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20年後の未来が今 [多様なセクシュアリティ]

というわけで今年ももう9月も終わりです。

ちなみにこの2017年の9月というのは、ワタシが本格的に性別移行に取り組みはじめたときから、ちょうど20周年にあたるのですね。

まぁ、性別移行のどの時点からカウントするかで、いつが20周年になるかにも若干の幅はあります。
最初におそるおそるこっそり「女装外出」した夜なら1996年の6月なので、20周年は去年に済んでますし、逆にいちおうのフルタイム化が達成された時点であれば1999年の7月となり、こちらはまだもうちょい先となります。
なお、ワタシの場合は優先順位としてホルモンや性別適合手術といった身体改造は後回しだったので、これらはいまだ10年に満たないです。

さしあたり20年前の性別移行にまつわるあれこれは、こちらの著書「時系列案内で言えば、『性同一性障害はオモシロイ』の第1章が充てられています(いろいろ拙い初著で恥ずかしいので読まなくてイイです;)
で、その前後のエピソードが『明るいトランスジェンダー生活』と。

……ぃや~いろいろ大変だったなぁ、しみじみ。


  


ともあれ、あれから20年。
長いような短かったような……。

いずれにせよ、20年前に性別移行に着手したからこそ、現在では20年間の社会的に女性として過ごした事実が積み重なっています。
30歳を過ぎてからの性別移行でしたが、「今さら……」と思ってしまったら、永遠に始まりません。
石橋を叩いて渡る慎重さも必要なのですが、それと見る前に跳ぶ大胆さを、上手に折衷してプランニングをすることは、やっぱり大事でしょうね。


で、昨今の性的少数者をめぐる情勢に目を移せば、この20年でずいぶん変わったものです。

もちろん現況は、まだまだ不十分な側面は多々あるとか、いまだ過渡期で無知や偏見のうちにある人も少なくないだとか、しばしば残念な事件も報道されたりなど、ネガティブな実状も見過ごしてはなりません。

それでも方向性としては、あるべき理想のほうへ進んでいるのは体感できるところです。

インターネット上の各種情報の質も向上し、公的な信頼できるwebサイトまであります。
相談窓口が設けられている機関も少なくはなくなってきているでしょう。

世間一般での「LGBT」についての認識も、まがりなりに相当に進みました。
多様な性のありようを「普通のこと」として受け止めていこうという機運はそれなりに高まったと言えます。

パレードやクィア映画祭、「LGBT成人式」などのレインボープライドイベントは、全国各地で頻繁に行われ、大勢の性的少数者当人や理解者・支援者で賑わっています。
ほうぼうの大学に「LGBTサークル」が存在することも珍しくはありません。

性の多様性について知るための市民講座や、大学での授業、あるいは自治体職員・学校教職員向けの研修会なども、あちらこちらで日々おこなわれています(不肖ワタクシも講師を務めたりしています。研修を経た学校の先生が教室でホモネタのジョークを言わなくなるだけでも救われる子は多いのではないでしょうか)

他にもいろいろあるとは思いますが、これだけ見ても、周囲の好意的な理解本人の自己肯定に資する環境は、20年前との比較の限りでは、飛躍的に整ったと評価できます。

性別違和を持つ人がトランスジェンダーとして性別移行を決意する、あるいは何らかのセクシュアルマイノリティが自己肯定を経てカミングアウトしていくにあたってのハードルは、やはり大幅に下がったと見て間違いないでしょう。

いやはや、時代は進んだノ

20年前のあのころから見た、今はもう20年後の未来なんですね。


そういう意味では、私たちの世代としても、かつてのケモノ道を歩いた意味はあったのかなと、多少は報われる気分です。

今後は老境にさしかかっていくにともない「セクマイ高齢者」として引き続き若い人たちから見た少し先の年齢におけるロールモデルを開いていけるなら幸いだと思います。


◇◇

◎で、20年ということで、20年前に女性として初めてのちょっと遠出「プチ日帰り旅行」に出かけてみた行き先の大津・坂本を再訪してみたレポートは、お知らせブログのほうの記事でノ



◇◇


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[3:女の子はつねにすでにプリキュア]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子がなったものがプリキュアである」。

