しかし第1話本編のストーリーラインは旧アニ第1話とほぼ同一で、本当に「画面がキレイになっただけ」。いゃそのデジタル画質の「画面」も、原作により忠実になったキャラクターデザインの絵柄とあいまって、むしろよけいに全体の「古さ」を目立たせる結果にも…?
例えば、学校のシーンで「廊下に立たされる」のも、今どきリアリティのある描写なのかギモンです。それこそ20年前の時点ですでに「一昔前はこういうこともあったらしい」くらいの認識なのではないでしょうか?
聞けば「原作に忠実なアニメ化」が目指されているとのことですが、それでも2014年の新作アニメとしての矜持はもう少しほしいです。むしろ旧態依然とした内容を改めないままの状態で今の時代に放り出すほうが原作への冒涜です。
何より良くないのは、うさぎちゃんの初変身がルナに言われるままに自室でとりあえず……な点。コレはマヌケだし視聴者も燃えられないです。「友達を助けたい!→その強い思いに不思議な力が応える→変身!」でなければ本当に主人公の主体性が描けてることになりません。
旧アニ当時は、この展開の穴も「女の子が自分で変身して戦う」ことの画期的さと相殺できたのかもしれません。でも、すでに人々が例えばスマイルプリキュアやプリキュア5の第1話を知っている今では通用しません。
スマイルプリキュアもプリキュア5も、第1話はドジで泣き虫で勉強は苦手な主人公の遅刻しそうな登校シーンから始まり、その途中で妖精と出会い、その後いろいろあって初変身→戸惑いながらも戦って敵を撃退…という基本プロットもセーラームーンと共通しているので比較しやすいのですが、各主人公みゆきものぞみも確固たる意志をもって襲ってきた敵と対峙していて、ソレにプリキュアの力が応えることで初変身という形になってます。
だからこそ、主人公として自分はこうしたいんだという明確な主体性の描写にもなっているわけです。対照的にうさぎちゃんはほとんど何も自分で考えていないことになっちゃってるのです。
その意味では「Crystal」よりも11年前の2003年実写版のほうが適切な改変をキチンとしているという点で健全な進化形となっているとさえ言えるでしょう。
2014年の新作アニメが「これでいい」とするのは、あまりにもおざなり。いわば「今の時代にも見劣りしない内容にしっかりリメイクするには上がりきっているハードル」、その1コ目を、せめて盛大に蹴り倒すくらいさえすることなく、あろうことか堂々と下をくぐってこられた感を禁じえません。
(2014/07/14)


※【参考】美少女戦士セーラームーン20周年プロジェクト公式サイト
 →
http://sailormoon-official.com/


  


一方、この「プリキュア時代」ならではの、いわば「ジャンル・プリキュア」とでも呼べる作品群のほうは、どんな具合なのでしょうか。

例えば『輪廻のラグランジェ』がプリキュアをロボットアニメに置き換えた内容だとはすでに指摘しましたが、より典型的な近例としては、まずは『戦姫絶唱シンフォギア』が挙げられます。

 BL140507SpG.JPG


そして『ビビッドレッドオペレーション』。

 BL140507VrOp01.JPG


両作品とも深夜アニメですから、関連商品等の対象者がプリキュアシリーズのように直接的に幼い女児というわけではない点が異なりますが、内容は、まぎれもなくプリキュア的コンセプトを取り入れています。

そしてきちんと勘所を押さえつつも、深夜ゆえに、昼間のアニメなら受ける制約がない分、より挑戦的なつくりになっている部分だってあるのです。

『シンフォギア』のように戦いを指揮する政府機関の秘密基地が学校の地下に作られていたりするのは、女の子主人公の作品ではやはり斬新です。

科学者である祖父の発明品のパワーで、その孫娘である主人公が変身する『ビビッドレッドオペレーション』なら、[ 科学←→魔法 ]軸線が大きく科学寄りに振れています。

警察や自衛隊との協力・共闘のような描写には賛否両論あるかもしれませんが、その作品世界のリアリティの構築に一定の効果を上げるという側面は否定できません。

いずれにせよ、さまざまなバリエーションが試みられることで、作品群の中での多様性が広がっていくのは悪いことではないでしょう。

ただ、「深夜番組ならではの制約のなさ」というのは、特定のニーズ向けの「サービス」もふんだんに盛り込まれるところともなります。

プリキュアシリーズでは禁じ手となっている水着や入浴シーンも逡巡なく描写されます。

このため「ジャンル・プリキュア」作品群にあってさえ、いわゆる「男目線による女性キャラクターに対する性的消費」という問題とは無縁でいられません。

むろん、例えば入浴シーンというのも、結果的には「サービス」として機能するにせよ、いっしょに入浴する女性キャラどうしが「裸のつきあい」を通じて親密度を上げるプロセスであるという、作劇上の意味がある(この下の画像も、入浴中に右側の少女の身体に目立つアザがあることを知った左側の少女が「アザぐらい誰にだってあるよ! 気にしないで無問題!!」と自分の蒙古斑を見せようとお尻を突き出している……という場面であり、入浴にも左側の少女のポーズにも、描写として合理的な必要と必然がある)場合が普通です。

