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「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

学際領域におけるジェンダーやクィア知見の理想と現実 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

フェミニズムクィア理論といった分野に長く身を置いていると、いわゆるジェンダーやセクシュアリティにかかわる相応に先進的な考え方であっても、ある種の慣れが生じて、特段のラディカルさも感じなくなったりはするものです。

その感覚からすると、じつはまだまだ世間一般では主流である性別二分的異性愛主義的な考え方のほうが、むしろ前時代の遺物に思えてしまうので、それゆえたまに、そのギャップをあらためて実感する機会には、いささか慄然としたりもすることになります。

特にそれが、実際に自分が扱う分野でありフェミニズムやクィア理論と親和性が高いはずの社会学から見た、その学際領域・隣接分野、または何らかの近接テーマからの報告だったりすると、若干ショックだったりもしないではありません。


例えば、甲南学園の広報誌『甲南Today』43号(2013年3月号)には「子育て10のポイント」という特集記事が組まれていて、育児当事者世代の興味関心に応える誌面づくりがなされています。
そのこと自体は望ましい取り組みだと言えましょう。

ただ、その中に甲南大学スポーツ・健康科学教育研究センターの先生の筆による子どもの「性差による特性」をふまえるべしと訴える項目があるのはいかがなものでしょうか。

大意としては、「男児と女児では行動や性格が異なるようだ」「男の子は積極的・女の子は慎重派に思える」「幼稚園教諭へのアンケート調査でも同様の結果」「だからこれらの差異を個人の個性ではなく、まずは性差として捉えることが肝要」という論旨展開になっています。

しかし、誌面における原文の限りでは、これらは予め内面化したジェンダーバイアスに影響された印象論をもとに「はじめに結論ありき」で男女差というものを措定し、幼稚園教諭へのアンケート調査結果というデータを都合よく使って、科学的根拠を仮構しているにすぎません。

ある程度の傾向の差異が、「男女」と相関するように見えたとしても、それをもって「男女」という性差を絶対化することには慎重であるべきです。

生まれ持って付与される自分では選択できない属性によって他者からの扱いを変えられてしまうというのは差別に他なりませんし、ともすれば個人に対する個性の否定にもつながることです。
それが当人の社会的アイデンティティの危機をもたらすことも往々にしてあることを考慮すれば、この「男女」という指標で安易に人を二分することは人権の観点からも大いに問題があるでしょう。
いわゆる「性同一性障害」の当事者がマイノリティとしての抑圧を感じる風潮も、こうした構造上にあることは、もはや言うまでもありません。

また、幼稚園教諭へのアンケート調査結果と言われれば、科学的で客観的なデータと思わされがちですが、幼稚園の先生方自身が何らかのジェンダーバイアスを内面化していて、最初から「男の子・女の子」を色眼鏡で見た上での印象をもってアンケートに回答している可能性も否定できません。
そのようにして得られたデータを、自論に都合のよい部分を都合のよい形で利用するのは、2重3重にバイアスのかかった結論を導くことには、(私自身がこれを他山の石とすべきことも含めて)研究者は自覚的であるべきではないでしょうか。

そうして、「男女」という社会制度を維持するために架空されているさまざまな言説の再生産に加担することによって、自分が何かに与してしまうという危険性についても、それぞれが自分の立ち位置を俯瞰し、自らの研究成果が望まぬ形で政治的に利用されたりしてしまわないよう、注意を払っていく必要があります。

甲南学園の広報誌でこのようなことがあったというのは、私も今年度(2013年度)は甲南大学非常勤講師という肩書きを頂戴している中で忸怩たる思いがあるのですが、まぁさしあたり本件については、そんなわけなので微力ながら自分の授業を通じて補正をかけることにしましょう。


  


一方、これと相前後して、とある知り合いから連絡がありました。

なんでも、水野紀子「性同一性障害者の婚姻による嫡出推定」なる論文(松浦好治・松川正毅・千葉恵美子編『市民法の新たな挑戦(加賀山茂先生還暦記念)』信山社 601-629頁(2013年1月))にて、拙著『性同一性障害の社会学』についての言及があるものの、それが甚だ不本意な形だということなのです。

……いゃ、まぁアノ本が「……の社会学」を名乗るだけのクォリティに達していないがゆえのことだと言われれば確かにグウの音も出ないのですが、はてさて、いったいどうした真相なのでしょうか?

原典を見せてもらうと、なるほど、タイトルからわかるように、内容は特例法適用の要件を満たして戸籍変更を済ませたトランスジェンダーが婚姻関係にある際、生殖補助医療技術を用いて子をもうけた場合に、それが配偶者との間の嫡出子として法的に認められるべきか否かというイシューについて、現に起きている事例(ここでは夫がFtMで、第三者から精子提供を受けたケース)に言及しながら考察するものでした。

そして、法学者の立場から「性同一性障害」やセクシュアルマイノリティ全般をめぐる問題系に真摯に向き合い、そうした人々が可能な限り尊重され社会に受け入れられてほしいという基本的スタンスで書かれていることも、理解できました。

ただ、どうしても細かな部分については、専門的な法律論から原則を当てはめる形で、個々のセクシュアルマイノリティのニーズは切り捨てざるをえないというような論調も目立ちます。

上述のケースでなら、やはり嫡出子として法的に認めることには問題があるという立場ですね。
他にも、トランスジェンダーの婚姻、あるいは同性間の婚姻を無制限に認めると、現行社会の家族制度によって確保されている利得の総体が脅かされるので好ましくないというニュアンスが滲んでいるところは、そこかしこに散見されます。
何より、男女という性別分類自体についても、その効用を高く評価し、それを相対化しようとする主張は支持できないということも、基本姿勢として言明されていたりします。

それはおそらく、法律家としてのリアリティから来る世界認識にとっては正しいことなのでしょうが、しかし、そうした法体系が守っている社会秩序の枠組みのさらに外側から問題を見つめなおすことも、もう少し試みてはもらえないものなのでしょうか?