すなわち前記事で述べたとおり、

プリキュアに憧れた体験を持つ子どもたちが、将来において、その憧れを包含した何らかの意思に基づいて何かになった結果としての、その「何か」がプリキュアと呼べるのだ……

というのは、かなり核心を突いた着眼点だったと自負しているのですが、さて、これは一般的に考えてまったくプリキュアっぽくない実存にもあてはめることが可能なのでしょうか。

ここで、リアリティレベルを徹底的にリアル寄りにして描かれたアニメ作品だと言えるサクラクエストをとりあげて、この点を考えてみましょう。

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※本記事中、画像は放送画面や公式のサイトからキャプチャしたもの


2017年4月から2クール半年間にわたって放映された『サクラクエスト』ですが、こちらも公式サイト(→ http://sakura-quest.com/ )によると、

木春由乃は、田舎から上京し短大の卒業を間近に控えた、いわゆる普通の20歳の女の子。東京には何でもあって、きっと特別な何かになれるのではないかと夢みて、30社以上の面接を受けるも、未だに内定はない。(中略)そんなある日、以前、一度だけ働いたことがある派遣事務所から、「地域の町おこしの一環で国王をやってほしい」との依頼がある。よくわからないが軽い気持ちで依頼先の間野山市に向かうことにした。
一時的に日本中でブームになるも、バブル崩壊に合わせて今ではほとんど見ることの無くなったミニ独立国。間野山市は、今なおミニ独立国を続けている、廃れてしまった残念観光地だった。

……というふうにイントロダクションされています。

そうして主人公・木春由乃は、イベントのための「一日国王」と思い込んで訪れたものの、じつは一年契約で、当初は東京に逃げ帰ろうとしたりしますが、やがて地元の実状に触れるうちに気持ちが変化し、「国王」という名の観光振興大使として、集まった同年代の女性4人の仲間とともに、地元の活性化のため観光協会の仕事をやり遂げる決心をするのです。

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作品自体は丁寧な行き届いたつくりの良作で、本当に地方都市が抱えるさまざまな問題にきっちり寄り添ってエピソードが積み上げられています。

活かしきれない観光資源伝統産業の先細り、シャッター商店街、忍び寄る過疎と高齢化、若者から見た魅力の不足……。
さらにはその寂れた同一市内でも中心部と山あいの集落との間に横たわる格差にも焦点が当たり、水面下で上層部が進める隣市との合併計画なども物語の射程に入ります。

まさに今プリキュアシリーズに夢中になっている子どもたちが大人になる頃にはさらに深刻になっているであろう、現代の日本が避けて通れないリアルな諸問題を生々しく浮き彫りにする硬派な社会派ドラマだと評価することもできましょう。

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それだけに物語はある意味、悪く言えば「地味」だという側面もあります。

アニメというジャンルではお馴染みの異世界も異能バトルも登場しません。
タイトルが「◯◯クエスト」になっているのは、いわば逆説でしょうか
(その観点からだと、作品の雰囲気というか描かれている内容は、むしろNHKの実写ドラマに近いとも見えなくはありません。
というか、何でも実写化すればよいというものではない中で、アニメ作品として話題になったコンテンツが次には実写映画化されるような流れはしばしばあることに鑑みたとき、この『サクラクエスト』こそ、NHKの《朝ドラ》、すなわち朝のNHK連続テレビ小説の題材として非常に好適なのではないかと考えます)

異世界・異能バトルとまでは行かなくても、同じく町おこしを目標にしていた前記事の『アクションヒロイン チアフルーツ』のように作中ショーのステージ上でなら変身やバトルがある、というわけでもありません
(同時期に町おこしを取り上げたアニメが放送されたという符合は興味深いですし、合わせて視聴してみるのもより深い見え方がして良いかもしれません)

地方都市・間野山の自然は美しく、四季の移ろいの味わい深さも、このアニメを制作する「P.A.WORKS」の得意技ということもあり、その描写は秀逸なものです。
が、当然ながら都会的なきらびやかさはメイン舞台には存在しませんし、若年人口は流出気味な地方都市だけに、主要5人以外の登場人物の高齢率もすこぶる高い。
全体的にひなびた雰囲気が漂うのも無理からぬことでしょう。