 BL140507VrOp02.JPG

またたとえ「サービス」シーンが一切なくても、単純にそれによって性的消費の視線が抑止できるわけでもないでしょう。

例の『宇宙戦艦ヤマト』旧作でのアナライザーによる森雪へのスカートめくりのように、もっぱら女性キャラを男性の性的対象としてのみの存在に貶めた価値観が作中にビルトインされていた時代に比べれば、少なくとも現在では作品世界の内部においては、相当にセンシティブな考慮がなされているほうがデフォルトです。

したがって、深夜アニメの中の「サービス」シーンに対して過剰反応を示すことは、注意深く戒められなければなりません。
これら、作品の中の性的表現の問題は、いろいろな要素が複雑に絡んだものですから、この場ではすべて考察しきれませんが、この点はまた追って取り組んでいきたいと思います。

しかし、それでも『ビビッドレッドオペレーション』の「お尻描写」に関しては、いささか過剰だったのではないかという思いが拭えません。

はたして、ここまで執拗に「お尻」にこだわった画面構成が必要だったのでしょうか?

 BL140507VrOp03.JPG

繰り返しますが性的な要素が作品に含まれること自体が直ちに悪いとは思いません。

しかし「お尻」はジャンルもタイトです。
どこか監督のフェティシズムに付き合わされたような気分が残ります。

身も蓋もないことを言うなら、べつに作品内に直接そういう描写がなくったって、見る人がいろいろ自由に妄想することはできます。
それを「2次創作」で再度作品化することだって可能ですし、そうした作品が発表され、見たい人がそれにアクセスする道も、今日では容易に確保されています。

そうした点も計算に入れて、『ビビッドレッドオペレーション』という作品について、より幸福な形で世の中に送り出すにはどうしたらよかったかを考えると、むしろ「お尻描写」は封印したほうが、その結果「土曜の朝の1年もののアニメ」としての制作が可能になり、より多くの人にこの作品の良さを知ってもらえたのではないでしょうか。

 BL140507VrOp04.JPG
§画像は放送画面より。この一連の記事中同じ

「お尻描写」だけが豊満に肥大した結果、『ビビッドレッドオペレーション』の評価がそのことに矮小化されてしまうのは、残念でなりません。

  


 


コメント(6)  トラックバック(0) 

コメント 6

ボブテール

お久しぶりです。
セーラームーンに関する考察、拝見いたしました。
僭越ながら、反論まじりの内容になってしまいますが…。

佐倉さんは主人公・月野うさぎのパラメーターが捻られていないと
おっしゃっていましたが、ああいうドジで泣き虫な性格の女の子が
ヒーローの力を手に入れて皆を守れるように成長するというストーリーに
カタルシスを感じていた者としては、そこを否定されると何だか寂しいです。

正直に言うと、パラメーターが捻られていた相田マナには私個人としては
いまいち共感できませんでした。(ファンの方々ごめんなさい;)
マナのような志が高く、完璧な人間はプリキュアの力を手に入れずとも
完成されているので、わざわざ主人公に据える必要が無いのではと、
つい思ってしまっていました。これはマナが男でも感じた事だと思います。

相手役のタキシード仮面との関係性も、「守る男と守られる女」という
構図を打ち壊してくれたという点で当時は画期的に思えたものです。
ここの所は「ハピネスチャージ」の恋愛要素でもぜひ受け継いでほしい所です。
(別に男女の恋愛じゃなくてもいいじゃないかという意見もあるでしょうが、
数あるバリエーションの中に異性愛もあるという風に考える事もできると思うし、
プリキュアシリーズならそう描いてくれると信じています)

でも女の子が主体性を持って戦う、女の子同士の仲間としての友情、これらを
浸透させた功績を評価してくださったのはとても嬉しく思いました。
セーラームーンを見て育った者としては感無量です。

何だか反論まじりと言いつつもほぼ反論になった気がしますが、
これで失礼します。戯言に付き合っていただきありがとうございました。
by ボブテール (2014-05-12 19:22) 

tomorine3908-

ボブテールさま、コメントありがとうございました。

ボブテールさまのコメントにありますように、セーラームーン旧作に思い入れのある方にあっては否定されたような印象をお持ちになってしまうやもしれません。
が、もちろん旧作をリアルタイムで見たときの感動を否定するものではありません。
そのあたり誤読のないように表現を吟味し、かつ相田マナの名前も、これはさすがに10年目のプリキュアだからこそ企画会議を通り得たバリエーションとして、例外性の高い点を強調したつもりなのですが、やはり文章を的確に書くのは難しいですね。
あくまでも、そんなふうに様々なバリエーションが広がった今日から振り返ったときに気になる点を挙げて、以てリメイク上の留意点として新アニに活かされればいいなぁという主旨です。