家族というもののありかた、ひいては個々の人々の「性」をめぐるありかた、そうしたものの多様性を予め織り込んだ形に社会システムを変えることで、その問題が問題とならないようにすることだってできるはずです。

そうした発想は、やはりこの問題を扱う研究者にあっても、法学の分野では難しいのでしょうか。
やはり法律という存在は【正義と秩序の論理】に則るものでしかなく、それが守っているのはあくまでも多数派規準で構成された社会の構造だということなのでしょうか。

願わくは、こうした法曹の分野においても、個々の「人」に寄り添い、個別の事情を汲み、何より全員の気持ちに配慮して問題解決をめざす【ケアとキュアの論理】に則ったアプローチを、せめてもう少しは取り入れてほしいところです。


――で、肝心のワタシの本の案件はというと、さて、どうなったのでしょう!?

あ、ありました。
まとめにあたる第5節の中の注釈のところで、チラっとだけ触れられています。

………ホンマに、チラっとだけ(^o^;)

しかし、問題の本質は、扱いの大小ではありません。

当該箇所を読むと、水野氏はここでまとめとして「配偶者や子がいる性同一性障害者の法的取り扱いは慎重であるべき」との趣旨を展開してるのですが、なんとソコで拙著中で紹介している「夫が結婚後に性別移行した場合の妻や子の混乱や不満の事例」に触れ、自論を補強するために用いているのです。

ぃや、コレってイイんでしょうか!?
 「こんなの絶対おかしいよ」。

私が、拙著中でそうした事例について記述したのは、「しかしこれらは社会が変わることで問題ではなくなる」と述べる前段としてです。
もちろん、「社会が変わる」ことの全体像と、法律面でも例えば配偶者や子がいる性同一性障害者の法的取り扱いがよりおおらかになっていくことは両輪の関係にあると言えるでしょう。

そうした原著の元の論旨を無視して、自論の展開のために都合のよい記述だけを部分的に抜き出して利用するというのは、なんかものすごくアンフェアな手法に思えます。

そういうことを言う論拠のためにコレを書いたんぢゃナイですぜ!

もっと言えば、これは「アンケート調査の結果データを自説に都合よく加工・解釈して根拠として使う」さえも超越した、悪質な行為なのではないでしょうか。

たしかに、他者の著作・文献を上手く消化しきれないままに引用・活用することは現実としては往々にしてなきにしもあらずですし、この点で扱いの厳格化を言い過ぎるのはブーメランかもしれません。

しかし、せめて原典の趣旨に見合った方向性での利用は、論文の技法以前の人間としての最低限度のマナーでしょう。
それに沿わない形での言及は、やはり原典著者としては不本意です。
(これならもっと正面から取り上げられケチョンケチョンに批判的な批評を受けるほうがまだしもです)

したがって、かような事象がくり返されることがないよう、これは研究者各々において、気を引き締めて注意していかねばならないことだと思います。


ただまぁ、知り合いからの第一報の時点では、我が娘・満咲が問題視されている――つまり「性同一性障害のくせに子をもうけたりするから、ミッキーマウスとミニーマウスの区別もつかないような困った子どもが育つんだ」的な――ような話にも聞こえたのですが、少なくともそうではなかったので、なによりです。

ぃやー、実際ある意味では、あんなに健やかに育ってる子もなかなかいないのでは?
(↑親バカ↑w)
……もっとも「最近なんだか腐(女子)臭がする」と感じる機会もとみに増えてきましたが、そのあたりの詳細は次記事にて(^^;)

ともあれ、はてさて、いったい「普通の家族のかたち」を維持することで誰がどんな得をしているのでしょうかねぇ……。


 


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コメント 2

gg

むしろ、「損得」で考えると多くの婚姻・家族は本当にみな感情で結びついているのか?と疑問に思えるわけで。結婚して子孫を残せば将来は安泰か。一人暮らしは不経済か。携帯会社はどこも「家族はお得」と豪語する…。
同性婚を認めるとその利得につられて大量の偽装カップルができるという心配も行政にはあるでしょう。…でもそれだったら異性婚の偽装カップルもきっとたくさんいるはずだよなあ…。
by gg (2013-05-05 15:25) 

tomorine3908-

ggさま
例によってコメント承認遅れましてスミマセン
結婚や家族の形をめぐる規範、それを法律で裏付けた諸制度、
本当にこれで良いのかと突き詰めていくと、疑問は尽きなかったりします。
たいていのカップルには、事実上「異性婚の偽装カップル」な部分が多かれ少なかれあるのではないでしょうかね?
じつはコメント承認作業の遅れはツイッターで例の「女性手帳」問題が喧しかったせいもあるのですが、あの手帳なるものも、現行の結婚や家族の制度には手を付けずに少子化問題を解決しようとしたら、ああいう発想しか出て来なかった…感が多分にします
by tomorine3908- (2013-05-08 15:45) 

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