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そんな中での主人公ら主要メンバー5人が取り組む観光協会の仕事というのも、大変に地道なものでしかありません。

各種のイベントを企画してはいろいろな課題に直面。
裏方仕事に追われながらトラブルの処理
根回しのために観光協会とは必ずしも利害が一致していない商店会の人たちに頭を下げに行けば、皮肉を言われたりもしながら段取りを調整。

基本的に、そんなことの繰り返しだと言えます。

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それでも5人が力を合わせて知恵を出し合い、壁にぶつかって挫折しそうになりながらも、少しずつ周りの人たちを動かし、町を徐々に変えていく様子には、静かな、しかし着実なカタルシスがあります(ということなので作品がオモシロくないと言ってるのではありません)

まぁ、それだけ現実に則した地に足をつけた作劇だということになります。
したがって、主要登場人物の5人が華々しく美少女戦士に変身して悪者と迫力のバトルを繰り広げるような変身少女ヒーローもの的な展開からは対極にある世界観の作品だと言うこともできるでしょう。


  


ところがです。
それにもかかわらず、この『サクラクエスト』にはプリキュアシリーズの文法で読み解ける要素が多分に含まれているのです。

メタ的には「1年契約」に合わせて物語が構成されているというのもあるでしょう。

また「ひょんなことから◯◯王国の危機を救う使命を引き受けることになった話」だという共通項でも括れるのは、もしかしたら意図的にかぶせてあるのでしょうか
(物語の結末を「5人が《桜の王国》を取り戻した」と解することもできなくはありませんね)。

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のみならず、各々個性豊かな女性5人が集まり、互いに補いながら親密性や信頼関係を育み、共通の目標に向かって課題に取り組んでいく……といったフォーマットもまたプリキュアシリーズと共通しています。

途中の困難もなんとかいちおうの答えを出して乗り越え、仲間の結束は高まって周囲には協賛者も増えていく。
そんな過程で発揮される行動原理もプリキュアシリーズ10周年超時代のアニメキャラとして不自然さのないもので、あくまでも主体的。いわゆる「男に頼る(依存しきる)」発想もナシ(必要な協力の輪は相手の性別にかかわらずちゃんと広げていきます)。

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そうこうするうちに絶望を希望が凌駕して、未来への展望が開ける。
主人公らが、自分たちを信じてがんばった結果、世界が少し変わる。

同時に、そんな体験を経た主人公たちも、それぞれなにがしかの成長をする。
自分に自信が持てるようになり、自分自身の未来がちょっとだけ形になる。
自分の進む道の方向が見えてくる……。

このような物語の構造は、まさしくプリキュアシリーズそのものであります。

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『サクラクエスト』は現実世界のリアルな課題に立脚した作劇なので、シビアに甘くない世界を描いている分、テイストは違えられてはいますが、おおむねこうしたルートをたどる物語には、プリキュアシリーズに連想が働くところを禁じえません。

音楽クリエイター集団《 (K)NoW_NAME 》による主題歌群を聴き比べても、その歌詞にはプリキュアシリーズが子どもたちに向けているメッセージと通底するものが謳われている、やはりそう強く感じられます。

  


このように読み解けば、『サクラクエスト』のような変身もバトルもなしで若い女性たちが地道に奮闘する物語であっても、やはりコレはプリキュアシリーズの1バリエーション譚だと言えるでしょう。

その意味で、町おこし・地域の振興に奔走する5人は、本当にプリキュアなのです。

『チアフルーツ』とちがって『サクラクエスト』の主人公らは20代の女性たちですので、2017年現在だと保育園・幼稚園の頃から息をするようにプリキュアシリーズを視聴してきた世代よりは少しだけ上かもしれません。

だとしても、そう遠くない未来、幼いころにプリキュアに憧れた子どもたちが成人し、それぞれの場所で、それぞれの仕事・役割に就くことになります。

この『サクラクエスト』に鑑みるなら、それは「プリキュアになった」と呼んでいいのではないでしょうか。

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おそらくは、プリキュア世代の子どもたちが大人になった時代に、それぞれが置かれた場所で各々の役割に沿って、仲間といっしょに課題に取り組むとしたら、この『サクラクエスト』で描かれたように、プリキュアシリーズに込められたエッセンスを具現化した形になっていくでしょう。

