So-net無料ブログ作成
検索選択

◎執筆・講演のご依頼はお気軽にお問い合わせください◎
メール案内ページ
「性同一性障害」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

エスパーとセクシュアルマイノリティは、そもそも…… [多様なセクシュアリティ]

さてかねてより話題にしてきた『絶対可憐チルドレン』のアニメも3月末で最終回、物語は原作コミックの15巻をベースに、いよいよクライマックスです。
.
で、例えばここまで「エスパーとセクシュアルマイノリティは同じだ」というような趣旨に触れてきたのは、むろんエスパーの超能力を持つが故の苦悩が結局はその他のマイノリティのそれと同じ構造上にあることを踏まえての、一種の比喩的な読み解きという位置づけでした。
.
『絶チル』の薫たちや、あるいは『テレパシー少女 蘭』の翠もそうですが、エスパーが「化け物」呼ばわりされることには、かなり過敏に反応します。
それだけ、そうした世間の評価を気にせざるを得ない位置に置かれているということなのですが、同様にセクマイもまた「化け物」という呼称を引き受けさせられる場面が少なくないのは、具体例の容易な想起に事欠きません。
映像作品中の有名どころだと『金八先生』でも『Boys Don't Cry』でも、当該登場人物がそう呼ばれるシーンがあったりします。
※後者は日本語字幕に準拠
.
ようするに「多数派基準から見た理解不能な存在」という位置づけです。
当然、セクマイ以外のマイノリティでも同様ですね。
.
このことは、イギリスでの障害学を代表するマイケル・オリバーの言葉では「現行社会のしくみに不適合な人間の排除を正当化するにあたって、医学等の知見を動員して創作された概念が『障害』であって、それは障害者と呼ばれる人々の心身の特性とは無関係である」というように表現されたりもします。
.
解決策としては、じつは「現行社会のしくみ」のほうを変えることこそ大切なのです(が、現実には「現行社会のしくみ」を維持するために、少数者の排除に科学さえ荷担させられているというわけですナ)。
.
.
いずれにせよ、「エスパーとセクシュアルマイノリティが同じ」であることは、比喩的な意味合いでここまで書いてきていたわけです。
.
でも、ここで一歩引いて、よくよく考えてみましょう。
.
今日でこそ、エスパーとセクシュアルマイノリティ、あるいはその他の障害者などのマイノリティを、私たちは近代科学の知見に基づいて、それぞれ別個の異なるものとして峻別しています(仮に同一人物が両方にあてはまる場合でも、あくまでも“両方にあてはまる”という認識)。
.
でも、これもまた科学がマイノリティのカテゴライズと、それに従った分断に手を貸している一例といえるかもしれません。
.
つまり近代以前、あまつさえ古代においては、もしかして、これらはもっと混沌としていたのではないでしょうか。
.
三橋順子さんによると、日本神話においてヤマトタケルがクマソ征伐の際に女装したのは、単に敵を油断させるためという目的に加えて、そうすることで通常以上の特異な力、いわば超能力まで発揮できるようになるためであったと考えられるそうです。
.
女装によって、何か特殊な神性が身に付くという考え方は、その後の日本社会にも見られ、今日でもお祭りの稚児などに、その系譜が残っているのでしょう。
.
世界的に見ても、北米先住民社会におけるベルダーシュや、インドのヒジュラなどは、いわゆるシャーマン的な職能をもって宗教的な仕事をこなしてきたと言えます。
.
[参考文献:三橋順子「日本トランスジェンダー略史」(『トランスジェンダリズム宣言』米沢泉美編著 社会批評社 2003 所収]
.
だとすると、かつては今日の言葉で言うセクシュアルマイノリティに対して、セクシュアルマイノリティであるがゆえに霊的な力が認められ、いわば今日の言葉で言うエスパーだととらえられていたということになりましょう。、
.
とゆーわけで、エスパーとセクシュアルマイノリティは、そもそも元々は同じ概念に含まれていたというのも、あながち過言ではなかったわけですネ。
.
.
そもそも「邪馬台国の女王・卑弥呼は、じつは超能力者だった!」なんて言説は、少なくともB級科学雑誌にはよくあるネタですし、そのデンで行けば、例えば占い師などの職業も、本来は何らかの予知能力とかテレパシー能力(もしくはサイコメトリーとか透視能力とか)を持っている人が就業するものだったのかもしれません。
.
したがって、大多数の人々とは異なる特性――それが超能力方向であれ“障害”方向であれ――を持って生まれた人であっても、そのことの価値が認められ、それに見合った社会参加の場が用意されていた前近代というのは、はてさて、近代以降よりも野蛮で後進的だったなどと言ってよいのでしょうか!?
.
私たちが「人権」を考える際には、人権概念が立脚する“近代”以降の常識にも、一度懐疑の目を向ける必要があるのかもしれませんね。
.
.
.
※キリスト教の聖書に相当すると言ってもよいテキストに、このような描写があるということはスゴイことで、女装・性転換や同性愛が根本的に罪であり悪である宗教圏にくらべれば、日本というのは性の多様性に対して寛容な文化圏であり、ある種の条件さえ整えば、セクマイ受容も一気に広がりうる可能性を示すものでしょう。
.



→絶対可憐チルドレンをアマゾンで調べる



→テレパシー少女 蘭をアマゾンで調べる


コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。