恋愛要素は、制作側が「恋愛は男女!」かつ「男女なら恋愛!」といった短絡的な発想に陥らずに、いろいろな「人と人との親密な関係性の形」を俯瞰的に認識したうえで、ひとつのパターンとして男女の恋愛が出てくるんなら、たぶんイヤラしい感じはしないんだと思います


ちなみに、本記事は「まどマギ」や昨今のアイドルアニメの数々については追いきれていませんが、さしあたりはご容赦いただけると助かります。


by tomorine3908- (2014-05-14 02:16) 

さびねこにゃ

性的対象として消費の側面ですが、最近の深夜アニメでは腐女子向けのサービスを大々的にやっているアニメもあります
薄桜鬼 黎明録や緋色の欠片といった乙女ゲー原作のアニメではさすがにありませんが、freeeや黒子のバスケでは着替えシーンもありますし、腐女子が好みそうな部分をドアップで出したものとかあります
あと、フェミニストから評判が悪いタイガーアンドバニーでもそこら辺はありますし、革命期ヴァルブヴレイブ・バディコンプレックあたりでも、腐女子向けのサービスシーンがあったりします
性の消費対象になっている男性はどんな女性でも受け入れ入れる寛容さがあるので女性ほどは騒いでいませんが
by さびねこにゃ (2014-06-22 22:46) 

tomorine3908-

さびねこにゃさまのコメント、有益な情報ありがとうございます。
ワタシはどうしても【百合】のほうが趣味と実益を兼ねる(苦笑)ので、狭い意味でのいわゆる腐女子向けはチェックに手が回ってないのですが、まぁ昨今はいろいろありますし、ヴァルブヴレイブやバディコンにまでそうした描写があるのなら、そのあたりの男女非対称性はかなり緩和されてきているということになりますねー
by tomorine3908- (2014-06-25 01:26) 

七紙乃権兵衛

コメント失礼いたします。
セーラームーンは旧作の時に面白さを追及する東映側とあくまでも原作の通りに進行しろと語る原作側で大きな齟齬がおき、最終作セーラースターズではスタッフを一新しなければならないほどに揉めた上東映に嫌気がさした原作者・武内氏がセーラームーンの権利すべてを買い取ってしまったという話があります。

だからあくまでも、原作の通りかつ原作の時代背景に乗っ取って話を進めること、ついでに当時と同じ時間に放映することは原作側の希望でありアニメ製作スタッフの手落ちではないと思います。
スーパーバイザーとして当時のなかよしの武内氏の担当者様が名前を連ねているのはそういうことなのでしょう。
あなた様のお嫌いなスイートプリキュア♪のスタッフが名前を連ねているために思考にバイアスがかかってしまっているのではないでしょうか?

あくまでも当時のファン向け。
東映・バンダイとしては原作側から許諾が降りた旧作の関連グッズで稼げばいい。
そういう企画です。
それに対し古臭いだなんだと文句をつけるのは非常にナンセンスと言わざるを得ないと思います。
by 七紙乃権兵衛 (2015-05-30 07:18) 

tomorine3908-

七紙乃権兵衛さまからもコメントいただきました。
(ありがとうございました)
ご指摘のセーラームーンクリスタルについての追記部分は、1話を見ての直後の感想です。ツイッター等でのやりとりを経て、今回は原作どおりに作る方針であることなどは、後に確認しております。また、スイートプリキュアとスタッフが一部重なる点も、この時点では特に考慮に入れておらず、後になってから「やっぱりワタシの好みとは相性が悪いのかも」と思うにとどまっています。
そのうえで、原作や旧作アニメに思い入れを持つ人が、こういう作品を望むのであれば、それはそれであってもよいし、そういう人たちの原作や旧作アニメへの思い入れ自体は決して否定されるべきではないとも思います。
本文にあるとおり、原作や旧作アニメが1990年代において果たした役割もまた、今なお大きいものとして評価すべきなのは言うまでもありません。
しかし同時に、原作や旧作アニメに特段の感情を持たない人間がセーラームーンクリスタルをこの2010年代に観たときに、古くさい、今やる意味あるの? という感想を抱くこともまた止められません。このあたりはあくまでも自由な「個人の感想」の範疇になるでしょう。
そして、セーラームーンクリスタルが、東映アニメーションの制作リソースの一定量を専有しているという観点から見れば、やはり社会的な意義の高さもまた考慮されるのは避けられません。セーラームーン原作や旧作アニメに思い入れのない層が見ても、「こんなのを作ってるくらいのリソースがあるなら『ハピネスチャージ プリキュア』のクォリティを上げてよ」とか「それよりリメイクなら『ふたりはプリキュア Splash☆Star レインボー(仮題)』が観たい。満と薫が正式にキュアブライトとキュアウィンディになるやつ!」なんて思われることがないよう納得させられるだけの作品づくりは、やはり必要だったのではないでしょうか。
その意味では、これも本文で触れましたが、2003年の実写版セーラームーンは的確なつくりだったと感じます。


by tomorine3908- (2015-05-30 17:15) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。