いわば『サクラクエスト』がプリキュアシリーズの文法で読み解けるのは、その様子をアニメ化したものだからなのだとも言えます。

やはり「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

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そして、物語の肝要が主人公らの成長、自分の道をみつけるプロセスなのだとしたら、プリキュアになって何事かを成すということは、じつに「自分になる」ということ。

となれば、幼い子どもがプリキュアに憧れたそのとき、いつか何かになる将来の自分は、しかしもう今の自分自身でもあるわけです。

他ならぬプリキュアに憧れている幼い自分こそが、いつか将来の自分として自己実現を果たして何かになる――。

これはつまり「もうプリキュアになっている」に等しいということにはなりますまいか?

自分が自分であることを見失わない限り、自分はもうプリキュア。

そう、プリキュアシリーズを視聴しプリキュアに憧れた瞬間から「女の子はつねにすでにプリキュアなのである」なのです。

(……「つねにすでに」の無駄使い! というツッコミはナシで(^^ゞ)


◇◇


§その他ツイッターで『サクラクエスト』に言及したものを、補足として以下に貼っておきます






◇◇


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[2:女の子がなったものがプリキュアである]女の子は誰でもプリキュアになれるのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

女の子は誰でもプリキュアになれる」。

それは前記事で見たように、ある意味では真でした。

「誰でも」の「誰」が性別で限定されるモンダイについても、さまざまな方策が試みられている中では、引き続きの検討課題として見守っていくものということになりましょう。

まぁ個人的には、プリキュアに魅了され、プリキュアのスピリットを我がものとしながら、その志を実践しようとする者を、ここでは「女の子」と呼んでいるのだ……というふうに読み替えてかまわないのではないかとも考えます
(てなわけで以下の記事中でも基本的にそういう方針で書き進めますねノ)。

しかし、本当にリアルな現実世界で、プリキュアに憧れる体験を経た子どもが、将来においてアニメの中のような変身ヒーローとしてのプリキュアになれるかというと、実際のところは難しいのも事実です。

中学生・高校生となった暁に、ある日通学路の途上で異世界からやってきた小動物のような容貌の妖精と出くわし、それがきっかけで◯◯王国の危機を救うために伝説の戦士になって悪者が遣わした異形のモンスターと戦いご町内の平和な日常を守ることになる……なんてことが、そうそうあるという話はとんと聞きません。

その意味であれば、「アニメに出てくるような変身ヒーローとしてのプリキュア」になれる人など誰もいません、という甚だ夢のない結論が出てしまいます。

まぁ、現実ってそういうもの。

でも、それじゃぁ、幼少のみぎりにプリキュアに憧れた体験というのは、ただ単にそれだけの、子ども時代の夢物語なのでしょうか?

結論から言って、それは違います

子ども時代にプリキュアに憧れ、毎週のアニメを楽しみ、そこから何かを得た子どもたちが、それを心の糧としながら、将来において何かになるということは、ままあることでしょう。

そんな、プリキュアに憧れた体験を通じて得たものを触媒として、かつての子どもがなったもの、それこそが現実世界における「プリキュア」の実像なのではないでしょうか。

すなわち、「女の子は誰でもプリキュアになれる」というのは、リアルな社会での様相に即して換言すれば「女の子がなったものがプリキュアである」なのです。

そう考えれば「女の子は誰でもプリキュアになれる」も、あながち子どもに向けた「優しい嘘」だとは言い切れないものを内包しているということになります。


え? イマイチ具体的なイメージが湧かない??

それでは「プリキュア」シリーズよりは、もう少し「実際になれそうな」題材を描いたアニメの事例をひもときながら見ていきましょう。

例えば典型的なのはアイドル

『プリパラ』の名前は前記事でも出ていますが、こうしたアイドルアニメにおけるアイドルの意匠や瞬間衣装換装の演出が、アニメ表現上はプリキュアと地続きであることは、昨年「マクロスΔ」の論考「『マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性」で触れたとおりで触れたとおりです。

一般的に考えれば、プリキュアに憧れるのと同じように女の子たちがプリパラアイドルに憧れ、なってみたいと思うだろうことに、相当の連続性があるのも容易に理解できますが、少なくともアイドルという大きな枠組みにまで視野に入れれば、それは現実になることができる職業として実在しています。


これがまさにプリキュア的な戦いであることも前掲「マクロスΔ」論考に述べたところであり、ここでもプリキュアとアイドルの間には連続性が見られます。


 


さらに、この2017年7月からのアニメ作品には、こうしたラブライブ的な「アイドルとしての戦い」としての1バリエーション譚と言える作品も登場しました。

それが『アクションヒロイン チアフルーツ

公式サイト(→ http://www.tbs.co.jp/anime/cfru/ )によると、

とある地方都市が企画した小さなお祭りから(中略)「ご当地ヒロイン」ブームが各地で巻き起こった。その勢いで「ふるさとヒロイン特例法」が成立し、各自治体がステージショーをプロデュース。(中略)「アクションヒロイン」は子供から大人まで愛される憧れの存在となっていた。
フルーツ産地ののどかな地方都市『陽菜野市』はその波に乗り遅れていた。
陽菜野高校3年の城ヶ根御前は危機感を募らせていた県知事の叔母に「アクションライブ」をプロデュースするよう唆される。
とまどう御前だが、「アクションヒロイン」を成功させ、この街に活気を取り戻し、祖父が建設に尽力した文化ホールの閉館を覆すために、立ち上がる!

……が物語の発端として説明されており、そこから仲間が集まり、「アクションヒロイン」としてのステージショー(アクションライブ)に取り組んでいく様子が描かれていくわけです。

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※本記事中、画像は公式の配布画面からキャプチャしたもの


要は、ステージ上で演じるヒーローショーとしてプリキュア的な演目を女性がおこなうのが盛んになっているという世界観のもとで、女子高校生たちが自分たちの住む町の振興のために奮闘するというのがストーリーのアウトラインを成しているものです。

こう見るとまさに『ラブライブ!』の「スクールアイドル」をプリキュア的なヒーローショーである「アクションヒロイン」に置き換えた作品だと受け取ることもできます。
まずもって、ステージパフォーマンスである点は同じです。

「廃校」に直接的に対応する項目として「文化ホールの閉館」も用意されていますし、作中では全国のライバルチームの活動がインターネット上でランキングされており、それを確認して自分たちの順位に一喜一憂する様子などは、いわば今風な必然として共通していたりもします。

そのうえで、、自分たちにとっての守るべき日常を営む場所を、学校という枠から少しスケールを広げて、寂れた地域経済の危機に置いたところがオリジナルなポイントかもしれません。
町おこしが使命とは、じつに現実世界の実状に寄り添ったリアルなテーマです。

そうして、作中では主人公らが結成したチーム「チアフルーツ」が、ステージ上でアクションヒロインとして上演するアクションライブショー『聖果戦士ヒナネクターの内容に着目すれば、これはもうまさしくプリキュアなのです。

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各々のメンバーの個性に応じた赤、青、黄などのパーソナルカラーに色分けされた変身美少女戦士が力を合わせて悪と戦っていく台本は、現実世界の遊園地でのプリキュアショーで子どもたちが大興奮するがごとく、作中の観客の子どもたちにも大人気で、客席からは熱い声援が送られるところとなっています。

その意味で『アクションヒロイン チアフルーツ』は、プリキュアの1バリエーション譚でもあります。

また、現実世界ではプリキュアシリーズと戦隊シリーズの内容がクロスオーバーし相互作用を及ぼしつつ、実質的な内容の差異がない状態になってきている現状にありますが、そのあたりも織り込まれています。

作中での『聖果戦士ヒナネクター』の内容は直接的にはプリキュアっぽいわけですが、同時に戦隊ヒーローっぽい雰囲気もまた上手に統合されています。

客席の子どもたちも性別を問いません。
アクションヒロインが国民的人気という世界観のもとで、それが女性が演じるものだから女の子向けだとは、必ずしも思われていないというのは、非常に好感が持てる世界設定です。

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そもそも前記事で述べたとおり、「ヒロイン」という語は私たちの現実世界ではシンプルに「ヒーロー」の女性形の意味ではなく、主人公であるところの男性ヒーローの恋愛相手、補助・ケア役割、およびときどき敵の人質にされる役回りというニュアンスを付与されてきました。

それゆえに、プリキュアのような「女性のヒーロー」を言い表したいときには《戦闘美少女》《バトルヒロイン》《ガールヒーロー》などの修飾を伴った表現が必要でした。
《魔法少女》にそうした定義を与えて用いていこうとするややこしい流れも発生します。
ちなみにワタシは近年では熟慮の末《変身少女ヒーロー》と言い表すようにしています。

ところが『アクションヒロイン チアフルーツ』の作中では、本当に「ヒロイン」の語が単純に「女性のヒーロー」を意味するものとして使われているようなのです。
フィクション作品の世界観を通して、こうした定義の最適化が図られるのは意義があることでしょう。

誰もが「女性のヒーロー」に特段のバイアスは皆無にあたりまえのものとして受け止め応援している。
アクションヒロインが子どもから大人にまで大人気という世界観は、こう考えるとなかなか深いです。

過去の男性主人公の特撮ヒーロー作品へのオマージュと解せる小ネタが、こうした変身少女ヒーローもののバリエーション譚にふんだんに盛り込まれているのも、ある種の歴史の総括としての機能を果たしているかもしれません。

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ともあれ、作中のこうした世界観が、視聴者に違和感を与えることなく構築できることには、視聴者が暮らす今日の現実世界においてプリキュアシリーズが存在していることが大きく寄与しているのは疑いありません。

チアフルーツ作中は20XX年という設定のようですが、仮にこの2017年であっても、たいていの高校生の年頃というのは、保育園・幼稚園のころからプリキュアを見て育ってきている世代です。

そういう世代感覚の女子高校生たちからすれば、学校の部活のノリで取り組むアクションヒロインの活動内容がきわめてプリキュア的であることは、まったくの自然なことであって不思議はありません。

作中での大人世代も含めた観客や町の人々がフツーに受け入れるのもまた然り。

となると、この『アクションヒロイン チアフルーツ』は、幼少時にプリキュアのアニメを視聴しプリキュアに憧れた子どもたちが、長じて高校生となった時点で実際に「プリキュアになった」様子が描かれたアニメ……だと言うにふさわしいということにもなるでしょう。

これをロールモデルとすれば、女の子がプリキュアになる未来は、まさに今こうして実現するものなのです。


  


そんなわけで「女の子は誰でもプリキュアになれる」を「女の子がなったものがプリキュアである」と再解釈し、アイドルアニメなどを補助線に当てて「現実になれるプリキュア」とは何かと考えたとき、わかりやすい具体例としては、やはり何かステージ等にかかわる職業ということになるでしょうか。

アイドルも該当するでしょうし、遊園地のプリキュアショーの関係者などもかなりビンゴです
(着ぐるみに入ってヒーローとしてアクションをこなすスーツアクターなら、実際のところ男性も多いはず)

あとは声優になってプリキュア役を務めるなどとなれば、ほぼそのものズバリ「プリキュアになった」ことに限りなく近似しているでしょう
(近年では毎年プリキュアの新シリーズの声優が発表された際、若手キャストの中には「子どものころプリキュアに憧れていた……」とコメントする人も実際にいる)

このように比較的万人に納得してもらいやすそうな例だけでも「プリキュアになった」と言える職業はあるものです。

やはり「女の子は誰でもプリキュアになれる」のです。
そこに、かつてプリキュアシリーズを視聴して得られた何かが生きている限り――。


しかし、この上述したような比較的万人に納得してもらいやすそうな職業以外だと、「プリキュアになった」とは言いづらい危惧はある……という意見は出てくるやもしれません。

まぁ真面目に考えればそれもまた現実。
はて、ソコはどうしたものでしょう。

この点、次記事にてもう1例のアニメ作品を見てみることで掘り下げたいと思います。


◇◇


§加えて、「女の子は誰でもプリキュアになれる」の「誰」に身体障害者は含まれるのか? モンダイについて、『アクションヒロイン チアフルーツ』は一定の展望を示していました。
以下は、その点に関連してツイッターで述べたもの。



◇◇


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